奇跡への絆

図師ひろき

家族

2009年12月30日 12時23分04秒 | Weblog

 今回の一連の事態に対し、私に寄せられるご意見、ご指摘などには何の反論もなく、真摯に受け止め、今後の活動や判断の指標にさせていただきます。

 しかし私が不在の時に、電話やFAX、そして来客の応対をしてくれる家族の心労が心配でなりません。

 両親は退職後、祖父祖母の介護の傍ら、細々と弁当や惣菜を作って、直売所などで売って、年金の足しにしていました。

 そんな時、私がこんな状態になってしまったので

 「あんたの送り迎えをせんといかんから、弁当つくりもやめんといかんねぇ・・・」

 と母がポツリ・・・

 私は両親の生きがいまで奪ってしまったのか・・・と悔しくてたまらなくなります・・・

 そんな母が、高鍋駅まで送ってくれる車の中で

 「・・・しっかり反省して、たくさん謝って、何回も何回の頭を下げんといかんね・・・のさんじゃろけど頑張らんといかんよ・・・私どんもあんたん代わりに頭を下げるこつはできるかい・・・みんなに助けられてここまで来たっちゃかい頑張らんといかんよ・・・」

 私は今回の件では、絶対に涙を流さないと決めています。

 母は続けて

 「でもあんたとこんげして、ゆっくり話をするのはいつ以来かね・・・これからは家族の会話が増えればいいねぇ・・・」

 40歳になって親に送り迎えをしてもらうことは、本当に情けないことですが、確かに両親とは同居していながらも、ろくに会話のない生活が続いていました。

 23時くらいに帰宅・・・6時には起床・・・街頭あいさつをして、そのまま地域へ、県庁へ・・・

 「あんたは幸せねぇ・・・

 ちっとは自分の幸せのことも考えないよ・・・

 あんたはいっつも走り回って、人の前に出て、一番のさん思いをしてきたのはわかっちょるけど・・・私たちも10年間小さくなって生きてきたとよ・・・

 もうぼちぼち楽な生活をさせてもらいてぇ気もするけんねぇ・・・」

 励ましとも愚痴とも分からぬ母の言葉に、町議会議員時代から数えて10年の我が家の様子が凝縮されていました。

 私は“福祉の壁は政治にあり”との志に愚直に挑み続けてきました。

 その間3回の選挙を乗り越え、家族は献身的に支えてくれました。

 私の代わりに罵声や非難を浴びながらも、笑顔で耐えてきてくれました。

 その生活が、楽であるわけはありません。

 “俺は家族の支えになれているのか・・・”

 私は今回の件を機会に、生き方を見直します。

 

 

経過説明

2009年12月28日 18時50分55秒 | Weblog

 本日は、私の議会内処罰を話し合うため、各会派から代表者が集い、幹事長会が開催されました。

 幹事長の方々におかれましては、師走の忙しい時期に時間を割いていただいたことにつきましては心から感謝申し上げます。

 また冒頭、謝罪の機会を与えていただき、誠にありがとうございました。

 ここからはブログコメントにもありましたが、今回の事態に至った経緯について改めて説明させていただきます。

 まずブログでの詳細説明をしなかったのは、遵法精神に欠け、軽率な行動により道路交通法違反をしたという紛れもない事実に対し、言葉を重ねれば重ねるほど言い訳がましくなるのではないか、特に精神的に落胆している時の表現では甘えが生じるのではないかと考えたからです。

 それより事実やご意見、ご指摘を真摯に受け止め、猛省している表現に留めるべきではないかと思いましたが、自分への戒めのためにも整理して説明します。

 まず議会活動とは別に、地域や各種団体との意見交換をするため、曜日や昼夜を問わず、議員活動をしています。

 私の住んでいる木城町川原地域は、宮崎交通バスが廃止となり、コミュニティバスが1日に2、3往復、町に中心部まで運行しています。

 自宅から最寄駅までは、車で約30分。

 日豊本線の利便性は、ご承知の通りです。

 よって各地への移動は車以外になく、1日の走行距離が、300キロを超えることも珍しくはありませんでした。

 スケジュールを詰め込み、そのスケジュールがずれ込むこともあり、遅れた時間を取り戻そうと先を急ぎました。

 だからといって交通ルールを破っていいということは、どこにもありません。

 すべては私のスケジューリングの悪さが原因です。

 一ツ葉有料道路の制限速度は時速60キロですが、私は100キロほど出してしまい、取り締まられ、免許停止となりました。

 免許停止期間を短縮するため講習を受け、その講習を受けた日は運転をすることができないのですが、この日も活動を休むことを選べず、また公共機関の乗り物を使用せず、自ら運転をしてしまい、さらにこの時携帯電話を使用して、このような事態になってしまいました。

