第48回東児湯支部消防操法大会に行ってきました。
児湯郡5町で行われてきた大会で優勝したチームが参加できる名誉ある郡大会です。
私も木城町大会には、選手として参加しましたが、結果は以前紹介したとおりです・・・
午前7時の開会式の時は、まだ心地よいそよ風を感じていましたが、午前9時を過ぎた頃から直射日光が容赦なく団員を照らし付けました。
会場となった高鍋町の東児湯消防組合駐車場は一面アスファルトで、テントの日陰に隠れていてもジリジリと汗が出てくるほどです。
本当に団員の方々には、頭が下がります。
私も同じ消防団員として、のん気に来賓席に座っていることが苦しかったので極力、団員の近くで声をかけさせてもらいました。
操法前の整列です。
この瞬間から審査は始まります。
服装の乱れはないか、あご紐はしっかり結ばれているか、足幅は規定とおりか、隣りの団員との間隔は正確か、などなど・・・審査員の厳しいチェックに緊張感が高まります。
選手の後ろでは、同じ町の団員が額に汗をにじませながら力を送り続けます。
そしていよいよ操法開始!
消防車後方の水槽から水を吸い上げ、火点に向かって一直線にホースを伸ばします。
この火点を倒すまでのタイムが順位を大きく左右します。
しかし速さだけではダメで、その後も節度や声の大きさなど審査員の細かなチェックは続きます。
アスファルト上の体感温度はゆうに40度超えています!
その中でも選手は最後まで、頭の先からつま先、指の先までの緊張感と気合、気迫を維持しつつ、まさに一心不乱に動きます。
是非、一人でも多くの県民の方々に、このひた向きな活動を直接見ていただきたいと切に思います。
私はその立場にありませんが、もし団員に挨拶をさせていただく機会があるとするならば、一言だけこう言いたい
「消防団員は、地域の生命と財産を守ることが使命ですが、皆さん一人ひとりが地域に生命であり、財産です。皆さんとともに活動できることを誇りに思います!」
二言になってしまいましたが、地域活動が希薄になりつつあるなかで消防団活動は、地域の最後の砦のようにも感じます。
私も次の世代が消防団に憧れて、入団してくれるまで活動を続けられればと思っています。
新富町西畦原地区の夏祭りに行ってきました。
その日は朝から断続的な雨
中止だろうな・・・と思いつつも会場に足を運んでみると・・・
公民館の周りにテントやブルーシートを張り巡らした会場からは、すでにアップテンポな音楽がバンバン流れていました
主催者の挨拶が始まる頃には、土砂降りとなり、マイクからの声もかき消されてしますほどでしたが、私はその挨拶の声をしっかり握り締めました。
「・・・この祭りも今回で20年目となります。子どもたちが祭りを楽しみ、心に刻んでくれて、次の世代に引き継いでくれれば最高です・・・」
その言葉、そしてその気持ち、つまり“絆”が、地域から薄れていこうとしています。
それだけ子どものために汗をかこうとする大人が減っているということではないでしょうか?
西畦原地区では、地域の原点が息づいています。
子どもたちは揃いのはっぴを着て、見よう見まねで綿菓子やクレープ、ジュースなどの売り子役をしていました。
公民館に中では、金魚すくいやビール瓶にわっかを投げ入れるゲームも用意されており、ここでも子どもたちが大活躍でした。
雨は残念でしたが、雨にも負けず子どもたちの笑顔を守る地域の方々のひた向きな努力に心が温かくなるとともに、私の政治活動の原点にも立ち返らせてもらいました。
地域を守ります。
今読んでいる、本の中で心に留まった言葉があります。
「他の人のために、君はどれだけの時間を使っていますか。」
「命に、歳を加えるのではなく、歳に命を注ぐようにしなさい。」
私の手帳は、開くと一週間分のスケジュールが書き込めるようになっています。
それぞれの曜日の欄は5行ほど書き込めるスペースがありますが、その曜日が近づくにつれ、窮屈になってきます。
特に週末の欄は、何ヶ月も前から書き込みがあり、週末ほど昼夜問わず動き回っています。
生活のリズムは不規則で、会議や会合が断続的に入り、飲み会がないときは、県庁に残り議会準備に没頭し、帰宅する頃には、23時のニュース番組が始まっており、それを見ながら少し晩酌をします。
21時までに帰れたら、ジョギングをしようと決めていますが、なかなか走れていません。
そんな生活の中、眠る前に、本に目を落としますが、1ページももたず・・・ということもあります。
そこに飛び込んできたのが先ほどの言葉でした。
ふと立ち止まり考えてみました。
“俺のやっていることは、他の人のためなのか・・・自分のためなのか・・・”
スケジュールのほとんどは、どこまでが仕事でどこからがプライベートかの区別がなく、慌しく過ぎていく毎日に、心を亡くしてしまいそうになりながらも、がむしゃらにここまでたどり着いた・・・
“他の人のために役に立てているのか・・・”
議会改革に取り組み、政策を訴え続けながらも、県民の方々にどれほど恩返しができているのか実感を得ることができずもがいているのも事実・・・
しかし、これだけは言える
“選挙のためだけの活動では駄目だ!”
