奇跡への絆

図師ひろき

雑感125

2011年05月31日 23時29分24秒 | Weblog


 不規則な食生活が続いているため、野菜を意識して摂るようにしています。

 それでも外食が多いため、どうしてもバランスのとれた栄養補給ができているとは言えません・・・

 それを補うために野菜ジュースをよく飲みます。

 寝起きの一杯はコーヒーではなく、野菜ジュースです。

 

 今日は昼ご飯と一緒に野菜ジュースも購入し、いつも以上に健康な気持ちに浸っていました。

  

 食事を終え、ゴミ箱に捨てる前に、ジュースのパックを平らに広げていると・・・小さな感動を見つけました!

  

 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私は今まで紙パックを平らにしていたにもかかわらず、この感動には一度も気付きませんでした。

 どこに感動が隠れているか分りますか?

 ここです!

    

 「たたんでくれてありがとう」

 この文字に出会ったとき、なんとも言えない幸せな気分になりました。

 紙パックをそのまま捨てていては出会うことのない、小さな思いやり・・・紙パックを平らにすることにより、ゴミも効率的に捨てられるし、リサイクルもしやすくなる・・・その手間を惜しまなかった人だけが、こっそり出会える“ありがとう”

 もしまだこの小さな感動に出会ったことのない方は、一度試されてみてはいかがでしょうか?

 やみつきになりますよ!


つめあと

2011年05月30日 23時24分22秒 | Weblog


 台風一過、眩しい青空が広がった一日でしたが、皆さんの周りの状況はいかがでしょうか?

 宮崎に近づくにつれて、進路が東側に反れたため、大きな被害はなかったようです。

 新燃岳周辺の情報収集をするため登庁し、自分の執務室でデスクワークをしている時に、台風の影響を受けてしました・・・

 ジワジワを浸水してくる水の被害にあってしました・・・

 最初は全く気付かなかったのですが、気付いたときに手遅れで、ズボンは思いっきりびっしょり・・・パンツまで・・・

 そうなんです・・・いつも使っているイスが水浸しで、スポンジみたいに水を吸っていたので、濡れているのに気付かず、仕事をしていると・・・

 「うわっ!冷て!」

 慌てて立ち上がりましたが、時すでに遅し・・・

  

 “誰がこんなとこに水をこぼしたんだ・・・”

 と考えてみても思い当たらず、ふと天井を見上げると・・・

   


 見事な雨漏り!

 まだイスが濡れ、パンツが湿った程度でおさまりましたが、もし近くのOA機器がやられていたらと考えると・・・

 梅雨にも入り、これから本格的な台風シーズンも迎えます。

 雨漏り対策もお忘れなく!





 


GAP

2011年05月29日 23時30分23秒 | Weblog


 Good Agricultural Practice(GAP)をご存知でしょうか?

 農業生産工程管理といい、農産物の安全性を向上させ、環境にも配慮し、生産者の労働環境を健全化することも含め、農場での管理体制を強化することを目的とした取り組みのことです。

 国もすでにガイドラインを示しており、野菜、米(飼料用を除く)、麦(飼料用を除く)、果樹、茶などを対象とし、農薬や肥料の使用、土壌管理、危険な作業の把握などを管理点検することにより、消費者にも今まで以上に安心で安全な提供できるルール作りを提唱しています。

 先日、県総合農業試験場で開催されたGAPの推進研修会に参加させてもらいました。

    

 まず本県におけるGAPの取り組みについての概要説明があった後、オーガニック認定検査も手がけられる水野先生による“有機JAS認証とGAPについて”と題した講演と実際GAPに取り組まれている茶生産農家の森本さんの講演がありました。

 今までにも農作物に付加価値を高めるため、トレーサビリティ(生産履歴)やポジティブリスト(残留農薬規制)などは実践されていますが、GAPはさらにち密で、出荷停止や農作業事故などを起こさないための対策をルールとして定め、定期的に改善させていくプログラムです。

 国内市場はもちろんのこと、世界的にもこのプログラムに取り組む有機農地は飛躍的に拡大しています。

 このことはオーガニック食品市場規模が増大していることを意味し、アメリカのオーガニック市場は230億ドル(約2.4兆円)に達し、成長率は16%にもなっていますし、ヨーロッパでも同様な傾向となっています。

 また東アフリカ地域ではオーガニック基準と有機認証制度を導入し、大規有機模農場管理も展開されています。
 
 安いだけではない、安心して食することのできる農作物や加工品のニーズは世界規模で広がりをみせています。

 迫り来るTPPにのみ込まれることなく、逆に攻めの農産品海外輸出を仕掛けるためにもGAP推進は有効な手段であることに間違いはありません。

 今回、研修で学んだことを今後の生産者との意見交換の中で活かしていきます!