 遵法精神のない、軽率な行動を反省し、悔やむとともに、2度とこのようなことを起こさないことを胸に刻んでいます。

 この事態を引き起こし、まず私は日頃からお世話になっている後援会や支持者の方々に報告、謝罪をした後に、速やかに公表するつもりでした。
 
 しかし公の立場にある者として、自らの都合を優先させるべきではありませんし、マスコミ報道が先行したことは当然のことと認識しています。

大変申し訳ありませんでした。

 また記者会見のとき、運転免許証を取得して約22年間の間に3回の免許停止を受けたように記憶していると答えたのですが、本日免許センターにて過去の違反歴を閲覧させてもらったところ、免許停止は2回で、軽微な違反を1年以内に繰り返した時の違反者講習会を受講したことを免許停止の講習と勘違いをしていました。

 しかしこのことは今回の事態とは直接的に関係はなく、交通違反をしていたことには変わりありませんし、免許停止の講習も違反者講習も区別つかなくなっている自分が情けない限りです。

 以上のことを、心から心から反省しております。

 そして私は議会内の役職をすべて辞任し、会派処分の愛みやざきとしての活動停止と政務調査費返納の実行させていただくとともに、議会内処分につきましても真摯に受け止めさせていただきます。

 誠に申し訳ありませんでした。

  

一歩一歩

2009年12月24日 23時55分46秒 | Weblog


 朝から暗くなるまで、謝罪まわりをさせていただいています。

 今日は同僚の武井議員が同行してくれました。

 貴重な時間を割いてもらい、運転手をかってでてくれた武井議員には心から感謝します。

 自分の足で前進しているのではなく、多くの方々に支えられながらも、なんとか歩を進めさせてもらっていることを、情けなく思い、みじめな気持ちにもなりましたが、それだけ起こしてしまった事の重大さを、しっかり胸に刻み“二度と繰り返さない”“二度と繰り返さない”と歯を食いしばりました。

 そして、このブログに対しても数々のコメントを寄せていただき、ありがとうございます。

 いずれの言葉も、関心を持っていただいているということであり、有難いことです。

 ご質問等にも近日中に回答させていただきたいと思っています。

 ただ残念なことに、コメント内容が私へのご意見に留まらないものが見受けられるようになり、心を痛めています。

 私への励ましの言葉や、厳しいご指摘はしっかり受け止め、アップさせていただきます。

 これからも声なき声にも耳を傾け、県民福祉向上のため命を賭して働く姿勢を貫きますので、見ていてください。 






一歩

2009年12月23日 23時55分00秒 | Weblog


 謝罪まわりを続けています。

 直接お会いして話を聞いていただく方からは、様々なご意見や多大なるお力添えをいただいています。

 私は、厳しいご意見にも真摯に傾聴し、耐えるしかありません。

 一緒にまわっている両親や後援会関係者は、かけられる一言一言に一喜一憂し、謝罪後、車に乗り込んだときの雰囲気は大きく変わります。

 重い雰囲気のときは、ひたすら

 「ごめんな、ごめんな・・・」

 力をいただいたときは、ひたすら一緒に

 「ありがとうございます、ありがとうございます・・・」

 助手席から見る街並みや農地の風景が、新鮮に映ります。

 今まで目に留まらなかった人々の表情が、生き生きと目に飛び込んできます。

 “このゆとりを持って運転しなければいけないんだ・・・”

 今まで議会がないときは、一日に4つ、5つの仕事を掛け持ちして、飛び回り、顔を出すだけで失礼をしていました。

 これからはじっくりゆっくり腰を落ち着けて、話を聞くことができる。

 運転をしていただく方には、これ以上ない迷惑をかけ続けてしまうことになり、頭は上がりません。

 一歩一歩、仕事で恩返しさせてください。

 


