奇跡への絆

図師ひろき

びっしり!愛みやざきセミナー!

2014年08月31日 19時46分21秒 | Weblog


  

 宮崎駅となりのKITENビル8階大ホールは超満員となりました。

 我ら愛みやざきの県政報告会である“愛みやざきセミナー”にこれほど多くの方々が集まっていただきました。

             

  

 ・・・という表現は間違いではないのですが、全部正解という訳でもないようです・・・

   

 この方、分かりますか??

   

 今回講師に作家で史学者でもあられる竹田恒泰先生をお迎えできたことが大きかったようです。

 作家で史学者としての紹介よりも、明治天皇の玄孫で“やしきたかじんのそこまで言って委員会”で活躍中の竹田先生と紹介した方がピンと来られる方も多いと思います。

 竹田先生は、開口一番

 「マスコミをにぎわせている竹田です。」

 とカミングアウトから入られ、それで一気に会場は笑いに包まれ、和やかなうちに講演会はスタートしました。

 外見はしなやかで、どちらかというと線が細い感じに見受けられましたが、竹田先生の話される内容は、実に骨太でした。

 演題“日本の自立 ~アジア諸国との関係~”に沿って、日本の戦前戦中戦後の歴史をひも解かれながら、中国や韓国との関係と距離感について、まさに熱弁をふるわれました。

 ここから先は、竹田先生の了解を得たうえで講演内容をそのまま紹介します・・・

 「終戦が、あと一週間遅れていたら、北海道と東北はロシアに、東日本はアメリカに、西日本は中国に占領されていたかもしれない。」

 「中国の成長には限りがあり、2年後からは生産労働人口が減少し、20~30年後には国力が大きく低下する。」

 「竹島に韓国大統領が上陸したことは日本にメリットがあった。そのことにより二国間の領土問題が国際問題として取り上げられるようになった。」

 「日韓併合による統治時代の36年間は植民地化とは全く違う。日本は韓国にインフラ整備をはじめ多大なる投資を行うとともに、各地域に学校をつくり、識字率が大幅に上がった。」

 などなど、竹田先生ならではの切り口でバッサバッサと歴史認識や今後のアジア諸国との付き合い方などを示されました。

 これらのコメントだけを並べると、かなり過激な内容のように感じ取られるかもしれませんが、常にユーモアを交えながらの話で、全く観衆をあきさせることなく予定では質疑応答を含めて90分の予定できたが、竹田先生の独壇場で怒涛の110分は終了しました。

 特に第二次世界大戦の辛い歴史から今日まで、修復と離反を繰り返している日中韓の未来を考えるときに、今回の竹田先生の講演内容は大いに参考となるもので、この歴史を踏まえ我々世代だからできるアジアの友好関係構築に尽力しなければならないとの意を強くさせてもらいました。

 ありがとうございました。

   

 これかも愛みやざきは県民目線を忘れず、県政をリードする気概を持って前進していきます!

 

 

 

 

 

 


雑感767

2014年08月30日 23時05分06秒 | Weblog

 最近、ドライブでどこかに行かれましたか?

 私は、毎日どこかに行かれています・・・

 もちろん仕事ですが・・・

 このままドライブで旅行にでも行きたいなぁと思うことは多々あれど、さすがにそこまで現実逃避することなくちゃんと仕事をしています。

 3年間で約6万㎞走っていますので、距離としては頻繁にドライブ旅行に行っているかのようですが、車で県外まで行ったことはほとんどなく、家と県庁の往復プラス、県内あちらこちらの地域に足を運ぶことで走行距離はみるみる伸びていきます。

 「ドライブ旅行に関するアンケート」なるもの見つけました。

 そのアンケートによるとは、JAF会員を対象として実施されたもので、1万件以上もの回答が寄せられていました。

 中でも、ドライブ旅行の際に負担に思うものについての設問で、第1位は「高速道路・有料道路通行料」(76.2%)、2位が「ガソリン代」(69.5%)となっていました。

 日本の高速道路料金とガソリン代はとにかく高い!

