県立農業大学校の卒業式に参加させていただきました。
農業大学校には、水稲畑作経営コース・野菜経営コース・花き経営コース・果樹経営コース・酪農経営コース・肉用牛経営コースがあり、県内各地から明日の農業を担う志のある若者が集まってきます。
農業の“光”とも言える今年度の卒業生は、専攻科も合わせ61名。
卒業後の進路は、即就農される方が18名。農業団体や農業関連産業に就かれる方が20名。研修や進学後就農される方が10名などとなっています。
農業を取り巻く情勢は、燃油価格が落ち着いてきたとはいえ、楽観視できる要素は少なく、経営の厳しさは増すばかりです。
東国原知事も挨拶の中で
「・・・今まで農業は“3K”とよく言われてきた。これからの農業は同じ3Kでも“かっこいい”“稼げる”“感動する”農業にせんといかん!・・・」
と語られました。厳粛な式の最中でしたので、私は大きくうなずき心の中で拍手しました。
どの仕事もそうですが、苦しい苦しいと言ってばかりでは何も事態は好転しません。
自分で選んだ仕事であれば、努力し、工夫し、感動できる仕事に仕上げることが肝心です。
私は自分に言い聞かせます。
“極めたもん勝ち!!”
“人に負けてもいい、しかしやるべきことをやらない自分の心の弱さには、絶対負けたくない”
と。
農業経営は、天候や市場に左右されるため安定させることは困難を極めますが、安心安全、良質な県産品が国内外でさらに評価されるように、私たちがしっかり市場開拓・販路拡大に努めていきます。
ですから農業大学校の卒業生の皆さん、そして生産者の皆さん、共に頑張りましょう!!
宮崎県警察音楽隊の定期演奏会に行ってきました。
初めて聴きに行きましたが、観客の多さにビックリ!!
会場の宮崎市民文化ホールの大ホールは1階と2階だけで1200席以上ありますが、私が到着した時にはすでにほぼ満席。
議員用の来賓席は用意してありましたが、一般の方に譲り、私は最上階の5階に向かいました。
300席ほどある5階席も、すでに半分くらいはお客さんが・・・
先日のクラリネットコンサートの時もそうであったように、この日も“宮崎のクラシック人気は定着してきている”と感じました。
警察本部長の挨拶ののち、演奏は始まりました。
演目は
○シンフォニア・ノビリッシマ
○イギリス民謡組曲
○サクソフォーンのためのブルース
○バンドとドラムセットのための協奏曲(これが一番良かった!)
などの三部構成。
第二部では、大淀中学校吹奏楽部とユーフォニアム奏者の小寺香奈さんの演奏がありました。
そして驚くことに“警察学校校歌”や“白バイの歌~仲間たち~”“機動隊の歌~この世を花にするために~”などの披露もありました。
それも白バイ隊や機動隊の制服そのままに、熱唱!熱唱!熱唱!でした。
警察音楽隊は、県民と警察を結ぶ音の架け橋として、県内各地で行われる交通安全運動や地域安全活動などの諸行事や小・中学校の音楽鑑賞教室の場において幅広い活動を行ってくれています。
仕事の合間を縫って練習をし、県民を癒す活動をされる楽団員の皆様には頭が下がります。
心休まる優しいひと時を、ありがとうございました。
2月定例議会もいよいよ中盤戦!
ますます頑張れます!!
代表質問2日目!
