陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

鶏のように

2008-07-10 23:04:10 | weblog
わたしが学生の頃、「ショウビズToday」という番組を、金曜日の夜やっていた。
ちょうどCNNが日本に紹介されて間もないころで、アメリカでやっているのを二週遅れぐらいで吹き替えと字幕で放送するのだ。

映画の興行成績トップ10があって、インタビューがあって、ビルボードトップ10で終わる。毎週楽しみに見ていたような気がする。

インタビューを見ていて、映画スターと呼ばれる人が(当時はケヴィン・コスナーやトム・ハンクス、ハリソン・フォードなどが常連だった)たいてい「(映画スターといっても)自分は退屈な男だ」と言うのがおもしろいなあ、と思った。

というのも、わたしが見るところ、「退屈な人間」というレッテルを貼られることを極端に恐れるアメリカ人が圧倒的に多かったからだ。

自分は友だちがたくさんいる。
わたしにはやるべきことがたくさんある。
自分はこんなボランティア活動をやっている。
忙しく過ごし、豊かな人間関係を築いている自分は、退屈とは無縁だ。

そういうことを熱心にアピールするのがアメリカ人、という印象を持っていた。
ところが映画スターなど、退屈とは無縁の人種のように見えるのだが、口々に自分の平凡さを訴える。それは自分の庶民性をアピールしたい、というよりも、みんなが想像しているような、カラフルな生活なんかじゃないんだ、ということを訴えたがっているらしかった。

ほんとうに映画スターが「退屈」な生活を送っているか、それともカラフルな生活を送っているのかどうかは知らないし、実際のところたいして興味もないのだけれど、「退屈」とみなされることを恐れるアメリカ人は、映画スターにでもならなければ、その恐れから解放されないのだろうか、えらくしんどい話だなあ、と思ったことを覚えている。

いまのわたしは一仕事終えて、二週間ほどゆるーい生活を送っている。
何度も聞いたDream Theater にやっぱり魂を抜かれ、本を読み、洗濯物が早く乾くのに喜び、アイロンをかけたり部屋の掃除をしたり、少し念入りな食事を作ったりしている。
あまり人にも会わず、おそらくほかの人からみたら、さぞかし「退屈な日」なのだろうが、なかなかいい日々だ。きっとわたしがおっそろしく退屈なせいだからなのだろうが、退屈な日はちっとも退屈ではないのである。

そういうなかで、「鶏的思考的日常vol.21」をやっとのことで書き上げることができた。なにしろ鶏頭なもので、もう何にも覚えてないのである。
vol.22もすぐにまた書くつもりです。

またお暇なときにでものぞいてみてください。
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