 ガソリンは、石油産出がないのである程度仕方ないとはいえ、現在の高止まり価格では1円でも安いところで給油したくなるのは当然です。

 高速道路・有料道路通行料もいつになったら安くなるのか・・・

 おそらく現在のような公共工事が発注され続けるかぎり、未来永劫にわたって高速道路・有料道路通行料がなくなることはないでしょう・・・

 それでも最近、高い高速道路・有料道路通行料のついて興味深い話を聞きました。

 それは、国道10号線沿いに開設された道の駅「つの」の関係者からでした・・・

 「高速道路が延岡まで開通した時には、一気に道の駅利用者が減収するのではないかと心配していましたが、今のところは減少するどころか増加傾向にあります。」

 「ほぉ、それはなぜですか?」

 と聞き返すと

 「宮崎市内あたりから延岡まで高速道路を利用すると2000円ほどかかるので、往復すると負担が大きくなるため、行きか帰りは下道(国道10号線)を使おう・・・という方が多いようです。」

 ガッテンでした。

 確かに高速道路を使えば、時間の短縮にはなりますが、必然的に経済的負担は大きくなるため、時間はかかっても国道を通行される車も減っておらず、これまた必然的にトイレ休憩や地場産品の誘いに導かれ道の駅利用者も増えているようです。

 この原理でいくと、大分~宮崎間の高速道路が開通した後も、高速道路利用者が増加すればすれるほど、片道は国道利用者も増加し、道の駅も儲かるということになります。

 そんなに単純なことではないと思いますが、高速道路料金が見直されない限り、国道と道の駅が閑散としてしまうという危惧は無用のようです。

 ということで、ドライブ旅行で宮崎から大分方面に行かれる際には、時間的余裕を持たれ、行きか帰りにはのんびり道の駅「つの」でお買い物などをされてはいかかでしょうか?


夏の思い出づくり

2014年08月29日 20時50分12秒 | Weblog

 総合型地域スポーツクラブ“木城ドリームス”の活動で、夏休み宿題サポートを行っていることを先日のブログでも取り上げましたが、今回は夏休み最大の宿題でもある“思い出づくり”に行ってきました。

 その思い出づくりとは…

      

 川遊びです!

 木城町は大自然にいだかれ、まだまだ川で泳げる環境が残っています。

 うちの近くの川でも十分泳げるのですが、今回はさらに上流に行き、石河内地区の清流の中で泳いだり、魚を釣ったりして楽しみました。

 私たちが小学生の時は、自分たちだけでも川遊びができましたが、最近は“川は危険なところ”とされ、保護者などの監視がなければ遊べなくなっています…

 川で泳ぐ醍醐味と言えば…

   

 そう!飛び込みです。

 2mもない程の岩からの飛び込みですが、岩の上から見る風景は、そこに立ったものにしか分からない心地よい恐怖感も一緒についてきます。

 果たして子どもたちは飛び込めるのだろうかと…とちょっと心配もしましたが…

     

 気持ちよく飛び込み、スイスイと泳いで、再び岩の上はへを繰り返し楽しんでいました。

 魚釣りはどうかな…

 
    

 釣りの隣りでは、ドボンドボンバシャンバシャン泳いだり飛び込んだりしていて

 “これじゃぁ、釣れるもんも釣れんわなぁ”

 と思っていたら、これが小さいながらも結構釣れたんです。

 ヤマメが!と言いたいところですが、はやんぼばかりでした…早速魚を素揚げして、塩コショウをパッパッとふって、頭からがぶりっ!

    

 緑の中で食べる弁当は格別で、いつものほか弁が何倍も美味しく感じられました。

     

 そして超ぜいたくなシチュエーションとして…

   

 清流で涼みながら弁当が食べることができ、私にとっても気持ちのいい夏の思い出ができました。

   

 また来年も子どもたちの笑顔あふれる夏休み宿題サポートをしたいと思います!