   



 

 


出番です!

2011年05月28日 22時51分41秒 | Weblog


 県は、東日本大震災支援のため「みやざき県民復興協力隊」事業を立ち上げました。

 内容は、100人規模の“みやざき県民復興協力隊”を募集し、被災地で家屋などの泥だし、清掃、片付けなどのボランティア活動を行うものです。

 20名を1グループとして、5グループに分け、6月6日から5泊6日の日程で1グループずつ福島県のいわき市に派遣されます。

 すでに1~3グループは、県の経済団体協議会を通じて募集されているため、一般県民の方が申し込みできるのは、6月27日出発グループと7月4日出発グループの40名です。

 応募条件は、県内在住、在学、在勤の方で、20歳以上(概ね50歳以下)。

 現地のボランティアニーズと現地ボランティアセンター及び事務局の指示に従って活動を行っていただける方、そして6月18日午前10時30分からの事前研修会に参加できる方となっています。

 宮崎空港から現地までの交通費及びボランティア活動保険料は事務局が負担しますが、自宅から空港までの交通費、現地宿泊費、行程中の飲食代、その他携行品に要する費用は自己負担となります。

 〇応募先 宮崎県ボランティアセンター

 〇住所  宮崎市原町2番22号 宮崎県福祉総合センター内

 〇電話  0985-25-0539

 〇FAX  0985-31-6575

 申し込み期限は、6月10日午後5時までとなっています。

 先着順です!

 各グループとも定員になり次第締め切られます。

 被災地でのボランティア活動を個人的に調整することはたいへんな労力を要しますので、スケジュールの都合が付く方は、奮ってご応募ください!

 もし応募者が定員に達せず、公務に支障をきたさなければ私も応募したいと思っています!


次は宮崎かもしれない

2011年05月27日 23時02分42秒 | Weblog


 先日、川南町通浜で行われた防災訓練に参加させていただきました。

    

 今回の訓練は、一人暮らしの高齢者や高齢者夫婦世帯を対象に行われました。

 防災放送がけたたましく流されると、消防団員や民生委員の方々が中心となって、避難者を誘導し、町のバスが迎えに来る高台まで移動しました。

 

 

 

  

 当初予定されていた参加者よりも、かなり多くの高齢者が避難場所に来られており、関心の高さは一目瞭然でした。

    

 ここで参加者から声をかけられました・・・

 「この高台は、海抜何メートルかしっちょるね?」

 さすがに

 「・・・分からないですね・・・」

 「今回の訓練は、どれくらいの震度で、高さ何メートルの津波が来ると想定されちょっとね?」

 「・・・」

 「ここは海抜7mくらいよ!東北と同じくらいの津波なら、この高台も簡単にのみこまれちょるわ!訓練するなら、そこまで調べてせんとな!!」

 地元の方ならではの貴重な意見をいただきました。

 しっかり肝に銘じて、今後県が行う防災訓練に活かすようにします!

    

 避難所となる公民館にバスが到着し、日高町長が出迎えられました。

 すぐさま役場職員による避難者への聞き取りが始まり、身体状態などの確認をされました。

  

 今回の訓練を総括する消防団長の挨拶の中で

 「東日本の震災では、地震発生から約8分で津波が押し寄せてきた所があります。

 はじめは小さい津波でも油断することなく迅速な行動を心がけてください。」

 強く訴えられました。
 
  

 私は訓練に同行しながら、サイレンが鳴って、避難所にバスが到着するまでの時間を計っていました。

 22分。

 事前に訓練が周知されていても、これだけの時間がかかってしまうということは、実際の災害時には・・・

 いざという時にも、的確な行動をとるためには、一にも二にも訓練あるのみです。

 次は日向灘沖かもしれないという緊張感を持っていただき、地域や職場などで行われる防災訓練には積極的に参加してください。

 県としても防災計画の見直しを急ピッチで進めています。

 情報が広く県民に行き渡るように、しっかりと啓蒙にも努めます。 

 



雑感124

2011年05月26日 23時23分25秒 | Weblog
 松島には何度か行きました。

 大学時代、何度行ったかまでは覚えていませんが、当時は全国に3校しか福祉の専門大学はなかったので、あちこちから学生は集まっており、仲間と宮城観光をしようと言うことになれば、松島に行き、また高校時代の友達が仙台に遊びに来れば、とりあえず松島といった具合でした。

