奇跡への絆

図師ひろき

雑感323

2012年06月30日 23時01分37秒 | Weblog


 「宮崎に来ると海外に来たみたいだ!」

 「ハワイにも似た風景があるなぁ」

 大学のときの友人が来県してくれたとき、ほぼ間違いなく口にする宮崎の第一印象です。

 宮崎の玄関口である宮崎空港から市街地に続くワシントニアパームの並木が、南国情緒あふれる雰囲気を演出してくれているからです。

 このワシントニアパームの管理が今、問題となっており、国道10号線・220号の植栽と景観に関する検討会が設置されている記事を読みました。

 私は物心ついた頃から、ワシントニアパームは今くらいの高さがあったと思いますが、年々着実に成長しているのですね。

 40年程前に植栽されたときには、4~5mであった高さが、今では15~20mとなり、高所作業車がかろうじて届く高くなってしまっています。

 年1回行われる剪定では、交通規制を伴う大掛かりな作業が必要で、1本のワシントニアパームを選定するのにかかる経費は、4万2000円ほどで、約850本ある宮崎のシンボルの管理には、膨大な時間と経費が必要な状態となっています。

 台風などの後には、大きく硬い葉が道路に落ちて、車を傷つけるなどの被害も出ているようです。

 ネガティブな情報列挙となってしましたが、個人的にはワシントニアパームは存続して欲しいと考えます。

 しかしこれからも木が成長し続けていくことにより、交通事故を誘発したり、災害時に非難の障害となってしまっては、本来の道路整備目的を果たせなくなってしまいすので、たいへん悩ましいところです。

 国道10号線・220号の植栽と景観に関する検討会では、県民や観光客を対象にアンケートを実施される予定のようです。

 南国宮崎の看板でもあるワシントニアパーム・・・

 あなたはどのような整備を望みますか?

 

 


県外政務調査報告3

2012年06月29日 22時42分22秒 | Weblog


 島根に飛びました。

 島根県は古事記編さん1300年の歴史的節目を捉えた事業の先進地です。

 島根県では平成22年から“神の国しまねプロジェクト”を立ち上げ、観光誘客のためのキャンペーンや集客イベントに加え、観光・旅行スタイルの構造的変化を促す事業を展開されていました。

    

 具体的には

 〇「神話博しまね」の開催

 〇全国夜神楽フェスティバル

 〇観光ガイド養成研修会への助成

 〇メッセージソングやプロモーション映像の作成

 〇神話周遊バスなど広域2次交通の整備

 〇まち歩き観光(定時ガイドの設置)整備 などなど

 県、市町村、民間団体、経済界が一体となって「しまね」の存在感を全国に発信し、多くの方々に訪れていただくためのプロジェクトが波打って動いています。

 このプロジェクトには4年間で約25億円が投入され、観光入込み客延べ数500万人増を目指し、観光消費額を概ね200億円とする数値目標も設定されていました。

 さらにこの目標を達成するために、県商工労働部長を筆頭に、市町村や観光連盟職員らが60名体制で“神々の国しまね実行委員会”が組織されていました。
 
     

 神話に関しては、島根にも奈良にも勝るとも劣らない歴史が息づいているのが本県宮崎県です。

 しかし島根の取り組みは、現時点において比較することが困難なほど専行されています。

 この古事記編さん1300年は、単に歴史的節目であるだけではなく、県民一人ひとりに郷土の素晴らしさを再発見してもらい、ふるさとへの愛着と誇りに繋がるような働きかけが必要であることは言うまでもありません。

 行政主導になり過ぎると、県民が置き去りとなり、一体感のないまま他人事のように行事が消化されていくことは何としてでも避けなければなりません。

 そのためにもまず我々行政に携わる者が、熱い情熱を持って歴史の節目に向かい合うことが必要です。 

 島根県の取り組みをしっかり検証し、宮崎は何をすべきか提案していきます!











県外政務調査報告2

2012年06月28日 23時10分00秒 | Weblog


 

 農林水産省において、農業問題解決に向けた政策展開について意見交換を行ってきました。

 景気低迷と農畜産物の価格低迷、さらに高齢化や後継者不足などが合い間って、耕作放棄地が増加し、5年後10年後の農地がどうなるかの展望が描けない地域が増えています。

 国はこれらの状況改善のため、新規就農者への支援と農地を集積するための支援策を打ち出しました。

    

 新規就農者に対しては、農業を始めてから経営が安定するまでの方で、原則として45歳未満で、市町村の認定を受けた方に、年間150万円を最長5年間給付する制度を創出しました。

 さらに農業法人が新規就農者を雇用し、技術や経営ノウハウなどの研修を実施する場合には、一人につき年間120万円を最長2年間助成する事業も新設されました。 

 また農地集積のため、農地を提供される方に対して、農地集積協力金が給付されることとなり、農地の受け手に対しても規模拡大加算金として10aあたり2万円の支援が受けられることとなりました。

 そして今後の人と馬内の問題を解決するために、農村の未来設計図とも言える“人・農地プラン”を各地域で作成することも求められることになります。 

 “今後、各地域の中心となる経営体(個人、法人、集落営農)はどう選定すればいいのか?”