愛みやざきの出番です。
議会において本会議場で、知事及び執行部に対し、予算の執行が適切に行われているのかを質問し、政策を提案する場が大きく分けて3つあります。
1つは、議員個人が自らの調査・研究に基づいて質問・政策を繰り出す“一般質問”。
もう1つは、決算に対する質疑を展開する“総括質疑”。
そして所属する会派を代表して、県内の諸課題解決のための質問・政策提案を行う“代表質問”です。
今回は愛みやざきを代表して武井議員が登壇してくれました。
持ち時間は50分。答弁時間も含めると約2時間の攻防となります。
登壇10分まで、原稿と闘う武井さん。
質問事項の主なものは
・知事の政治姿勢について
→就任2年時点の自己評価
→全国紙に選挙応援依頼があると掲載されたが真相は
→副知事の再任理由
・エコクリーンプラザみやざき問題について
→外部調査委員会の調査結果を踏まえ、告発をするようだがその内容と時期
→告発後、不起訴ないし無罪となった場合、名誉毀損等で反訴を受ける可能性があるがその時の対応は
→その時の裁判費用の負担は
・精神科医療の拡充について
→宮崎病院精神科医療センターが「急性期治療」「難治性疾患治療」「児童思春期治療」「身体合併症治療」「高次救急医療」に特化し診療を行う予定だが、そのための体制と運営計画
・巨人軍キャンプと観光政策について
→沖縄移転問題についての見解
→平和台公園の“平和の塔”の内部解放は
などなど約80項目にわたる質疑応答が繰り広げられました。
私は本会議場では武井さんの真後ろの席です。
大きな背中に“頑張れ!頑張れ”と念を送ることしかできませんでしたが、武井さんは見事に闘ってくれました。
詳しくは、宮崎県議会ホームページで録画映像がご覧になれますので、見ていただいてご感想をお寄せ下さい。
質問を終え、会派室にもどると椅子に座るなり、武井さんはコックリコックリ・・・
ここ2週間ほどは少ない睡眠時間で走ってきたから・・・
今夜はたくさん眠っていいよ。
恒例となっている松田代表の応援メッセージ。
西村議員が奥さんと一緒に“宝物”連れて来てくれました。
《美黎(みれい)》ちゃんです!
髪の毛フサフサ。ほっぺはまるまるつるつる。
おそらくまだはっきりとは見えていないまなこで、キョロキョロと声を追っかけて来ます。
可愛いとしか言葉がないですよ。
みんな笑顔、笑顔、笑顔。
抱っこさせてもらいました。
やわらかい!!
甥っ子姪っ子をたくさん抱っこしてきたましたが、首の座っていない赤ちゃんを抱っこするのはやっぱり恐々です。
赤ちゃんは、片手でも持てそうくらい小さな温もりですが、周りを温めてくれる大きな大きな太陽ですね。
「どんなに疲れて帰っても、子供の寝顔を見れば、疲れも吹き飛び、また明日から頑張ろうという気持ちになりますよ。」
と西村さん。
羨ましいな・・・
心を亡くしそうな日々が続くと、エネルギーが枯渇しそうになります。
武井議員ともども、実体験を踏まえた子育て政策が語れる愛みやざきとなれるよう頑張ります!
以前のブログ“手紙”で書き残した、私が字が書けなくなった時のことをこぼします。
正確には字が書けなくなったのではなく、書くのが嫌で嫌で強いストレスを感じていた頃があります。
中学2年の時、担任の先生から職員室に来るように言われました。
やばい・・・説教か・・・すると
「図師は、授業を受ける態度が変だぞ!自分で分かっているのか!」
鼻をほじりながらボケーっとすることなく、いたって普通に授業を聞いているつもりの私は全く心当たりがありませんでした。
「分かりませんが・・・」
「お前は、消しゴムを使うことが多すぎる!」
ハッとしました。
確かにその頃の私は、1日に1個は消しゴムを使い切っていました。
書道を習っていた私は、字を丁寧に書くことにこだわり、こだわりすぎ、自分の納得できる字が書けるまで、書いては消し、書いては消しを繰り返していました。
そうしているうちに、ノートは破れ、次のページに書き始め、また書いては消し、書いては消し・・・
当然、その時間に黒板に書かれた内容を写し切れず、友達からノートを借りることもたびたびでした。
午前中の授業が終わる頃には、私の机に周りは、消しゴムのくずの堤防ができる程でした。