 「松島や ああ松島や 松島や」 

 松尾芭蕉が表現する言葉が見当たらないくらい感嘆した松島ですが、すっかり観光地化されており、確かに風光明媚ではありますが、正直言って芭蕉ほど心奪われは…

 フェリーで島巡りをしながら、カモメにエサを投げたり、あるときはボートを漕いで島を一周して、そのまま上陸したり…

 今思えば、無茶してたな…

 先日、テレビで松島にある水族館が営業を再開したニュースが流れました。

 見覚えのある館内に映し出されると、はしゃいでたあの頃が蘇りました。

 仙台に行くことが決まりました。

 行政視察と政務調査のため、ボランティア活動をする時間はありませんし、もちろん松島まで足を延ばすこともありません。

 でも必ずボランティア活動にも行きます。

 そして松島水族館復興にも役に立てたらと思います。

雑感123

2011年05月25日 23時22分35秒 | Weblog
 小学5年生の甥っ子の頬っぺたに大きな引っかき傷ができていました。

 「どうした?」

 「喧嘩した…」

 「誰と?」

 「友達」

 「なんでか?」

 「俺がなんかしよったらずっと横かいちょっかいだかい…」

 「仲直りしたか?」

 「した」

 「それならいい、もっと仲良くなったやろ!」

 「なった!」

 「よしよし。」

 すでに甥っ子は自転車でこけて、左腕を骨折しており、ギブスをしたまま取っ組み合いになったようです。

 訳もなく喧嘩することを良しとはしませんが、仲直りして仲良くなることはいいこと。

 私も同じ5年生のとき、近くに住む友達と遊んでいたら喧嘩になり、つかみ合いながら倒れ込んだところが花壇で、土まみれ花まみれになった記憶があります。

 その友達とは、もちろん親友となり、彼は今、厚生労働省に勤務しており、いつも力を貸してくれています。

 「引っかかれて痛かったか?」

 「いてかった…」

 「相手もいてかったっと!」

 甥っ子は末っ子ということもあり、とにかく天真爛漫なわんぱく坊主です。

 ただわがままの度が過ぎると私も手が出ます。

 もちろん理性的に。

 わんぱくでもいい、逞しく、そして人の痛み、心の痛みを察することのできる若者になるように見守っていきます。

後悔を糧に

2011年05月24日 23時30分34秒 | Weblog


 今から10年ほど前

 「2、3日草刈りをしたらどうも体の調子がいかんが・・・ひろき、病院に連れて行ってくれんか・・・」

 いつも元気印だったじいちゃんが、珍しく弱気な表情で頼ってきました。

 たまたま休みだった私は、隣町の病院まで一緒に行きました。

 診察の結果、疲れと筋肉痛でしょうということで、湿布をもらって帰り、痛がるところにペタペタと貼り、これで一件落着・・・ちょっとしたじいちゃん孝行をしたつもりでした・・・

 ところが次の日

 「痛みがとれんが・・・ちっと見てくれんか・・・」

 「ぼちぼち湿布を貼りかえんといかんね。」

 と、乾きかけの湿布をめくってみると、そこには赤い発疹がいっぱい・・・

 痒みではなく、かなり痛がるのでそのまま再び病院へ・・・

 先生は、患部を見るや否や

 「なんでこんなになるまでほっといたのか!かなりの帯状疱疹ですよ!即入院です。」

 その入院治療が2ヶ月ほどかかり、じいちゃんはすっかり弱ってしまいました・・・特に足腰が・・・

 退院してからも治療は長引き、症状は徐々によくなっていきましたが、じいちゃん弱り続けました・・・足腰というより、気持ちが弱っていったのでしょう・・・じいちゃんは段々と出不精になり、私たちが思っていたよりもかなり早く介護が必要な状態となってしました。

 手を引き近所を散歩するように心掛けてはいましたが、退院して1年半あまりで自立歩行ができない程になり、ほどなく老人ホームにお願いすることになりました。

 それから約8年・・・

 ばあちゃんをなんとか家で看取り、今度はじいちゃんを連れて帰らなければと思いながらも、議員活動と選挙準備に追われている間に、家に連れて帰ることが困難なほど医療的ケアが必要になってしまいました・・・

 じいちゃんの晩年には、申し訳なさがいっぱいあります・・・

 と同時に、日本の医療・福祉制度の限界も心に刻んできました。

 本人も家族も医療・福祉従事者も充たされない現状があります・・・

 この後悔を糧に、動きます!