 “中心となる経営体に、どうやって農地をあつめるのか?”

 “中心となる経営体とそれ以外の農業者を含めた地域農業のあり方をどうするのか?”

 これらの内容を、地域と市町村が協議し、前述の制度を活用しながら、日本の農業を守るための取り組みが動き出しています。

 これらの情報については、農林水産省のホームページにも掲載されていますが、資料だけでは読み解くことができない詳細な意見交換ができたことは大変有意義でありました。

 このあと前原政調会長や樽床副幹事長を表敬訪問させていただき、宮崎の実情を訴え、支援を直訴してきました。

    


県外政務調査報告1

2012年06月27日 22時36分03秒 | Weblog


 「できちゃった結婚の国際結婚のようなもの」

 県議会会派“新みやざき”の方々と政務調査に行ってきました。

 婚活状況を調査してきたのではありません・・・

 冒頭の言葉は、何を表したものだと思いますか?

 これは全国先駆けて平成14年から幼保一体施設を整備し、質の高い保育、教育を一体的に取り組まれている東京都品川区にある“北品川すこやか園”の園長先生が語られた言葉です。

 その言葉から、ここまでも取り組みの険しさがにじみ出ていました。

     

 児童福祉法に基づく保育園と学校教育法に基づく幼稚園とが連携し、就学前教育を進めていくことは、国においてもいまだ方針が固まらないこともあって、現場は苦悩の連続であることが、今回の調査で再認識しました。

 北品川すこやか園では、御殿山幼稚園を北品川第二保育園を統合し、保育園と幼稚園のメリットを融合させ、子どもの視点に立った、運営が行われています・・・と書けばとても聞こえはいいのですが、現場職員さんたちの苦労は・・・

 「できちゃった結婚の国際結婚のようなもの」

 できちゃった結婚とは、現場の準備が整っていないにもかかわらず、制度が専行してしまったことのひずみを表し、国際結婚が表すものは、対象となる子どもは同じでも、保育と教育内容には大きな隔たりがあることを意味しています。

 北品川すこやか園では、この困難を乗り越えるため、早期から関連保育園と幼稚園間で派遣教育制度を導入し、障壁の軽減に取り組まれ、多様なニーズに応じた長時間保育や短時間就労支援、幼稚園での預かり保育などを実施することにあたり綿密な準備をされての開園を迎えられました。

    

 さらに北品川すこやか園では、隣接する小中一貫校“品川学園”と連携し、0歳から15歳までの、幼・保・小・中を通じたジョイント期独自カリキュラムを導入し、交流活動を推進しています。

  子どもの笑顔を守る裏で、職員さんたちの様々な汗が流されていることを目の当たりにし、今後の政策提案に大いに役立つ調査となりました。

 

 




 


若者連繋同志会 わっけいどう

2012年06月26日 23時18分33秒 | Weblog


  

木城町若者連絡協議会の総会に参加させてもらいました。

 木城若者会は、農協青年部、商工会青年部、青年団、SAP会議の4団体に属する若者によって構成されていましたが、各団体の事情や若者の減少により、徐々にその形は変わってきています。

 形は変わっても、志は高く、今でも町内の若者たちの強力な団結力と実践力をもって、値域をけん引し、木城の発展のため常に原動力となってくれています。

 柱となる取り組みは、西日本では最大級にまで成長した4時間耐久マウンテンバイクレースです。

 九州各地のマウンテンバイク大会は、木城の大会を起点として組み立てられるようになり、全国各地からライダーが終結してくれます。

 私もこの大会の実行委員長を3回させてもらいましたが、毎回閉会式のあいさつではボロボロと泣いてしまうほど、仲間とイベントを創り上げていくことの素晴らしを体全体で感じていました。

 今回、その若者会が児湯郡内の各若者会と連携して、“若者連繋同志会 わっけいどう”を立ち上げました。

 郡内の若者会が連動することにより、さらなるエネルギー発信に繋がるものと大いに期待しています。

 私が若者会代表をしているときも、高鍋町青年団と連携して、“K&Tサークル”なるものを立ち上げ、その活動に呼応するように都農、川南、新富が手を繋ぎ、西都、西米良がグループとなり、西都・児湯の若者が一気に盛り上がって、県全体をプレイグランドにして汗を流した頃がありました。

 その時には、県から補助金もありました。

 今回の若者連繋同志会 わっけいどうは、自力で動き出したばかりですが、私の立場でできるバックアップを全力でやっていきます!