何故、書くことが苦手になっていったのか・・・
大学で心理学を専攻し、青少年の発達心理学の研究にも没頭しました。
その時、“チック症”という症状について学びました。
チックは子供によく見られる病的な癖です。
まばたきや、首を振る、鼻をならす、咳払いをする、口をゆがめる、顔をしかめる、肩をゆするといった動作が、無意識のうちに何度も繰り返されるものです。
時には、大声で奇声を発する場合もあります。早い場合は4才すぎから始まりますが、7才から10才ころ始まるのが多いようです。
チックは、多くの場合、心因性で、その背景に、日常生活で、たとえば勉強で過度の期待をされるとか、周囲の家族の描く「良い子」であり続けるために、緊張や不安が続くような状況があり、さらに「いじめ」や、本人に納得のいかない叱られ方をしたなどの心理的ショックがきっかけになり発症します。
チックの子供の家庭では、しばしば家族の中で対人的な精神的緊張状態を見ることがあります。
たとえば、父親と母親の不仲、あるいは嫁姑の摩擦などです。
チックという症状で、むしろまわりの緊張状態の存在を表現しているといえるケースが、結構おおいのです。つまり、子供が最初に黄色信号を発信しているといえるのです。
“まさに、あの頃の俺はこれだったんだ!”と思いました。
中学の頃の我が家は、寒かったです。
おやじは仕事仕事、付き合い付き合いで帰宅は遅く、お袋はそんなおやじに不信感を抱き、冷たい喧嘩の絶えない家庭でした。
一つ下の妹は、素直にぐれました。
うらやましかった・・・
生徒会長をしていた私は、学校でも家でも良い子で居続けなければなりませんでした。
その時、字が書けなくなりました・・・
書いては消し、書いては消ししながらも、うまく書けた時は嬉しくて、そこにささやかな喜びを見出そうとしていたのかも知れません。
チックは、ほとんどの場合、一過性で、チツクそのものを指摘したり、あるいは止めさせようと叱ったりしないで、暖かく、優しく見守るだけで、数日から数週間で治まります。
実際、私も家庭が温さを取り戻すにつれて、症状は消えていきました。
その頃の痛みのおかげで、精神的不安を抱える方に偏見を持つことなく寄り添うことができ、精神保健福祉士として働く場も与えていただきました。
それらの経験が、今も弱い立場の方々のために働きたい意欲の源になっています。
そして何よりの力の源は、おやじとお袋の会話であり、笑顔です。
ありがとう。
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)キャンプ盛り上がってますね!
イチロー選手は一挙手一投足が、絵になるというか、芸術ですね!
くしくも私の所属する野球チーム“ルーキーズ”も紅白戦を行いました。
試合前、小雨がぱらついていましたが、プレイボールの時には、グッと堪えてくれました。
私を筆頭に、どの選手もまだまだ調整不足でしたが、気持ちいい汗をかくことができました。
プロ野球同様、この時期はバッターの目が慣れていないため、7割程度で投げ込まれるボールになかなか着いていけません。
凡打の山、山、山・・・
私は8番、セカンドで先発出場!(18人しか来ていなかった・・・)
第一打席。気負わずバットを出したら、うまいことボールがバットに乗っかってくれて、センター前ヒット!
第2打席目。セカンドフライ。
第3打席目。空振り三振。
第4打席目。変化球に何とか対応でき、ピッチャー返し。センター前ヒット!
昨年私は、公式戦で1本もヒットが打てませんでした・・・
だから紅白戦とは言え、打てて思いっきり嬉しかったです!!
まだボールに喰らいついていくので精一杯だから、フルスイングできていません。
バッティングセンターに通って、自信がついたら、腰とかけがしてもいいからフルスイングをします。
そしてワンストライクを取られたら、バットを少し短く持って、チームバッティングに徹します。
ルーキーズは、本当に気持ちのいいメンバーばかりです。
背番号10。監督です。厳しいけどまっすぐです!
このメンバーと大会で優勝したい。いや優勝します!優勝しような!!
オォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!
