AD-LIVE ZERO ライブビューイングに行って来ました。14日昼公演です。
正直アドリブ舐めてました。きっと内輪ネタだらけの楽屋落ちになるんだろうなと思ってたし、舞台劇として物足りないだろうなと思ってた。推しが出るだけでコンテンツにはマイナス印象でした。
ですが見たらその印象は覆されました。いやーすごかった、エンディングで放心状態だったわ。打ちのめされたって感じです。ボーっと電車に乗って帰って家についてまず出た独り言は「なんなん・・あれなんなん・・(なぜ関西弁?)」でした。2008年のナイロン公演以来だわあんななったの。
思ったのと全然違ってた・・あれ本当に即興の台詞なの?実は考えて組み立ててないの?もう驚きの連続で圧倒されるとはまさにこの事
私は昼公演しか見てないんですが、夜公演は笑いに振り切ってたらしいので貴重な回をライブで体験できたんだなとしみじみ、巷では笑いの多かったソワレの方が注目されてたけど、演者が慣れて遊ぶ位に余裕のあった(と推測)ソワレを見たとしても自分はマチネの方を評価するんだろうな、それぐらい凄まじかったです。
パンフに浅沼さんが書いていた「主催の鈴村さんと対峙するのは引退試合のよう」という言葉、よーく分かりました。AD-LIVEの創設者にしてストーリーの技巧者、まさにラスボス、それに対し予定調和を嫌う最強の破壊神とのタッグはまさにラスボス戦、殴り合いかと思いきや実は協力しあってラストへ繋げてる。不条理劇ともいうような展開を見せながらも感動のラストでしめる大好きですこういう作品。
即興だし、アドリブワードが多少笑いに走った物でも強引にストーリーに盛り込む二人、そのやり方も対称的でした。
あくまでも自然に入れ込む鈴村さんととにかく意図的に消化させつつここぞと言うときに最強のワードをぶっこむ吉野さん、何も考えずただただその場で消化してたように見えたから逆にパズルのピースのようにがっちり嵌った一言の存在感がすごかった。「神引き」だとの感想があったけどそう思わせるための演技の計算でのワードの使い方だったとしたら恐ろしい演者だわ吉野裕行って・・まあ偶然だっただろうけど、キラカンの協力エチュードのやり方を見てるとどうしてもそう疑ってしまう。
あれ見てる人ならあの人の「自由な演技」がどれだけ意図的な物か分かるはず、相手によって自分の立ち位置を決める、この人の対峙ならまずは待った方がいいのか、最初からぶっこんだほうがいいのか、割合で行くと相手が受動型だと思うと自分が動く、主導権を握りたい人だと相手の出方を見てから動く、乗ることも乗せることもできるから一見相手のペースに巻き込まれていると見えても実は彼の掌の上で踊らされていることに気付く。協力エチュードでゲストがぐったりしてしまう理由がこれなんですよね。吉野さんの行動には理由が存在する。彼の発する「何も考えてない」と言うのは後日談を聞くと(ラジオで割と話してくれる)嘘であるとわかり、その時初めてかれの恐ろしさに気付き打ち震えるというところまでがセットなんです。昨日の昼公演での感想で「怖かった」とつぶやいていた人がいて「おお、私と同じ!」って心の中で握手しました。
ファンの欲目かもしれない、でもそうなんですよ吉野裕行は怖いんです。
その化け物ともいえる彼と対峙した鈴村さんはまるでコンピューターのように瞬時に受け止めそれに見合った展開を構築していく、知識と語彙の豊富さと経験でストーリーの主導権を握ろうとする。こちらもすごい。あの柔和な顔の内側で緻密な計算をする冷静な裏顔があり、それを表に見せないこちらも最強。二人の会話は台本がないはずなのに自然で私は途中から一つのストレートプレイを見てるような気さえしました。二人の演技にのめりこんでは時折出す紙に現実に戻されたりもう大変。欲を言えばあの紙を出す演出はいらなかったなあ。もちろんあれがあるから笑いに持っていけるし演者によっては助けにもあると思うけど、この二人には必要なかったのでは・・せっかく世界に入り込んでいても引き戻されてしまうんだもの。特に吉野さんにはアドリブワードって助けというには枷にかんじてしまってもったいないなと思いました。でも一番笑いがあったのってワードの所だしなあ。複雑です。
やっぱ笑い重視なんですかね。鈴村さんはのあるワードが受けていたけど私はあれ興ざめでした。役者のプライベートを想像させるワードなんて所詮内輪受け、ファンの悪ノリが痛かったです。吉野さんも「ハロプロ」とか出たらどうしようかと心配したけどなくてよかった。
とりあえず夜公演は見てないのでブルーレイをポチりました。コメンタリーもあるみたいで楽しみだ。