政治家は選挙に勝たなければ、ただの人!とは言われても、選挙のための選挙をしていては意味がないと考えます。
ただ政治家をしていればいい、では意味がない。
政治家として、歳を加えるだけではなく、歳に政策という命を注ぎ込むため、これからも県民のために時間を使うことを惜しみません。
“Thriller”の衝撃・・・
“Beat It”のステップ・・・
“Bad”での噛み付くような表情・・・
今でも鮮明に焼きついています。
マイケルジャクソンを思い出すとき、私の中で最も印象的なのが、ディズニーランドのアトラクション“キャプテンE・O”です。
ディズニーランド開園当時からありましたが、現在は“ミクロアドベンチ<WBR>ャー”というアトラクションに変わっています。
当時大人気だったThrillerの曲に<WBR>合わせて、マイケルが悪の女王に立ち向かい、ゾ<WBR>ンビ達を人間の姿に戻<WBR>して一緒に歌・ダンスをす<WBR>る・・・という感じの内容でした。
3Dメガネをかけて見る映像は迫力満点で、なによりストーリーが良かった!
打ちのめされても打ちのめされても立ち上げるマイケル、その姿に心動かされながらも女王の支配から抜け出さないでいるゾンビ・・・そのゾンビに一体ずつマイケルがパワーを与えると・・・ゾンビは呪縛から解き放たれ、歓喜の中、マイケルのダンスに加わっていく・・・
感動が蘇るな・・・大好きだったなぁ・・・
そんな栄華を極めたマイケルジャクソンもトップスターが故の孤独に苛まれていた感がありますね。
以前、X-JAPANのToshiさんとの話を取り上げましたが、我々では計り知れない孤高が丘に立たれていたのでしょう。
何故あそこまで、白い肌に憧れたのか・・・
子どもの頃のマイケルジャクソンの歌声は、透明感に溢れ、メジャーになってからの生き方は、多くのマイノリティーの羨望であったにも関わらず、ネバーランドに安住の地を求めた・・・
今はただ、感動を与えてくれたマイケルジャクソンのご冥福を祈るとともに、少し不謹慎かもしれませんが、期間限定でも“キャプテンE・O”の復活を望んでいます。
九州北部と山口県では、ゲリラ的集中豪雨で甚大な被害が出ました。
今後の被害が最小限でおさまることを心から願います。
集中豪雨の中、何度か出動したことがあります。
消防団として、台風襲来時に地域の見回りをしていた時、畜産農家の方が慌てて走ってこられ
「牛が流されそうです!助けてください!」
牛小屋に駆けつけてみると、牛小屋の大半は濁流に流され、牛の腹まで増水した川は押し寄せていました。
“どうしたらいいんだ!”