政務調査では、いつも欲張ってしまいます。
時間のある限り、できるだけ多くのことを学ぶためにあちこち駆けずり回ります。
今回も予定されていた研修プログラムは終わっていたのですが、松田代表が
「知り合いがスウェーデン大使館におるけん、勉強に行ってみるかい?」
と誘っていただいたので、二つ返事で
「はい!着いて行きます!!」
と電車に飛び乗りました。
スウェーデン大使館につくと、趣のある建物に青地に黄色の十字の国旗がたなびいていました。
門をくぐるとそこはスウェーデン領となるため、残念ながら建物の中は撮影の許可を取ることができませんでした。
大使館に勤務されている日本人の方が、丁寧に案内していただき、スウェーデンのクオリティケア視察研修プログラムについて説明していただきました。
このプログラムは、スウェーデンの医療・福祉・教育・環境などの分野について海外から視察団を受け入れる内容になっており、北欧の国々はこうやって観光以外の旅行客も多く受け入れています。
プログラムの概要を聞いていると、デンマーク研修をしてきたばかりの私にとっては重なる内容がほとんどでしたが、説明される方が熱心だったので、
“デンマークの制度はさらに細かなところまで・・・”
なんて無礼なことは言えませんでした。
余談ですが、スウェーデンでは“サウナ”が日常的に利用されていますが、なんと大使館内にもサウナがありました。
さらに私は、帰りの飛行機に乗る前に、一人で日本橋にある“島根県物産館”に行ってきました。
ご存知の方も多いと思いますが、宮崎県の物産館“KONNE”は新宿駅南口にありますが、島根県のそれは日本橋三越百貨店の真向かいにあり、客の動線をしっかりと捉えていました。
オフィスビルも多いこの辺りの客層も考えて、店頭には地元産品をふんだんに使った弁当が並べられていました。
店内に入ると、元気のいい“いっらっしゃいませ”が飛んで来ました。アポなしで伺ったので
“客じゃないんですよ・・・調査に来ました・・・”
とも言えず、店内を一通り見て周ったあと、店頭のお弁当を覗きつつ、観光客気取りで入り口上の看板の写真を撮りました。
そうこうしていたら、飛行機出発まであと1時間!
やばい!!
慌てて羽田に向かいましたが、空港に着いたのは出発12分前!それでも諦めず、チェックインカウンターに滑り込んだら、カウンター越しに女神が
「なんとか間に合います!私に着いて、走って下さい!」
空港の端っこにある宮崎行きの搭乗口まで走る走る!
チケットを機械に流し込み、半券を受け取り、振り返ると女神は笑顔で見送ってくれてました。
次回からは搭乗時間15分前にはちゃんとチェックインします。
愛みやざきで“株式会社 パソナ”に行ってきました。
人材派遣・請負事業の最大大手パソナは、2年前から農業に興味がある人たちを対象に“農業インターンプロジェクト”を実施しています。
この事業は、農業未経験者に研修を行い、まず農業に興味を持ってもらう。農業をビジネスとして捉え、新しい発想と知識を持った意欲ある人材が参入できるインフラを創造されていました。
秋田県大潟村の受け入れ農家(インターンシップ)に、約60人の中高年者を対象として行われた研修では、企業退職者や会社をリストラされた人たちが、生産技術を習得するだけに留まらず、今まで仕事で培ってきた営業ノウハウを生かし、流通ルートの開拓までも手掛けるなどの活動が展開されている。
またパソナが農業分野での雇用創出に向けて取り組んだ事業のひとつは、作物栽培と癒し空間を兼ねた施設“パソナO2”の開設があります。
この施設を中心に行われているのは“ビル農業”と言われ、建物の中で「水耕栽培」(土を使うことなく養分を含む培養液で栽培する方法)や「LED」(発行ダイオードのことで電流を流すと発光する半導体素子。寿命が長く、消費電力が少ないので植物栽培用の光源としても注目を集めている)「メタルはライドランプ」(太陽光に近い色のランプで、室内の植物栽培に用いられることが多い)などを利用して、野菜約20種類、花類約10種類。ハーブ約100種類が栽培されていました。
これはサラダ菜です。右側の写真は、試食用のサラダ菜で、柔らかくて美味しかったです。もう少しシャキシャキ感があれば・・・
これはミニトマトの水耕栽培です。
稲です。メタルハライドランプや高圧ナトリウムランプで栽培されていました。
薔薇です。薔薇は光が強ければ強いほど、大きく咲くそうです。
パソナは、農業とリンクさせ200万人の雇用創出を目指しています。
夢を感じました!
千葉県精神科医療センターで研修をさせていただきました。
千葉県立のこの病院は、入院ベット数50床と小規模病院ではありますが、年間入院件数462件。延べ入院件数17,628件。病床稼働率96.3%。(平成19年度)
この規模の病院としては、驚くべき数字が並びます。
この入院件数は、200~400床規模の病院に匹敵するほどの実績です。
稼働率96.3%という数字も驚異的で、入院件数と稼働率が高いということは、平均在院日数(入院期間)が短いことを意味します。
なんと平均在院日数は、38日!!
精神科医療施設では、200日を超えるところも珍しくありません。
この実績を裏づけする要因を2つあげたいと思います。
まず1つは、千葉県の精神科救急医療システムの効率的運用です。
この精神科医療センター内に設置してある“精神科救急医療センター”は、精神保健福祉士等が24時間体制で電話相談に応じています。
その相談件数、年間約30,000件!