 


雑感766

2014年08月28日 23時18分09秒 | Weblog
 全国のアルコール依存症者が100万人を超えたというニュースを見ました。

 その中でも、女性の依存者がここ数年で約2倍にもなっているとのこと…

 何故、過度にアルコールに頼ってしまうのか…

 その理由は様々ですが、ストレスが一番の原因のようです。

 近年は、女性の社会進出により社会的地位が依然より向上していると共に、プレッシャーや緊張場面も度重なっており、逃避行為としての飲酒量も増えているという解説がありました。

 また、出産や育児による心身のストレスから飲酒量が増えるケースもあるようです。

 ある医師は、一度アルコール依存症になると完治は無理で、断酒期間をつくる以外しかないと悲観的なコメントを寄せていましたが、私は医療現場でアルコール依存状態から見事に社会復帰を果たされた方々に寄り添ってきました。

 しかし、その道のりは容易いものではありません…

 繰り返してしまう方も少なくはないからです…

 本人の強い意志が求められることはもちろんですが、依存症からの脱出は、家族と医療機関の密接な連携が必要です。

 そして行政が、予防から退院後の生活支援まで積極的に働きかけていくことにより、依存症減少に繋がることは言うまでもありません。

 しかし、本県におけるアルコール依存者への対応は、必ずしも積極的とは言い難い状況にあります。

 本県に限らずでしょうが、個人情報保護の人権侵害の観点から、行政及び警察の現場対応がどうしても後手後手にまわってしまうことも少なくありません。

 例えば、アルコール依存者が家庭で飲酒し、暴れるようなことがあったとしても、即病院が動くことはできず、家族対応が原則で、なんらかの事故が起こってからでないと警察も介入できないのが現状です。

 現在は、アルコール依存に効果的な薬の開発も進み、ある程度のコントロールはできるようになったとはいえ、依存者が減少するには至っていません…

 本人もストレスを抱え、逃げ場を求めてアルコールに手を出してしまう辛さがあり、それに家庭を巻き込みながら社会生活が壊れていってしまうことを、できるだけ早い段階で立て直していくためにも、今までにないアルコール依存支援策が必要となっています。

 まずは予防、特に女性依存者を増やさないための対策を講じる必要がありますし、自助グループへもより積極的に行政からアプローチしたり、緊急時対応のための医療機関との新たな枠組みを創設するなどの取り組みが必要と考えます。

 アルコール依存は、あなたの周りにも、そしてあなたの中にも顕在化してくる可能性もあります。

 予防に勝る薬はないことを再確認お願いします。

灯火を守る

2014年08月27日 23時18分45秒 | Weblog

 高鍋町の羽根田地区の納涼祭に参加させていただきました。

   

 まず子どもたちが挑戦してるのは“ヤクルトの早飲み”です。

 日頃からヤクルトを飲みなれている子どもは、ふたをペロンとめくってクイクイと飲めるのですが、コツがわからない子はふたを開けるのに悪戦苦闘していました。

 今までいくつもの納涼祭に参加させてもらい、コーラの早飲みやスイカ早食い競争はありましたが、ヤクルト一気は初めてでした。

 子どもらしい競技でいいですね!

 子どもが喜ぶ定番といえば・・・

    

 そう!スイカ割りです。

 見てください、この目かくしをしている子どもを囲む子どもたちの天真爛漫な表情を!

 スイカ割りをした記憶は、もうはるかかなたですが、子どもたちの笑顔を見ていると、私も間違いなく必要以上に声を張り上げ、棒を持った少年を違う方向に導いていただろうと容易に想像でき、写真を撮りながら私の気持ちもすっかり少年に戻っていました。

 子どもたちが元気よく公園内を走り回っている時、お父さんお母さんは汗だくになりながら、ふるまいをされていました。

       

 かき氷係りのお父さんが、なかなか氷が削れず苦戦されていたので

 「かき氷器を貸してくれた業者にやかまし言わんといかんですね!」

 と声をかけると

 「このかき氷器は、この祭りでずっと使われている地区の物品なんですよ・・・だから大切に使わんといかんのですよ・・・」

 「そんな受け継がれているかき氷器なら、そこら辺のかき氷より美味しいに決まってますね!」

 と頭をかきながらとりつくろいましたが、明らかに年代物のかき氷器は買い替え時に見えました・・・

 地区長さんから話を聞いたところ、この祭りを開催費用は、町から一部補助金は出ているものの、ほとんどは徴収する地区費から捻出しており、毎年運営には四苦八苦しているとのことでした。