牛は畜産農家にとって財産であり、家族です。
とっさに牛の鼻緒を引き、少しでも高台に連れて行こうとしても、濁流に怯えた牛は一歩も動いてはくれません。
そうしているうちに水かさはみるみる増してきました・・・
“どうしたらいいんだ・・・”
そのときです!団員の一人が
「トラクターで引っ張りましょう!!」
と声を上げました。
畑を耕す用のトラクターが牛小屋の隣りにありました。
特殊免許を持つ団員が、トラクターに飛び乗り、牛の鼻緒をトラクターのロータリー部分に結びつけ、ゆっくりゆっくり引っ張りました。
そして1頭、また1頭と救出することができました。
牛は叫びながらも、一歩目を踏み出すと、二歩目三歩目とスムースに動いてくれました。
強引としか言いようのないその手段は・・・成功したのです!
そしてすべての牛を移動させた時、牛小屋は完全に水没していました。
災害のニュースが報道されるたびに、“なにかできないのか!”と考えます。
あなたは間違っている。
横浜市でのあなたの発言は、高齢者を納税マシーンとしか思っていない恐ろしく寂しい発言です。
あなたの発言を直接聞いていない私は幸いでした。
もしその会場に居合わせたなら、私は制止を振り切り、あなたに
「異議あり!異議あり!!」
と詰め寄っていた。
新聞で確認したあなたの発言は
“日本は65歳以上高齢者のうち、介護を必要としない人は実に8割を超えている。
その高齢者をいかに使うか。
この人たちは皆さんと違って、働くことしか才能がないと思ってほしい。
働くことに絶対の能力がある。
80歳を過ぎて遊びを覚えても遅い。
彼らが納税者ならば、日本の社会保障は全く違ったものになる・・・”
なに言ってんだ!
皆さんはこの発言を、どう感じますか?
その後の釈明発言では
“私の発言の意図が正しく伝わっていない。
元気で活力ある高齢者が多いのが日本だ。
そういう方々には社会参加してもらって働ける機会、場をつくる・・・”
つくっていますか!
つくっていません!!
高齢者への敬意のかけらもないこの発言に最大限の失望を表します。
これが今まで日本を形作ってきた自民党を代表する人の発言かと思うと、すでに日本は末期的な状況と言わざるを得ません。
先人を敬い、尊び、学び知ることが、我々が人間性を失わないことになると信じています。
戦後、奇跡的に復興を遂げることができた日本を懸命に引っ張ってきてくれたのは、間違いなく、じいちゃん、ばあちゃんです。
その方々にあなたは、まだ鞭を打つのですか!
私なら、高齢者の方々に経済活動参加ではなく、生きがいとしての活躍していただく場を提供し、住み慣れた地域で、最後まで暮らしていくことのできる環境を創ることに懸命に取り組みます。
あなたの発言は間違っている!
どうです!この完璧な笑顔!
私じゃなくて、隣りの女性の笑顔のことですよ
先日、宮崎日日新聞にも大きく取り上げられ、ご存知の方も多いと思います。
サバイバルエアロビクス全国大会で第3位に入賞された“渡邊千紘(わたなべちひろ)先生”です。
渡邊先生は、看護士として勤務されていた時に、健康のためエアロビクスを始められ、養成コースを経て、インストラクターとなられました。
その後関西を中心に活動をしながら、競技の方面でも数々の優秀な成績をおさめられています。
主なものは
・1989年 ALL JAPAN CHANPIONSHIP89 西日本代表
・1990年 DOLIGHTCAP90 プロ部門準優勝
・1992年 QUEENCAP92 優勝
・2000年 サバイバルエアロビクス鹿児島 優勝
・2002年 JPC FITNESS JAPAN PAJENTO 優勝 世界大会出場
・2008年 サバイバルエアロビクス東京 優勝
などなどエアロビクス界のトップランナーとして活躍をされています。
今回、全国大会第3位を記念しての祝賀会に参加させていただきました。
渡邊先生は、若い!とにかく若い!
とても私より年上でらっしゃるとは思えず、握手をさせてもらうときにお顔をまじまじと拝見させていただきましたが・・・やっぱり若くて、その笑顔は輝いていました
会場に来られていた方の多くは、先生の生徒さんで、その生徒さんたちも活き活きキラキラされていました
エアロビクスといえば、ハードな運動に加え、楽しく明るい表情も印象的ですよね!