申し訳ありませんでした

2009年12月22日 23時55分55秒 | Weblog

 範を示すべき立場にありながら、軽率な行動を繰り返し、信頼と期待を裏切る結果となりましたことを心から反省しております。
 
 本日、県議会会派愛みやざきとしての処分がくだりましたので、合わせて謝罪の意を表すものであります。
 
 順法意識に欠けていたことを素直に認め、道路交通法に関する処罰及び県民の方々からのご指摘も真摯に受け入れるとともに、今回の会派処分につきましても異議なく受け止めさせていただきます。
 
 愛みやざきを離脱することを申し出もしましたが、仲間が留意してくれました。
 
 しかし、私の存在が愛みやざきにとって足手まといになるときには、離脱をさせていただきたい。
 
 失ってしまった信頼を取り戻すことがいかに困難なことかは、重々分かっています。
 
 その信頼を回復するには、猛省の中にありながらも、投げ出すことなく、一歩一歩議員としても職責を全うすることしかないと考えます。
 
 あらためまして今回の一連の私の行動により、多大なるご迷惑をおかけした宮崎県議会、そして議員各位に対してお詫びを申し上げます。
 
 さらに後援会の皆様はじめ、今までご支援いただいた方々に多大なるご心配をおかけしたことを心からお詫び申し上げます。
 
 そして県民の方々に、大きな落胆と失望を抱かせたことにも心から心からお詫びを申し上げます。
 
 家族に心配をかけています。

 ここ数日で、父も母もすっかり年をとらせてしまいました。

 私に浴びせられる指摘は、しっかり受け止めさせていただきますが、両親にまで厳しい指摘があり、後で報告を受けることは非常に辛く、耐え難いものがあります。

 それだけ重大なことを引き起こしてしまったのだと落胆していると、両親はあえて気丈に振舞ってくれ、それが余計に痛々しく・・・

 そんな家族に心から感謝しており、涙が止まりません・・・

 その家族の愛情に応えるためにも、歩を進めます。

 

 

ごめんなさい

2009年12月14日 23時59分17秒 | Weblog


 首の痛みをとるために、4種類の薬を飲んでいます。

 服作用かどうかは分かりませんが、一日中眠気が続き、集中力に欠け、仕事もミスばかりしています。

 ミスが続くと、精神的にも凹んで、体がなかなか動かなくなります・・・

 悪循環です・・・

 治療に専念するということで休養したい気持ちもありますが、すでに2月定例議会まで数々の行事や出張が入っています。

 走りながらバランスをとっていきたいと思います。

 ただこのブログは、その時そのときの正直な気持ちを表現するところです。

 今の状態では、無理にポジティブな表現を続けそうで、らしくない文章を綴るのは本意ではありません。

  毎日たくさんの方がアクセスいただいていて、大変心苦しいのですが、少しの間ブログを休みます。

 充電完了後の“図師博規”に期待してください!


バイブル

2009年12月13日 22時16分25秒 | Weblog

 1冊の本をご紹介します。

 私が昨年、デンマーク研修に行った時に、大変お世話になった、千葉忠夫先生が書かれた“世界一幸福な国デンマークの暮らし方”です。

 私がデンマーク研修中に

 「今、執筆中だから・・・」

 と言われていて、とにかく出版されるのを今か今かと待ち望んでいました。

 200ページを超える本ですが、手にしてから読み終わるまで、2時間ほどだったでしょうか、私にとっては一気に読みきれる本でした。

 研修で学んだことが、次から次に出てきて、まるで研修を復習しているかのような気持ちになりました。

 この本の素晴らしいところは、その内容のみならず、その構成にもあります。
 
 デンマークと言えば・・・世界的童話作家の“アンデルセン”の生まれ故郷でもあります。

 そのアンデルセンの代表作のストーリーを各章の内容に重ねて、デンマークが福祉国家を創り上げていくまでが紹介されていきます。

 例えば・・・

 第1章は“マッチ売りの少女が幸せになるためには”と題され、貧困を考える章となっています。

 第2章は“裸の王様のように騙されない”となっており、政治のあり方を考える章となっています。

 ある意味、アンデルセンの童話がこんな角度からも読めるのか・・・と感心させられこと間違いありません。

 私のこんな分かりづらい説明より、とにかく読んでみてください!