雑感322

2012年06月25日 23時25分03秒 | Weblog


 九州・山口の人気観光地ランキングがリクルートから発表されました。

 旅行情報誌“九州じゃらん”の読書アンケートを集計したもので、九州・山口8県の102観光地が対象で、トップは2年連続で熊本県の“わいた温泉”で、2位は鹿児島県の“霧島温泉”でした。

 同じ鹿児島県の指宿温泉も含み、鹿児島市自体のランキングも前年度からアップしており、如実に新幹線効果が出た内容となっています。

 残念ながら私は“わいた温泉”には行ったことがありませんが、わいた温泉は秘湯感があり、低料金で貸しきり風呂に入れるため、家族連れの日帰り旅行先として親しまれているようです。

 ところで宮崎県の観光地はどうなのかと探してみると、10位以内には見つからず、やっと12位に高千穂。五ヶ瀬が・・・

 宿泊数人数ランキングでも14位に宮崎が顔を出す程度で、2年前までの東国原前知事ブームはすっかり過ぎ去ってしまったと言わざるを得ません。

 リクルート広報部のコメントに

 「温泉地ではない高千穂・五ヶ瀬が12位であることは健闘しているのではないか」

 とありましたが、本県への心配りに満ち溢れた言葉が、さらに寂しく感じられました。

 県は知事のリーダーシップのもと、“県民100万泊運動”を展開しています。

 これは県民が県内の観光地などを巡り、人と物の交流を促進し、県内宿泊所を利用することにより経済活性化に繋げようとするものです。

 さらに今年は、古事記編さん1300年にあたり、9年後の日本書紀編さん1300年に至るまで、日向神話を活用した観光客誘致を年次的に事業化していきます。

 まずは我々県民一人ひとりが、日向神話ゆかりの値域を訪ね、宮崎の魅力を再発見し、それを自信もって県外への情報発信していくことが大切だと思います。

 


雑感321

2012年06月24日 23時19分29秒 | Weblog


 島根県内で“小地域福祉活動”が広がりを見せているようです。

 これは島根県社会福祉協議会が主導して、各自治会を単位として、一人暮らしの高齢者宅などを訪問し、かけ声や状態確認をする福祉活動です。

 これまでの福祉活動は、公民館単位が進めやすいとされてきましたが、家族の福祉力が衰えていく中、活動エリアが広域だと身近な問題として捉えにくいとの指摘を受け、島根県内6300自治会を対象に活動展開されています。

 県社教が、活動用手引書を作成し、経費補助を行うことにより住民同士の距離感を縮めているとのこと。

 一方、この活動には自治会への加入が前提となっていますが、島根県においても自治会の加入率の低下が問題となっているようです。

 出雲市では自治会加入率は72%、松江市では68%にまで低下しており、活動組織の弱体化にも繋がりかねないとの危惧があるのも事実です。

 皆さんの地区の自治会加入率は、どれくらいですか?

 私の住む川原地区は、40戸ほどの小さな集落ですので、公民館区も自治会区もほぼ同じで、ほとんどの方が自治会に加入されています。

 毎月の地区定例会と老人クラブや子ども会、各種行事により地域の絆は強く残っています。

 隣近所の声かけはもちろんのこと、道端に腰掛けての世間話もちょくちょく見受けられます。

 うちの隣のおばあちゃんも一人暮らしですが

 「なんかあったら、ひろっくんに頼むかいね、よろしくね!」

 「いいよ、任せちょきない!」

 と家族同然の付き合いをさせてもらっています。

 県民一人ひとりが小さな声かけから、絆を実感できたら素敵なことですね。


雑感320

2012年06月23日 23時07分00秒 | Weblog

 