正直アドリブ舐めてました。きっと内輪ネタだらけの楽屋落ちになるんだろうなと思ってたし、舞台劇として物足りないだろうなと思ってた。推しが出るだけでコンテンツにはマイナス印象でした。
ですが見たらその印象は覆されました。いやーすごかった、エンディングで放心状態だったわ。打ちのめされたって感じです。ボーっと電車に乗って帰って家についてまず出た独り言は「なんなん・・あれなんなん・・(なぜ関西弁?)」でした。2008年のナイロン公演以来だわあんななったの。
思ったのと全然違ってた・・あれ本当に即興の台詞なの?実は考えて組み立ててないの?もう驚きの連続で圧倒されるとはまさにこの事
私は昼公演しか見てないんですが、夜公演は笑いに振り切ってたらしいので貴重な回をライブで体験できたんだなとしみじみ、巷では笑いの多かったソワレの方が注目されてたけど、演者が慣れて遊ぶ位に余裕のあった(と推測)ソワレを見たとしても自分はマチネの方を評価するんだろうな、それぐらい凄まじかったです。
パンフに浅沼さんが書いていた「主催の鈴村さんと対峙するのは引退試合のよう」という言葉、よーく分かりました。AD-LIVEの創設者にしてストーリーの技巧者、まさにラスボス、それに対し予定調和を嫌う最強の破壊神とのタッグはまさにラスボス戦、殴り合いかと思いきや実は協力しあってラストへ繋げてる。不条理劇ともいうような展開を見せながらも感動のラストでしめる大好きですこういう作品。
即興だし、アドリブワードが多少笑いに走った物でも強引にストーリーに盛り込む二人、そのやり方も対称的でした。
あくまでも自然に入れ込む鈴村さんととにかく意図的に消化させつつここぞと言うときに最強のワードをぶっこむ吉野さん、何も考えずただただその場で消化してたように見えたから逆にパズルのピースのようにがっちり嵌った一言の存在感がすごかった。「神引き」だとの感想があったけどそう思わせるための演技の計算でのワードの使い方だったとしたら恐ろしい演者だわ吉野裕行って・・まあ偶然だっただろうけど、キラカンの協力エチュードのやり方を見てるとどうしてもそう疑ってしまう。
あれ見てる人ならあの人の「自由な演技」がどれだけ意図的な物か分かるはず、相手によって自分の立ち位置を決める、この人の対峙ならまずは待った方がいいのか、最初からぶっこんだほうがいいのか、割合で行くと相手が受動型だと思うと自分が動く、主導権を握りたい人だと相手の出方を見てから動く、乗ることも乗せることもできるから一見相手のペースに巻き込まれていると見えても実は彼の掌の上で踊らされていることに気付く。協力エチュードでゲストがぐったりしてしまう理由がこれなんですよね。吉野さんの行動には理由が存在する。彼の発する「何も考えてない」と言うのは後日談を聞くと(ラジオで割と話してくれる)嘘であるとわかり、その時初めてかれの恐ろしさに気付き打ち震えるというところまでがセットなんです。昨日の昼公演での感想で「怖かった」とつぶやいていた人がいて「おお、私と同じ!」って心の中で握手しました。
ファンの欲目かもしれない、でもそうなんですよ吉野裕行は怖いんです。
その化け物ともいえる彼と対峙した鈴村さんはまるでコンピューターのように瞬時に受け止めそれに見合った展開を構築していく、知識と語彙の豊富さと経験でストーリーの主導権を握ろうとする。こちらもすごい。あの柔和な顔の内側で緻密な計算をする冷静な裏顔があり、それを表に見せないこちらも最強。二人の会話は台本がないはずなのに自然で私は途中から一つのストレートプレイを見てるような気さえしました。二人の演技にのめりこんでは時折出す紙に現実に戻されたりもう大変。欲を言えばあの紙を出す演出はいらなかったなあ。もちろんあれがあるから笑いに持っていけるし演者によっては助けにもあると思うけど、この二人には必要なかったのでは・・せっかく世界に入り込んでいても引き戻されてしまうんだもの。特に吉野さんにはアドリブワードって助けというには枷にかんじてしまってもったいないなと思いました。でも一番笑いがあったのってワードの所だしなあ。複雑です。
やっぱ笑い重視なんですかね。鈴村さんはのあるワードが受けていたけど私はあれ興ざめでした。役者のプライベートを想像させるワードなんて所詮内輪受け、ファンの悪ノリが痛かったです。吉野さんも「ハロプロ」とか出たらどうしようかと心配したけどなくてよかった。
とりあえず夜公演は見てないのでブルーレイをポチりました。コメンタリーもあるみたいで楽しみだ。