 


誇りに思うよ、じいちゃん

2011年05月23日 22時59分50秒 | Weblog


 じいちゃんが起こしてくれました。

 午前4時30分・・・

 泊まり込みの看病中、うとうとしているとき“70”という数字がぼんやり目に入ってきました。

 15分後とに自動計測される血圧計の数字です・・・

 1週間ほど状態は悪いながらも最高血圧が100前後で推移していたので、深夜の付き添いは私だけでした。

 最高血圧が70・・・ハッと我に返り、じいちゃんの耳元で

 「じいさん、もう少し頑張ってな!」

 と声をかけ、携帯電話を握り締め、電話がかけられる所まで走り、家族にいよいよであることを伝えました。

 病室に戻り、じいちゃんに寄り添うと、呼吸は一段と浅くなっていき、心電図の波形も段々と小さくなっていきました・・・

 午前4時50分・・・じいちゃんは穏やかに永眠しました。

 程なく家族が到着し、まだ温もりそのままじいちゃんの寄り添いました。

 いつもは感情を表に出さない親父の泣き崩れた顔を見て、私も緊張感から解き放たれました・・・

 窓の外は、もう薄っすらと明るくなっていました。

 家に帰ってからじいちゃんは、念願が叶ったこともあってか、ゆっくり表情がやわらかくなり、県外からの親戚が帰ってくるころには、微笑すら浮かべているような優しい顔になっていました。

 通夜から告別式と、地区の方々には大変お世話になり、盛大なお見送りをしていただきました。

 告別式では、じいちゃんの初孫で東京で働くいとこが弔辞を送りました・・・

 「・・・じいちゃん、俺たちはじいちゃんの子や孫であることを誇りに思うよ・・・ばあちゃんと一緒に見守っててください・・・ありがとう・・・」

 いつもはクールないとこも、嗚咽をはばからず、みんなの感謝の気持ちを代弁してくれました。

 享年95歳。

 戦前、戦中、戦後と激動の時代を生き抜き、苦しい時も辛い時も明るく前向きに家族を守り、ひょうきん者のじいちゃんの周りには笑顔の花が咲いていました。

 じいちゃんのようにユーモアいっぱいで幸せを配れる人になるよ。

 じいちゃんのように威張らず逞しく人生を切り拓いていく人になるよ。

 じいちゃんのように許す心と包み込む優しさを持つ人になるよ。

 ありがとう、ありがとう、じいちゃん。


延命の判断

2011年05月18日 22時40分20秒 | Weblog
 公務以外はじいちゃんのそばにいるようにしています。

 心拍数は毎分100前後…血圧は上が90前後で下が40前後…呼吸数は30~35…酸素の血中濃度が低くなると、異常を知らせるブザーが鳴り始めます。
 酸素の流量は毎分15㍑…看護師をしているおばでさえ

 「こんなたくさん吸わせてるのは始めて見る…」

 と言うほど、なんとか呼吸が続いている状態です。

 そんな時、主治医から

 「現在は貧血状態にあります…輸血をすれば状態が改善される可能性があります…どうされますか?」

 と治療提案がありました、その旨を親父に伝えました。

 すると親父は

 「俺は詳しいことは分からん…お前が決めろ。」

 私に判断が任されました。

 「輸血をすれば意識レベルが回復して、意思疎通が可能になりますか?しゃべれるようになる可能性がどれほどありますか?」

 「…やってみないと分かりませんが、可能性は高いとは言えません…」

 迷いがなかったと言えば嘘になりますが、心が決まるまでの時間は長くありませんでした。

 「輸血は見送らせてください…このまま安らかに看取ることができれば十分です。」

 そう伝えた後で、じいちゃんの姿を見た時、不安な気持ちが一気に込み上げてきました。

 “少ない可能性にかけてみるべきではないか…”

 “その判断は正しいのか…”

 “じいちゃんは、その判断を望んだのか…”

 「やっぱり輸血を…」

 主治医にお願いする衝動に駈られました…

 それでも

 “介護が必要な状態になって、じいちゃんとこれからどうしたいかを一番聞いたのは俺。”

 “じいちゃんはむげな延命を望んではいなかった。”

 “じいちゃんは家での暮らしを切望していた。”

 “今できる最善は、手を握り、静かに見送ってあげること…”

 家族も納得してくれました。

 今、また酸素血中濃度低下を知らせるブザーが鳴りはじめました…


 家族の看取りは誰しもが通る道です。

 家族の延命判断を委ねられることは何も特別なことではありません。

 是非、大切な人と語り合ってください。