 地域の祭りや行事は、年々維持が困難になり、姿を消していっています・・・

 維持することも大変な労力ですが、いったん消えた火を再び着けることは維持することより何倍ものエネルギーが必要となります。

 だからこそ、火を消してはいけないのです。 

 新しい祭りや行事を創りだすことも大切ですが、古くから細々とでも続いている伝統を守ることが地域の灯りを守ることに直結します。

 町の行事のことは町に任せる・・・ではなく、県としても地域の隅々まで行き届く、小回りの利く地域振興策を講じる必要が絶対的にあります。

 地域を守るきめ細やかな行政サービスが提供できなければ、県の存在意義などありません!

 灯火を守るため私は働きます。

 

 

 

 

 


雑感765

2014年08月26日 22時34分28秒 | Weblog
 熱闘!甲子園が幕を下ろしました。

 大本命であった大阪桐蔭高校が、圧倒的な力の差を見せ付けて優勝しました。

 強力な打撃で相手チームに襲い掛かるその姿は、アマチュアの域を越えているようにも見えました。

 1回戦が最も苦戦したかのようにも映りました、リードされていても浮足立っているのは相手チームのようでもあり、ミスにつけ込み当然のように逆転をしています。

 決勝戦においても、初回に5点を取られてしまい、普通のチームなら意気消沈してしまうところですが、ベンチに引き上げて来る選手たちには笑顔がこぼれていました…

 その選手たちを迎える監督も

 「お前たち、点数取られすぎだろ~」

 と、余裕の言葉をかけられたようです。

 大阪桐蔭の監督は、選手の能力を熟知され、選手の実力を十分に引き出すためリラックスしたムードづくりをされたのだと思いますが、それ以上に選手それぞれが今までの練習と経験で培われた自信が別格であったと思います。

 大阪桐蔭の選手の多くは、幼い頃から野球のエリート選手として、効率的な練習と様々な大会を経験することにより、高度な実践からしか得ることのできない戦闘能力が養われていったと想像できます。

 大阪桐蔭の監督いはく

 「うちのスカウトは日本一!」

 と自負される程、大阪桐蔭高校スカウト能力はプロ野球にも匹敵すると言われ、そのスカウト陣が全国をくまなく回り、ダイヤモンドの原石を発掘ししているのです。

 発掘された原石は、ダイヤモンド同士だから研かれるレベルの高い生存競争の中で、さらにレベルアップしていきます。

 そして、勝ち残った者がレギュラーとなっているのです。

 だから勝って当然!