 私の自宅は、木城町の中心部からも車で20分ほど離れた中山間地にあります。

 近くにはキャンプやカヌー、それにマウンテンバイクやボルダリングもできる川原自然公園があり、大自然に囲まれて生活しています。

 まるで森林浴をしながら生活していると言っても過言ではない緑豊かな地域です。

 しかし、下水処理施設へのつなぎ込みが対象外の地域であるため、合併浄化槽を設置するか、定期的に汲み取りに来てもらわなくてはなりません。

 自宅は汲み取りをしてもらっているのですが、いつも手際よくきれいな作業していただいている衛生社の方々には、いつも感心させられるとともに感謝しております。

 私が在宅時に、作業してもらうときには必ず表に出て、

 「お疲れ様です。お世話になります。」 

 と声をかけさせてもらっています。

 ある時、作業員の方から素敵な話を聞かせていただいたことがあります。

 「いつも大変な仕事をしていただいて、ありがとうございます。」

 「大変な仕事は、図師さんも同じじゃないですか!」

 「いやいや、それでも皆さんたちの過酷さは特別ですよ。」

 「そう言ってもらうと有り難いです。

 私たちは川の入り口になる仕事をしていると思っています。

 きれいな水にして川に戻すことは大切なことですから。」

 今でも、若い作業員の方がキラキラ語ってくれたことを覚えています。

 先入観を持っていた私の頭を、爽やかな笑顔で思いっきり叩いてくれました。

 あらゆる仕事は、その地域を支えていく上で欠くことのできない尊い役割があるのだとあらためて認識させていただきました。

 これからもひた向きに活き活きと働かれている作業員の方々の姿を鏡に、私も過酷な仕事に果敢に挑んでいきます!


雑感319

2012年06月22日 23時13分16秒 | Weblog

 “タクティールケア”“モラピューティックケア”という取り組みについて学びました。

 この2つの手技に共通す点は、認知症の高齢者の方々と接する際に、特に話をするときに高齢者の手や背中をゆっくりとなでながら聴くというものです。

 高齢者に触れながら話を聴くことにより、親密で温かな交流ができ、高齢者も心が落ち着いて“自分が大切にされている”と感じ、同時に血圧が下がり、自律神経がバランスを保つようになるようです。

 「特に幼児が触れると、若い“気”の交流が起こり、高齢者は若返り、元気になる。」

 と桜美林大学の山口准教授は述べられています。

 話は少し変わりますが、以前勤務していた古賀総合病院の春草園という老人保健施設の事務長さんが語られていた内容を紹介します。

 「図師君、職員の働きを見る時に、どこを見ていると思うかね?」

 と尋ねられたので

 「個別化された介護技術と言葉遣いでしょうか・・・」

 「何を難しいことを言っとかなぁ、膝だよ、膝、職員の膝を見ればどれくらい働いているかよく分かるんだよ。」

 「膝の使い方ですか・・・」

 「そうではなくて、ズボンの膝の所がいかに汚れているか、どんなにすり切れているのかで、どれくらい利用者の目の高さで仕事をしているか一目瞭然なんだよ。」

 確かに食事介助をするときも、ベッドサイドで話をするときも、高齢者と視線を同じくし、体を密着させた介護をする時には必然的に膝をつく必要があります。

 また体を密着させることにより、安全な介護ができ、事故防止と介護者側の身体ほどにも効果的です。
 
 そして高齢者に触れることにより、孤独感を和らげ、不安や苦痛を癒すことに繋がります。

 このことは“タクティールケア”“モラピューティックケア”の原点でもあります。

 これからは高齢者の方々に触れるということをより意識して生活していきたいと思います。 


雑感318

2012年06月21日 23時26分05秒 | Weblog

 1つ目のハードルは、勢いよくなぎ倒された・・・

 バランスを失った鋼の肉体は、歩を進めることができず、雨で濡れたトラックに投げ出された・・・

 “終わった”

 降りしきる雨とスタンドからの悲鳴にも似た落胆は容赦なくランナーの力を奪っていきました・・・

 それでも立ち上がった。

 ゴールまで力を振り絞り走りきった。

 57秒64というタイムは、出場選手30名中最下位で、自身の持つ日本記録よりも10秒あまり遅かった・・・

 それでもどの勝者よりも温かく、そして感謝に満ちた拍手の中で、最後のレースを終えた。

 男子400m障害の為末選手のオリンピックへの道が幕を下ろした瞬間でもありました。

 4年前のオリンピックでは、メダルを期待されながらも予選で敗れ、支えてくれた人たちに恩返しできなかったことを悔やみ

 “ボロボロになるまで走ろう”

 と決意し、4年間走り続け、そんな中、東日本大震災のボランティア活動や人脈を生かして義援金を集めるなど、被災者の方々の心身の支えともなっていました。

 そして希望を託されたレースで転倒した姿を見て、泣き崩れた被災者の方も少なくなかったと思います。

 それでも立ち上がり、走りきってくれた為末選手の姿勢から、悲しみを乗り切るに余りある勇気をもらった方も多くいらっしゃると思いますし、私もその中の一人です。

 為末選手は前を向いています。

 「スポーツを使って、社会の問題を解決していきたい!」 

 為末選手が描いているビジョンははかり知ることはできませんが、ゴール後スタンドの拍手の向かって手を振る表情からは、晴れ晴れしささえ見て取ることができました。

 一人で悔し涙を流されることもあろうかと思いますが、為末選手の生き様から力を得る人たちがたくさんいる事を信じて、次の夢を達成して欲しいと思います。