奇跡への絆

図師ひろき

総務常任委員会県南地区調査5

2013年07月08日 23時38分30秒 | Weblog

 新燃岳噴火を思い出してください・・・

 その時、最も被害の大きかった高原町で防災に関する意見交換をさせていただきました

     

 2011年1月19日、小規模噴火により、広範囲で降灰を確認。

 1月26日、中規模噴火で、本格的なマグマ噴火開始。

 この時、大量の灰や軽石が放出され、警戒レベルが2から3に引き上げられ、入山規制が発令されました。

 1月27日、52年ぶりの爆発的噴火。

 広範囲で空震があったことは覚えていらっしゃる方も多いと思います。

 この時、高原町長は警戒レベル3であったときに、避難勧告を出されました。

 国の基準では、レベル4で避難勧告を出すようになっているようですが、町長の判断ですべてレベル1アップの対応をするように職員にも指示を出されています。

      

 住民誘導を最前線で行う消防団との連携も素晴らしく、避難した612人の住民はもちろんのこと消防団員も含め誰一人としてけが人を出すことなく、避難を完了しています。

 それでも避難所となった町営施設では、避難が長期化するにつれ、様々な困難が発生したようです。

 風呂やトイレが慢性的に不足したことや個人のスペースを確保するための間仕切りがなかったこと、そして夜間救急や要介護者への対応に関してマンパワー不足は否めなかったとのことでした。

 しかし避難誘導から避難所生活をなんとか円滑に乗り切ることができたのは、やはり日頃から各行政区や各班での組織が生きていたところが最も効果を発揮していたようです。

 大噴火でも混乱の中でもけが人も行方不明者も出さなかったことは、地域の絆の賜物であったことに間違いはありません。

     

 そして2月15日、避難勧告地域の全面解除。

 2月17日、避難所の閉鎖に至ります。

 上の写真は、被災後に設置された簡易避難所です。

 高原の経験を生かし、県全体の防災力を高めていきます。