陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フランク・オコナー「わたしのエディプス・コンプレックス」その6.

2008-07-02 22:54:14 | 翻訳
その6.  

 ある晩、仕事から帰ってきた父は、わたしが父の箱から連隊章やグルカ・ナイフ、ボタン磨き用の棒などで遊んでいるのを見つけてひどく腹を立てた。母は急いでわたしからその箱をとりあげた。
「遊んでいいよ、ってお父さんが言ってくださるまでは、お父さんのおもちゃで遊んだりしちゃだめなのよ、ラリー」母の声は厳しかった。「おとうさんだってあなたのおもちゃで遊ばないでしょう?」


 どういうわけか父は母にひっぱたかれでもしたような顔つきになって顔をしかめると、そっぽを向いた。「おもちゃなんかじゃない」と苦々しげな声で言い、箱をまたおろして、わたしが何か取っていないか調べ始めた。「この手のものは、滅多にお目にかかれないような、値打ちものなんだからな」


 時間がたてばたつほど、父がなんとかして母とわたしを引き離そうとしていることはいよいよはっきりしてきた。さらに悪いことに、父のやり口も、父のどんなところが母を引きつけているのかも、わたしにはどうしても理解できなかったのだ。あらゆる可能性を考慮に入れても、わたしが彼に及ばない点などありはしないのだから。


彼のことばには粗野ななまりがあったし、お茶を飲むときにはひどい音をたてた。しばらくのあいだ、もしかしたら母が興味を抱いているのは新聞なのかもしれないという気がして、わたしは自作のニュースを母に読んでやった。それからつぎに、煙草だろうか、と思って、というのもわたしも煙草はなかなかカッコいいものだと思っていたからなのだが、父のパイプをくわえてよだれをそのなかにたらしながら家中を歩き回っていたところ、とうとう父に見つかってしまった。お茶を飲むときに音を立ててみたことさえある。だが、母に、そんなみっともないまねはおよしなさい、と言われただけだった。


結局のところ、何もかもが一緒に寝るという不健康な習慣のせいにちがいない、と考えたわたしは、あえてふたりの寝室に入っていった。あっちやこっちに鼻をつっこんだり、ぶつぶつひとりごとを言ってみせたりしたから、よもやふたりが、自分たちが監視されているなどとは夢にも思わなかったにちがいない。にもかかわらず、わたしの目をとらえるようなものはなにひとつないのだった。しまいにわたしはがっかりしてしまった。どうやら大人になると、みんながあげる指輪のせいらしい。それまで待つしかない、とわたしは悟ったのである。だが、わたしはただ待っているだけで、戦いをあきらめたわけではないということを、父に思い知らせてやらなくては、と考えた。


 ある晩のこと、父の態度はことのほか鼻持ちならず、わたしの頭ごしにぺちゃくちゃしゃべり散らかすものだから、ついにそれを実行することにした。
「ママ」わたしは言った。「ママはね、ぼくが大人になったら何をしようと思ってるか、知ってる?」
「知らないわ。何がしたいの?」
「ぼく、ママと結婚するんだ」わたしは落ち着いて答えた。


 父は大声で笑いだしたが、わたしはだまされなかった。笑っているふりをしているだけじゃないか、お見通しだぞ。


 母はこうした状況にもかかわらず、うれしそうだった。おそらく、いつの日か父の束縛から解放されることがわかって、ほっとしたにちがいない。
「すてきねえ」母はにっこり笑った。
「すごくすてきなことなんだよ」わたしは自信たっぷりに続けた。「だってね、ぼくたち、赤ちゃんをたくさんたくさん生むんだよ」
「そのとおりね、坊や」母は優しい声でそう言った。「うちにもうじき赤ちゃんが生まれるの。そしたらあなたもたくさん相手をしてあげてね」


 わたしはそれを聞いて、天にも昇るほどうれしかった。父の言うがままになっていても、わたしの願いを忘れてはいなかったのだから。それに、これでジーニー家を上回ることができる。だが事態はそうは進まなかった。まず、母は心ここにあらず、といった具合になってしまい――17ポンド6ペンスをどこから工面しようか頭を悩ませているにちがいない、とわたしは思った――父は夜遅くまで起きているようになったが、これはわたしにとって別段良い兆候でもなんでもなかった。母は一緒に散歩に行くのをやめてしまい、ひどくピリピリするようになり、特にこれという理由もないのにわたしをぶつのだった。ときどき、わたしは災いの種のような赤ん坊のことなど、言わなければよかったと思った。どうやらわたしは災難を呼ぶ達人らしい。


