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通圓

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写真は、外観。

通圓(つうえん)は平安末期に創業した宇治橋の橋守をしつつ、旅人にお茶を提供するお店でした。
今もお茶の販売や、甘味や抹茶ソフトなどのイートインスペースを併設したお店になっています。
また狂言の演目「通円」としても名が知られています。

アクセス
京阪宇治線の終点、宇治駅で下車します。
改札を出て真っ直ぐに進んでロータリーに出ます。
右手に進み府道7号線に出て、信号を直進します。
信号を渡った正面の宇治橋東詰に通圓があります。

平安末期、源頼政の家臣古川右内が隠居し、「太敬庵通圓政久」と名乗り、宇治橋東詰に庵を結びました。
初代通圓は後に源頼政が起こした平家討伐の宇治川の合戦に出陣し、討ち死にしています。
その後も庵は「通圓」として宇治橋の橋守をしつつ、旅人に茶を差し上げてまきました。

今の建物は1672年に建てられたもので、江戸時代の町屋遺構を残しています。
正面の庇は深いわりに柱が少なく、間口を広くしています。
これは南禅寺別荘群の同じように庇のはね木を太い梁で押さえることで、往来の人々が出入りしやすいようにしています。
お店の左手はお茶や茶団子などのお土産物の店舗。
正面の店の間には400~500年前の茶壷がならび、
一休和尚から頂いた「初代通円」の木像、
宇治川の水を組むための釣瓶、
創業当時にお店の土間で使われていたらしい茶釜、
伏見城(指月城)の瓦などが置かれています。

またお店の右手はイートインスペースになっており、抹茶の甘味、抹茶ソフトや茶そばなども頂けます。

狂言 通円
旅の僧が宇治平等院に参詣します。
無人の茶屋に茶湯が手向けてあるのでいわれを聞くと、昔通円という茶屋坊主が、大勢の客に茶を点てて、ついに点て死にした。
今日がその命日に当たると。
すると通円の亡霊が現われ、自分の最期のありさまを語ります。
「都からの修行者が三百人もおしよせてきた時、通円は一人残さず茶を飲まそうと奮闘したが、ついに頼みの茶碗、柄杓も打ち割れてしまった。もはやこれまでと平等院の縁の下に団扇を敷き、辞世の和歌を詠んで死んだのだ」。
そう語り終えた通円の亡霊は、僧に跡の供養を頼んで消えてしまいます。

本来は通圓が宇治川合戦で刀折れ矢尽きて、扇を下に引き切腹したのを
「茶化」しているという意味があるそうです。


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