 と言えるほど、野球は単純なスポーツではありませんが、今回の大阪桐蔭の闘いは、点数以上の底力の違いを感じたのは私だけではないはずです。

 宮崎県は、甲子園で優勝したことがありません。

 延岡学園があと一歩のところまでせまりましたが、そのあと一歩で到達できる領域は非常に高い壁が立ちはだかっているのかもしれません…

 ただ大阪桐蔭のような高校だけが、甲子園で優勝できるということではありません。

 宮崎のチームでも、環境と機運を高めて行くことにより優勝旗を手繰り寄せることができると信じて、これからも声援と政策を届けていきたいと思います。

最近の読書5

2014年08月25日 23時19分45秒 | Weblog
 “卒業”と聞いて思い浮かべるのは…

 窓ガラスを壊してまわったこともなければ、ピンボールのハイスコアを競い合った学生時代もなかったけれど、やっぱり尾崎豊さんの歌です。

 ということで、ジャケ買いで重松清さんの“卒業”を読みました。

 この作品は、今まで単発の読み切り小説として発表されたものを、重松さんがあるキーワードで、紡ぎ合わせた短編集です。

 そのキーワードが“卒業”であるのですが、単なる学校や親から卒業ではなく、恋や嫉妬からの卒業を取り上げたものでもありません…

 キーワードは“死”を通して、繰り広げられる“ゆるし”や“成長”だと私は感じました。

 4つの作品で綴られ“死”は、そこに登場する人物のある時期を断片的に捉えたものではなく、人生そのものが凝縮されたストーリーになっています。

 泣けます…

 どの作品も泣けます。

 私が最も泣いたのは、最初の作品の“まゆみのマーチ”です。

 娘と母親の強い絆を背景に、弱肉強食社会で矛盾と生きづらさを抱える人へ、優しさの意味を問いかけてきます…

 あらためて無限の母性と信じて寄り添うというとがどれほど支えになるかということを教えてくれます。

 こんな稚拙な解説では、まゆみのマーチがどれだけ愛に満ちた歌なのか伝わらないと思いますが、ハンカチなしでは読めない作品ですよ!

 そして、私がこの本の中で最も感情移入できた作品は、4番目の“追伸”でした。

 1番目の“まゆみのマーチ”が良かっただけに、あとは段々盛り下がるのかと思いきや、感動そのまま最後の作品で、私の正確に似てると思われる登場人物に出会います。

 それは、母親が病気で亡くなった家庭で寂しい環境にもめげず、ひたむきに未来を切り開いていく息子…ではなく、母親の死後嫁いできた後妻です。

 後妻ってと思われるかもしれませんが、この後妻さんの不器用ながらも歯を食いしばって頑張る姿が、なんとなく今の自分と重なるような気がして、最後の場面では…

 “俺も同じことをするよな…”

 とやはり目頭をおさえていました。

 家族に優しくなれるきっかけをくれる一冊だと思います。

マイボウル&マイシューズ2

2014年08月24日 23時38分25秒 | Weblog
 私の記憶では、当時のボウリングプロテストの実技は、1日に20ゲームを3日間を投げて、アベレージ195以上だったと思います。

 プロにはなれないまでも、せめて遊びの範囲を越えて、緊張感ある競技として自分の程度を試してみたいと考えるようになりました。

 公務がなく時間的余裕ができたときには、真剣に練習をしていました。

 いつしかマイボールは3個になっていました。

 ストライクを狙う1投目には、いわゆるフックボウルになりやすいボウルを選び、スペアを狙う時には、同じ投げ方をしてもあまり曲がらないボウルを使用します。

 ボウリング場の職員さんや会員さんからいろいろとレッスンを受け、教えてもらったことは忘れないようにメモをとり、自分のロッカーの扉の内側にペタペタ貼っていきました。

 いよいよ公式戦デビューが現実的になってきました。

 そんな時にちょっとことが起こってしまいます…

 バイトをして練習をして、次の日仕事をしているときに、ボールペンを持つ手がプルプルと震えるのです。

 書く字が踊ってしまい、手帳にスケジュールを書き込むことが困難なほどでした。

 腱鞘炎でした…

 練習のし過ぎというわけではなく、腕っ節が非力で投球の際に力みすぎていることが腱鞘炎の原因でした。

 痛みがひいて再び練習をすると、決まって次の日はプルプルと震えました…

 仕事に支障が出るようでは趣味が趣味でなくなってしまいます…

 公式戦出場は果たせませんでしたが、アルバイトは楽しく続けさせてもらい、貴重な生活費の助けとなり、2期目の町議会議員選挙も乗り切ることができました。

 先日、久しぶりにマイシューズを引っ張り出してみたら、すっかりカビていてとても履ける状態ではありませんでした…

 それでも今でもボウリング愛好者であることには変わりなく、定期的にボウリング大会も開催させてもらっています。

 皆さんは、もう3度スポーツに魅せられましたか?

