陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

何を言っているんだか…

2008-07-20 22:35:15 | weblog
たまに何を言っているかさっぱりわからない人がいる。
「あれ、見たでしょ、あなた、あれで許せる?」などといきなり問いつめられて、へ? と思っていると、あれは頭に来た、これはひどい……とひとしきり続くのだが、相手が腹を立てていることはわかるが、それ以外には、いったい何が起こったのか、いったい何の話をしているのか、いつまでたってもわからないような話をしてしまう人だ。

5W1Hなどという言葉もあるが、ほんとうはそんなことを意識に留めておく必要などない。相手に伝えようとする出来事を、最初から起こった順に話していくと、必然的にそういうものは情報として相手に与えられるのだ。

ところが何を言っているかわからない人の話というのは、実際に起こったことと、人の話が同一レベルで語られ、そのあいだに霜降り状に「悲しかった」だの「それはひどい」だのという自分の感想が差し挟まれるのである。
そうなると、こんな話を聞かされる羽目になる。

「あれ、見たでしょ、あの表、あなた、あれで許せる? わたしAさんと相談したんだけどあれだけは許せないってことになったのよ、あなたもわたしたちと同じ意見? Bさんってひどいわよね」
この時点で表こそもらっていたものの、わたしは何が問題なのかわからない。Bさんがひどいひどいと繰りかえし言っているので、てっきりBさんがその表を作ったのだろうと思っていたら、表を作ったのは別の人で、Bさんがどこかの時点で関与しているのだろうが、何らかの理由で彼女はBさんの方に腹を立てているのだ。

以前はそういうときに、「その表のどこが問題なの?」と、相手に聞いていた。すると、多くの場合、相手はそういうときに「あなた、これでいいと思ってるのね」と話はちがう方に行ってしまう。だからわたしはもうしばらくは辛抱して、言いたいだけ相手に言わせることにした。五分かかろうが、十分かかろうが、こちらから下手に交通整理をしようとするのではなく、言いたいことを言わせる。そうすればそのうち、「何が問題か」はおぼろげに見えてくる。そういう話し方をする人には聞いたってムダなのだ。

こういう話し方をする人は、ものすごく疲れるし、できれば相手をしたくないのだが、それでもつきあわなければならないときはある。わたしは何度か失敗を繰りかえし、「そのあいだは辛抱する」のが最良の方法であることを学んだのだった。言いたいことを全部言った相手はとりあえず落ち着く。整理はそこからすればいい。

考えてみれば、わたしもずいぶん人間が練れたものだ。昔は「何言ってるの? もう全然わかんない。ちょっと整理して言ってよ」「すいません。何をおっしゃってるのか、わかりかねますが」などと言って、よく相手を怒らせたものだった。相手を怒らせてもいいことはひとつもない。たったそれだけのことを学ぶのに二十年くらいかかった(笑)。

何を言っているかわからない人の話がわからないのは、情報の伝達に主眼点があるのではなく、自分の感情を伝えることに主眼点があるからだ。

だが、自分の感情を伝えて、その結果、自分はどうしたいのか、考えていない人が多いような気がするのだ。
わたしは腹を立てている、そんな不公平/不正は許せない、そこで頭は止まってしまって、それをそのまま他人にぶつけるから、話はちっともわからない。もしかしたら自分が怒っていること、つまりは、自分が不当な扱いをされた被害者であることさえ相手に訴えることができれば、それで気が済むのかもしれない。

だが、訴えられた側は、問題の解決に動かなければならなくなる。私的なことであれば、「あらあら、かわいそうねえ」と慰めてあげればすむのかもしれないが、作業の分担や当番の割り当てなどであれば、そういう不満を抱えている人がいるなら、それは解決しなければ全体に差し障ることになる。

不平や不満を我慢すべきだ、ということを言いたいのではない。問題提起がなければ、問題の解決もできないのだし、最初の問題提起というのは個人の不利益からであるのは当然だ。それでも、その提起はあくまで問題の解決に向けたものだと思うのだ。自分がどう思った、自分がどう感じた、あの人はひどい……そういう発言は解決には結びついていかない。

つくづく思うのは、自分の感情を人に伝えるのはむずかしいということだ。
相手は自分ではない。自分と同じように相手も感じてくれるかどうかわからない。そもそも、相手に自分の感情をわかってもらうことに、どれだけ意味があるのかどうなのかもわからない。

それでも、この気持ちを理解してほしい。
そうしてくれなければ、この先、あなたと関係を築いていくのがむずかしくなってしまうかもしれない。

そんなときには、できるだけ感情的にならないように伝えたい、と思う。
感情を伝えるときに、感情的にならない、というのは、これほどの逆説はないようにも思うのだけれど、でもそれはわたしが失敗を通じて学んできたことでもある。

伝えなくてはならない感情は、時間をおいて、いったん蒸留して、フィルターにかけて、並べ直して、そこからそっと差し出して、そのぐらいでいいのではないか、と思うのだ。

たいていのことはそれまでにどうでもよくなってしまうのだけれど、そのくらいのことなら、そもそも伝える必要はなかったということだ。

(※更新情報書きました。本文も昨日からちょっと書き直しました)
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html