 実際、そいつは災難だった! 赤ん坊はすさまじい大騒ぎとともにやってきて――たかが生まれる程度のことでさえ、騒ぎを起こさずにはいられないやつなのだ――、一目見るなりわたしはそいつが大嫌いになった。やつは扱いにくい子供だった――とりわけ、わたしが相手をしてやるときは、かならず機嫌を悪くした。おまけに、のべつまくなしに人の気を引こうとする。母は実際、やつに対しては馬鹿同然で、わざとそうしているのにそれがわからないのだ。遊び相手として役に立たないなどというレベルではない。一日中寝ているばかりだし、わたしはやつが目を覚まさないように、家の中をつま先で歩かなければならなかった。父を起こさないようにすることなど、いまではものの数ではなかった。もはやスローガンは「坊やを起こさないで」に変わったのだ。わたしには赤ん坊がなぜちゃんとした時間に寝ようとしないのか、どうしてもわからなかったから、母の姿のないときは、いつも赤ん坊を起こした。ときどき眠らないようにつねったこともある。それもそのうち、母に見つかって、情け容赦もない平手打ちを喰らっただけだった。


 ある日の夕方、父が仕事から帰ったとき、わたしは前の庭でおもちゃの汽車で遊んでいた。父には気がつかないふりをして、その代わりにわざと大きな声でひとりごとを言った。
「もしもうひとり、あのどうしようもない赤ん坊がこの家に来るようなことがあったら、ぼくは出ていくからな」


 父の脚がぴたりと止まり、肩越しにわたしを見下ろした。「おまえはいまなんて言った?」と厳しく聞いてきた。


「ひとりごとを言っただけ」うろたえたわたしはあわててそう答えた。「個人的なことだよ」
父は一言も言わず、背を向けて行ってしまった。


 確かにわたしは重大な警告を発したつもりではあったのだが、その効果はまったくちがうものとなって現れた。父がひどく優しくなったのである。もちろんわたしにはその理由がわかった。赤ん坊のせいで、母にはまったくうんざりしてしまったのだ。母ときたら、食事中にさえ立ち上がって、ゆりかごの赤ん坊を馬鹿になったような笑みを浮かべて、ぽかんと口を開けたまま眺めている。そればかりか、父に対しても、あなたもそうしてみて、とうながすのだから。父はいつも如才なく調子を合わせていたが、当惑顔をしていたところを見ると、母がいったい何を言っているのかよくわからなかったにちがいない。彼は赤ん坊が夜中に泣くとこぼしたが、とたんに母は不機嫌になって、坊やは何も理由がないときには泣いたりしません、と言うのだった。だがそんなことは真っ赤な嘘で、赤ん坊は何でもなくても、注意を引きたいというだけで泣くのだから。母が愚かであることを知るのは、たいそうつらいことだった。


 父が好ましくなったわけではなかったが、彼はちゃんとした知性を備えていた。やつの正体を見抜いていたし、わたしが父同様見抜いていることもわかっていたのだ。


ある晩のこと、わたしはびっくりして目を覚ました。わたしの横に誰かいる。ぎょっとした瞬間、母にちがいない、分別をとりもどして、永久に父を見捨てたのだ、と思った。ところがそのとき、隣の部屋で赤ん坊の泣きだし、母の声が聞こえた。「よし、よし、よし」そこでわたしはわかった。これは父なのだ。父はわたしの隣で横になって、まんじりともしないままに荒い息をしていた。ひどく腹を立てているらしい。しばらくしてわたしは彼の怒っている理由がわかった。今度は父の番だったのだ。大きなベッドからわたしを追い出したあと、つぎに自分が追い出されたのだ。母の頭はいまではあのいやらしい赤ん坊でいっぱいだったから。


 わたしは父がかわいそうでならなかった。わたし自身がその経験をくぐり抜けてきたのだ。わたしは年こそ幼かったが、寛大だった。彼の背中を優しくたたいてこう言ってやった。
「よし、よし、よし」


 父はいっこうに反応しない。「おまえも眠れないのか?」うなるようにそう聞いた。


「ねえ、ぼくの方に腕をまわしていいんだよ」わたしは言うと、父はおそるおそる、としか言いようのないやり方で、そっと腕をのばしてきた。その腕はごつごつと骨張っていたが、何もないよりはましだった。


 クリスマスが来ると、父はわざわざ出かけていって、わたしのために実にすばらしい鉄道模型を買ってくれたのだった。



The End