マイボウル&マイシューズ1

2014年08月23日 23時38分00秒 | Weblog
 ボウリングを一生懸命していた頃があります。

 高校時代はバレー部でしたが、卒業してから同年で集まることがあれば、必ずといっていいほどボウリングに行っていました。

 その時は力任せのボウリングでしたが、ボウリングが理詰めでできるスポーツだと分かったのは、町議会議員になってからでした。

 29歳、それまで勤務してた古賀総合病院を退職し、木城町議会議員にならせてもらいました。

 町議の報酬では生活が成り立たず、議員になって2年目には銀行口座がマイナスになっていました…

 アルバイトを探しました…

 なんでもするつもりでしたが、公務がある時には休みをもらえる仕事はなかなか見つからず、何より今まで議員を雇ったことがないということで断られることが続きました…

 そんな時、たまたま通り掛かったボウリング場の入口に『急募!アルバイト募集!』とありました。

 ダメもとで飛び込むと、ボウリング場の支配人は、やはりビックリされましたが、それでも私が食い下がり、なんとかかんとか雇ってもらうことができました。

 時給は高校生と同じでしたが、公務優先で働ける場所が見つかってホッとしました。

 ホッとしたのはつかの間…

 アルバイト初日に支配人からとんでもない事を聞かされることになります!

 それは…

 「やっぱり辞めてもらうことにしたよ」

 ではなく

 「バイトが終わったら、空いてるレーンで投げていいよ」

 「え!ホントですか!!!」

 なんとバイト前後の時間なら、無料で好きなだけボウリングをしていいと言われたのです!

 その時、私は言葉が思い出されました…その言葉とは…

 「人生は3度スポーツに魅せられる」

 小中学校は野球、高校はバレー、そして3度はボウリングなんだとピンと来ました。

 それからというものバイトに入る前に時間的余裕があるときは、一人で黙々ニコニコボウリングを楽しむようになりました。

 必然的にマイボウル&マイシューズを購入し、スコアはアベレージで200近くにまでになりました。

 そしていつか県民体育大会や国体などの公式戦に出たいなぁと思うようになりました。

 調子にのって公式戦出場が果たせたのかどうかは…

 明日のブログをお楽しみに(^O^)/

雑感764

2014年08月22日 23時17分36秒 | Weblog
 こう暑いと何をするにもおっくうになりますね…

 汗をかくことは嫌いではないのですが、ワイシャツでベタベタになるのはやはり気持ち良くありません…

 汗かきついでのランニングでおもいっきり汗をかいたあとのビールもいいのですが、できることならざぶんと飛び込みたいところです。

 プール…いやいや、川です!

 自宅近くの小丸川は、今も変わらず清流のままです。

 もうどれくらい川で泳いでないでしょう…

 子どもの頃は…いやいや大人になってからも愛犬を連れてよく泳ぎに行っていました。

 ある夏は、川にいる時に入道雲が一気に張り出し、稲妻が走り出しました!

 ピカッと光っては、バリバリとと音が近づいてきました…

 聞いたことありませんか?

 “ピカッと光ってから3秒以内にバリバリ鳴れば雷は落ちてくる”

 さっさと川からあがりたかったのですが、稲光と音の間隔が段々と短くなってきていて、間違いなく落雷が近くになっていることは明らかでした。

 河原を走っているうちに、自分が避雷針になってはしまわないか…犬をつなぎ止めている鎖に雷が落ちては来るのではないか…など考えると不用意に動くことができなくなりました。

 激しい雨にうたれながら、私たちがとった行動は…伏せ!でした。

 川の浅瀬のところで腹ばいになって、水面には鼻から上だけを出して、ただひたすらにピカッとバリバリが遠のいてくれるのを待ちました。

 果たしてその行動が適当だったのかは分かりませんが、完全にビビっていた私はそれ以外の対応は思いつきませんでした。

 幸い光と音の間隔は次第に離れていき、雨脚も弱まってきました。

 私と愛犬はここがタイミングと、雷が帰って来ないうちに一目散に走って帰りました。

 どうでもいい夏の日の一場面ですが、今でも忘れられない思い出です。

 もうその時の愛犬はいなくなりましたので、もう少しこどもたちが大きくなったら容赦なく川泳ぎで楽しみ方を教えてあげたいと思います。