 ビックリしますよ!

 福祉に詳しくない方でも、気軽に読めますし、福祉に詳しい方ならば、日本と比較しながら読んでいただき、目指すべきものを示してくれます。

 その上で、私の“デンマーク奮闘記”を読み返していただければ、いかに私がデンマークでしっかり勉強してきたかも分かっていただけると思います  

     

 著者 千葉忠夫 

 発行所 PHP研究所

 定価 本体720円(税別)

雑感49

2009年12月12日 23時51分45秒 | Weblog

 33歳のプロ野球選手が引退しました。

 阪神タイガースの赤星憲広選手です。

 昨年は全試合に出場し、176安打、打率3割1分7厘、41盗塁と誰もが認める阪神の・・・いや日本球界を代表する1番バッターでした。

 その赤星選手を引退に追いやったのは・・・けがでした。

 持病の椎間板ヘルニアも抱えながらも、全力プレーを続ける赤星選手に悲劇が訪れます。

 今年の9月12日、雨の甲子園でした。

 右中間に鋭い打球が・・・迷わず頭から飛びつき・・・赤星選手の選手生命は絶たれます・・・

 脊髄損傷・・・

 日常生活には支障はないものの、今度同じことをやってしまうと、最悪命の危険もあると、医師から宣告されます。

 「若い選手には負けていない。

 けがさえなければまだまだできる気持ちがあった・・・」

 記者会見でとつとつと語る表情は、どこか遠くを見ているようにも映りました。

 持病と闘いながらも、最善のプレーでファンを魅了し続けた赤星選手に、心からの労いを・・・

 「あのプレーは、野球人の本能でやった。

 後悔はしていない。」

 力強く言い切る姿に、潔さを感じました。

 ふと我に返り・・・俺は全力でプレーしているか・・・けがを恐れず、政治道を突き進んでいるか・・・と自問しました。

 我々の球場は、本会議場でしょうか・・・そこに立つために日頃から地域を回り、十分な情報収集と現状把握をしてこそ、自信を持って、壇上に上がることができます。

 けがを恐れず・・・それは県民の代弁者として、前例なき政策でも堂々と執行部や先輩と向かい合うことでしょう。

 最善のプレーができなくなる・・・しがらみや大過ないことが良しとされる組織に身を置くと、やらなければならことは分かっているのに活動が鈍ってくるものです。

 そうなったら、引退すべきですね。

 私は、私たち愛みやざきは、堂々と本会議場で発言するため、地域の声なき声にもしっかりと耳を傾け、走りながら、汗をかきながら、政策を練り上げ、後悔しない活動を続けて行くのです。


東南アジア研修を振り返って12

2009年12月11日 19時41分12秒 | Weblog


 最後の報告です。

 ゴミ山にて・・・

 東京ドーム2個分のゴミ山は、異様な臭いと生温かい空気が立ち昇っていました。

         

 ここで生活している人たちがいます。

 以前は500人のもの人たちがゴミの中で寝食をされていたとのこと・・・

 ここに踏み入る時に、現地通訳から2つのことを注意されました。

 ・ここでは、引ったくりに気をつけてください。

  ウエストポーチも背中の方ではなく、前の方でしっかり縛っておいてください。

 ・不用意に歩かないでください。

  ぬかるみがゴミに隠れていますので、足をとられると腰まで汚泥の中に落ち込むことになります。

 確かに、ゴミの上はじゅうたんの上を歩くようにフワフワ、ブヨブヨしている所が至る所にありました。

 恐る恐る進むと、子どもと女性が黙々とゴミを拾っていました。

 遠くから声をかけ、こっちに来てもらうため手招きをすると、ニコニコ笑顔と共に近寄ってきてくれました。

 もしかしてこの笑顔の裏側に、隙あらばひったくってやろうと思っているのだろうか・・・と不安もありました。

 その女性は、丁寧に帽子を取り、話に応じてくれました。

 ここで生活をすることになった経緯を聞いてみると・・・

 「・・・ポル・ポト派により、夫と子ども2人、そして両親もみんな殺されました。

 全てを失いましたが、その後再婚し、5人の子どもを授かりました。

 しかし、その夫にも先立たれ、今は5人の子どもを学校に通わせるために、ここでココナッツの皮を拾って、その皮を燃やして、簡単なお菓子を作って、売って、何とか生活しています。

 日曜日には子どもたちも一緒に働いてくれます・・・」

 迷わず!