私が座った席のテーブルの方々も、素敵な笑顔で話をしていただき、すっかり鼻の下が・・・いやいや、気持ちがリフレッシュされました。
生徒さんから先生に花束や素敵なプレゼントも送られました。
先生の娘さんです。娘さんの笑顔も完璧
娘さんから先生への手紙も読み上げられ
「・・・お母さん、いつも優しくしてくれてありがとう。レッスンが続く時は寂しい時もあるけど、いつでもお母さんを応援しているからね。」
目頭が熱くなるのをこらえつつ、二人の抱擁に拍手を送りました。
エアロビクスは、全国スポーツレクレーション宮崎大会の種目でもあり、渡邊先生が総監督をされるとのこと。
応援に行きますね!!
県庁での仕事を終え、議会棟から気だるい体を引きずりながら降りてくると、県庁本館が真っ赤でした。
そして、闇夜に差す光のような歌声が聞こえてくるではありませんか!
階段を下りる足もなんとなく軽やかになり、吸い寄せられるように声の中に・・・
ゴスペルって言うんですかね・・・
アカペラで、リードボーカルに続いて大勢の肉声が野外に響き渡り、県庁中庭が鮮やかなステージとなっていました。
いつもは季節の花々で彩られている中庭ですが、この日は観客の笑顔で満開でした。
すごい盛り上がりだ!!
立ち見の方々も大勢おられ、いつしか私も疲れを忘れ、手拍子!手拍子!手拍子!
1曲終わり、次はどんな歌かと期待していると
「今夜は楽しんでいただけましたか!また皆さんとお会いできる時を楽しみにしています!ありがとうございました!!」
ラストの歌でした・・・
“お~い、もう終わりなのか~い・・・”
一人こけてました・・・
“もっと早く仕事を切り上げていればよかった・・・”
この時期県庁では、定期的に音楽イベントが開催されています。
疲れも熱さも忘れさせてくれる、素敵な時間がありますよ。
足を運ばれてみてはいかがでしょうか
私は辛うじて見ることができました。
皆既日食が始まったときは会議中でしたが、その会議が少し早めに終わり、そとに出て空をみあげてみると…
雲の合間から太陽が三日月になっいるのかまが見えました!
この日はあいにく雲が多く、ところによっては雨模様だったようで、仕事の合間で見ることができたのは、かなりラッキーでした。
次に日本で日食を見ることができるのは、26年後と言うことを聞いていたので、できることなら見たいと思っていました。
この皆既日食を通して思ったことは “26年後、俺はどこにいてなにをやっているだろう…” というこてです。
今、抱いている“夢”を忘れなければ、少しは県民の方々の役にたててるのではないかと思います。
皆既日食のあと、満ちてくる太陽からエネルギーを貰うことができました。
大田市場に行ってきました。
水産物・青果物・花卉を取り扱う総合市場で、特に青果物については、水産物における築地市場同様、施設規模・取扱量ともに我が国最大の市場です。
ここで宮崎県産マンゴーが市場ではどのように取り扱われ、どのような流通により消費者に届くのかを調査するため、朝4時に起き、実際のセリから視察してきました。
市場内はうかうかしていると行きかう車に跳ね飛ばされてしまうほどの、活気というよりは“殺気”に満ちていました。
その殺気が最高潮に達したとき、マンゴーのセリが始まりました。
飛び交う張り上げられた声は尖っていて、セリを仕切る職員のテンポが少しでも乱れると、さらにその声は荒々しさが増します。
真ん中のマンゴーが今回最も高値がついたものです。
“5LのA”といって大きさ、品質とも最高級品です。
さぁ、いくらでしょう?
1個12,000円でした!
市場価格でこれですから、これが小売価格になると・・・最低でも3倍以上するとのことでした。
県産マンゴーは今のところ高値安定をしていますが、今後国内生産量の増大や海外産の流入により高止まりは難しいのではとの示唆もあり、ますますのブランド化を図る必要性を認識しました。
ここで愛みや政務調査は終わり、私は一人高鍋高校在京同窓会総会とフォーラムに参加してきました。
200名を超える高鍋高校在京OBの方々が参集され、高鍋高校を支えるための協議と久保昌也さんから脈々と受け継がれる“明倫堂の教え”についての講演がありました。
大先輩方に囲まれて、緊張しっぱなしの意見交換でした・・・