その電話相談を受け、医療的介入が必要と判断された場合、このセンターで受け入れることはもちろんのこと、地理的困難なケースは、県内4ヶ所の基幹病院および輪番病院に、迅速に振り分けられ、初期介入が行われます。
このシステムの運用により、症状の重症化が防げることはもちろんのこと、医療的介入が必要ない、つまり専門家が相談を聞いて、問題の整理を行うことが、利用者にとっては何よりの安心に繋がるのです。
このシステムの構築により、自殺率の低下ににも効果を発揮していると考えられます。
“救急を予防している”と言えるでしょう。
そして2つ目は、少し前述しましたが、24時間体制で相談を受ける際に、精神保健福祉士等の専門家が対応するということです。
この救急情報センターは、医療センターの医療相談室を兼務することになっていて、現在11名の専門員が3交代で勤務されていました。
夜間相談対応は1人になり、かなりの激務で、現場としては増員をして欲しいとのことでしたが、50床規模の病院に精神保健福祉士等の専門員を11名も配置し、高密度のサービスを提供している医療機関も類を見ません。
ご存知の通り、医療機関は診療報酬収入と利用者の3割負担で経営が成り立っています。
しかし、精神保健福祉士業務のほとんどは、診療報酬化されていません。
つまり医療機関にとって、精神保健福祉士業務は、非採算部門であり、精神保健福祉士を多く雇えば雇うほど人件費がかさむのです。
それでも千葉県精神科医療センターでは、利用者へのサービス向上のため専門員を多く配置し、医師、看護士との連携のもと救急体制を強化することにより、利用者との信頼関係をがっちり結ぶことの成功されています。
その証拠に、入院患者の約7割は、退院後も当センターに通院され、年間の延べ外来患者数も38,070人(平成19年)と、この数字も400床規模の大病院と匹敵します。
宮崎県も精神科医療施設であった富養園の規模を縮小し、救急および合併症、そして思春期対応に機能を特化し、宮崎市内にある県病院に併設されます。
千葉県の取り組みを大いに参考にして、県民サービスの向上と自殺率の低下にために積極的な政策提言をしていきます。
県議会の拉致問題対策議員連盟で研修に行ってきました。
国の拉致問題対策室に行き、対策室長と被害者家族会及び支える会の方々からレクチャーを受け、有意義な意見交換をさせていただきました。
率直な感想として、国と家族会・支える会の方々の考え方には温度差があると思いました。
国としては、拉致問題を総合的な国際問題としてとらえており、6カ国協議を通しての進展に重きを置いています。
家族会の方々は、1日1日の時間の経過に焦りを抱かれ、拉致問題が“伝説化”“物語化”してしまうこと大変危惧されています。
私は家族の気持ちに痛く共感しました。
身内が誘拐されていて、のんびり生活できる家族がどこにいるでしょう!
それも30年間です!!
この国家的犯罪を絶対に許してはいけません。
家族会の方々は、北朝鮮に対しての更なる経済制裁を望まれています。
これは危険性も伴います。
経済制裁を強化することにより、北に残されている家族に危害が加えられるかもしれないからです。
それでも家族は、日本政府の手ぬるい対応に強い憤りを抱いていらっしゃいます。
事実、北朝鮮は拉致に関して再調査を約束していますが、追加報告は一切行われていません。にもかかわらず日本政府は先に経済制裁を緩和する姿勢を示しています。
日本からの援助は、北朝鮮国民に行き渡ることなく、上層部が吸い上げている状況はマスコミでも度々取り上げられています。
忘れてはいけない!
皆さんの記憶から、拉致問題が薄れてはいませんか?過去のものとなっていませんか?
忘れることは、許すことです!
忘れてはいけない!!
県議会としても、拉致問題を風化させないために、拉致問題を取り上げた映画の上映会を予定していますし、引き続き国に対し積極的な対策を講じるよう働きかけていきます。
是非、皆さんもご家族とこの拉致問題について語ってください。
我が家族のこととして考え、被害者家族のことを想ってください。
北朝鮮が恐れていいることは、世論の怒りです!
日本政府の対応を後押しするものも、世論の怒りです!
もう一度言います。
忘れることは、許すことです!!