 「手伝います!」

 一緒にココナッツの皮を拾い集めました。

         

 まとわりつく暑さの中、ココナッツの皮を積み上げました。

 笑顔で話をしてくれ、私を受け入れてくれた、その女性に少しでも生活に足しになればと、私は5ドル(約500円)を渡しました。

 するとその女性は、5ドル札をすぐに懐に入れることなく、拝むように手を合わされ、そしてボロボロと大粒の涙を流されました。

 私は、その突然の涙に凍りつきました。

 女性は、涙まじりに・・・

 「・・・これで子どもたちを1週間食べさせることができます・・・ありがとう・・・ありがとう・・・」

 拝むその手に、涙がポロポロと落ちてきます・・・

 私は、大きな誤解をしていました。

 このゴミ山で生活する人は、たくましく、したたかで、がつがつと生きているのだろう・・・と思い込んでいました・・・女性の涙を見るまでは・・・

 バカでした・・・

 そんなはず、ある訳ないんです!

 ゴミ山での生活は、厳しく、苛酷で、辛くて、ギリギリの状況下で生きているのです。

 人間なら誰でも、ゴミ山での生活をしたいなんて思うわけないんです。

 子どもを学校に通わせるため、命がけでゴミの中を歩き回っているのです。

 「頑張って下さい・・・」

 懸命に生きている方に、つまらない励ましですが、この言葉しか見つからなかったんです・・・

 「頑張るしかありません。」

 絞り出された言葉は、私が今まで突き動かされたどの言葉よりも、重く深く心に響きました。

 ゴミ山を離れながら、私は悔しくて悔しくて、ボロボロと涙がこぼれ、止まりませんでした。

 “なにやってんだ、俺・・・”

 “なにやってんだ、日本・・・”

 “なにができるんだ、俺!”

 “なにができるんだ、日本!”

 懸命に生きている人がいる。

 懸命に生きなければならない。

 ゴミ山での涙は、一生忘れない。

      


 


実は・・・

2009年12月10日 23時54分14秒 | Weblog

 半年以上前から、首の痛みに悩まされています。

 昔からよく寝違いをする方だったので、今回の痛みも2、3日すれば治まるだろうな・・・と安易に考えていたら、1ヶ月たっても、2ヶ月たっても痛みはとれず、それどころか日によっては、首を傾ける事も、うなずく事すらできないほど辛い時がありました。

 寝てる時も、寝返りをうつたび痛みで目が覚める状態で、熟睡感がありません・・・

 首だけならまだしも、ひどい時には後頭部全体がわしづかみにされているように痛く、うずき、吐き気すらすることもありました。

 幸いなことに、手足の痺れや麻痺はなかったものですから、痛み止めの薬や湿布でごまかしごまかし、なんとか生活はできていたのですが、さすがに半年も状態が改善されないので、あきらめて病院に行って来ました。

 受診の際、先生が開口一番・・・

 「なんで半年もほっといたんですか!首は神経が集中しているところですから、体が動かなくなってからでは治療も大変なんですよ!」

 怒られました・・・

 早速レントゲン・・・

 結果は・・・

 頚椎ヘルニア

 2ヶ所間隔が狭くなっているとこがあり、そこが神経を圧迫しているのだろうとのことでした。

 手術・・・

 まではしなくていいようですが、けん引や電気治療、ホッとパックなどをしても完全に痛みが取れることはなく、対処療法的な内服薬で様子を見ようということになりました。

 それでも痛みが緩和されない時には、ペインクリニックでブロック注射による治療をすすめられました。

 安静が必要のようですが、動かなきゃ仕事になりませんからね・・・

 野球やミニバレーもあるし・・・

 これからは可動域の狭い首と付き合っていくしかなさそうです。

 私がロボットのような動きをしている時は、首の痛みがあるのだと察していただき、くれぐれも頭をグルグル回したり、後ろから突き飛ばしたり蹴飛ばしたりしないようお願いいたします