2日の「二コミュの部屋」は真面目でしたね。演出家がいたせいか健ちゃんも割と静かで終始落ち着いた雰囲気の番組でした。
その中で印象に残った話をとりあげようかな。
やはり健ちゃんと渡辺君の違い。
二人とも真面目に取り組むのは似てるんだけどタイプが全然違う
自分にない役とか理解出来ない役に対して
渡辺君→その役を外側から理解しようとして(関連する本を読んだり映画をみたり)参考にしつつ自分の表現を加えて全体像を組み立てる。
これってあくまでも俯瞰でその役を見て自分なりに演技するってことなのかな。その役には取り込まれない入り込まない。難しいけど藤木君がこのタイプの俳優な気がする。
健ちゃん→(人を殺す役?に当たった時)殺すということが理解できないわからない経験がないから(当たり前)だけど演出家の世界観に入り込んでいったら、ご飯も喉を通らなくなったし体調も悪くなった。
まあ、これは特殊な役だったからだろうけど、今回のカンタレラの役でも「チェーザレが怖い、稽古中でもどこかイライラして目付きも悪くなる」と言っていたからこの人はたぶん本能で役に近付いていくタイプかな。ただ彼は取り込まれるんだろう。(キム○クが同じなんだけど、あの人は近付いていってその役を全部化学反応でキム流に変えてしまうからな。キ○様は人殺しの役で気分悪くなったりしないでしょきっと)良くも悪くも役に影響されるわけだからリアリティは出る
で、この二人「役になりきれる」のはどちらかというと渡辺君になると思う。それがいい悪いじゃなくて「なりきる」というのは仮面をつけることだからね。渡辺君は千の仮面は持っていないけど自分で仮面を作って付ける役者ではないでしょうか。
じゃあ健ちゃんは仮面はないのか素で出てんのかっていうと健ちゃんだって仮面は作る(原作を読んだり調べたり)でも作ってる時点で役に入っていっちゃうから仮面そのものがどうでもよくなるんではと思う。仮面を持ったまま取り込まれてしまう感じかな。危険です(笑)
まあ、二人の演技に対する考え方の違いから勝手に思っただけですがね。あくまでも個人的主観です。
ただ、渡辺君は語るよな~熱いのはいいんだけど健ちゃんの言葉を遮るのは勘弁してほしいと思いました。
「生き急いでいる世界観が・・」の後何か言いたかったはずなんだよー。あのときは「わたなべぇ~!」と心の中で叫んだわ(怒)
ああいう性格(語りたがり)から彼は理詰めで考え役を作り上げるタイプの役者と判断しました。後、自分主体ね。キメさんも演技は見たことないけどタイプ的に同じかな。頭で考える役者
健ちゃんも最初そうかなーって思ったけど、いくつか役見ててこの子は取り込まれてるなーって感じるようになってきた。憑依型とも違うんだよね、もう少し奥を探ってみたい。
ともあれこういう違うタイプの役者が化学反応起こすから舞台は面白いんだよなあ。
で、ここからはちょっと毒吐き
昨日の二コミュの楽屋は濃かったですね。ただいつも思うのがこれって「カンタレラ」の宣伝になってないよなという・・だって私欠かさず見てますけどどうしてもリアチケはおろかネチケを買う気になれませんもん。
ゲストがわちゃわちゃしてるのもいい。真面目に役者語りするのもいい。
でも肝心の「カンタレラ」の世界ががちっとも伝わってこないんですよ。
まず、おかしいのが初演でDVDまで出してるのに映像も流さないしほとんど触れない。
歌の出来や演技の問題うんぬんは置いといて一応ストーリーは起承転結の分かりやすいものだったから入門書として番組で紹介するものだと思います。
憶測でしかないけどプロデューサーは初演をなかったことにしたいんじゃないかとまで勘ぐってしまいましたよ。(今回の再演をあの人の意地だと思ってるからね)
今回は「役者の無駄使い」と言われないように祈るばかりです。