奇跡への絆

図師ひろき

最後になることを決める最初の世代になりましょう。

2014年12月31日 21時47分56秒 | Weblog

 今年もたくさんの出来事と出会いと、そして感謝に満ち溢れた素晴らしい一年でした。

 苦労は、感動をさらに大きくしてくれる存在で、やはりなくてはならない時間でもあります。

 今ここで、今年もっとも感銘を受けた出来事を思い出し、来年への活力にしたいと思います。

 私がどうしても譲れない今年一番の感動は、『マララさんのノーベル平和賞受賞』であり、国連での演説から脈々とつながる心臓をわしづかみにされてやまないマララさんの情熱です。

 新聞やテレビで断片的に伝えられる内容だけでも、十分すぎるほどの説得力と発信力でしたが、今年を振り返るにあたり、もう一度マララさんのノーベル平和賞受賞時の演説を読み直してみました。

 “17歳か・・・”

 その言葉が繰り返しこぼれる以外に術を持たないほど、打ちのめされました・・・

 マララさんの言葉から学び、たとえ同じビジョンで活動はできなくても、宮崎県議会議員としてやらなければならないことへの原動力へと変えていきます。

 私が四の五の解説を加えるよりも、皆さんにもマララさんの言葉を感じ取っていただきたく、少々長くなりますが演説文のコピーを張り付けさせてもらいます。

 読み終わった時には必ず、明日への活力が湧いてくるはずです。

 来年も『奇跡をまつより、手をつなごう』で共に頑張りましょう!

 

 マララさんより、皆さんへ・・・

 『慈悲深く慈愛あまねき神の御名(みな)において。
 

 陛下、ノルウェー・ノーベル賞委員会の皆さま、親愛なる姉妹や兄弟たち、本日は私にとって本当に幸せな日です。ノーベル賞委員会にこの貴重な賞の対象に選んでいただき、恐れ多い気持ちです。

 支援と愛情を与え続けてくださる全ての方に感謝します。世界中から今も届く手紙やカードをありがたく思っています。優しい励ましの言葉を読んで私は元気づけられ、鼓舞されています。

 無償の愛を注いでくれる両親にも感謝したいと思います。私の翼を折らずに羽ばたかせてくれた父に感謝します。忍耐強くなることを教え、どんな時も真実を話すよう励ましてくれた母に感謝します。それがイスラムの真の教えだと強く信じています。

 私は最初のパシュトゥン人、最初のパキスタン人、最初の若者としてこの賞を受けることをとても誇りに思います。きっと、いまだに弟たちとけんかしている最初のノーベル平和賞受賞者でもあるでしょう。あらゆる場所が平和になることを望んでいますが、私と弟たちはまだ努力している途中です。

 私はまた、子どもの権利擁護に長年取り組んできたカイラシュ・サトヤルティとこの賞を分かち合えて光栄に思います。彼が取り組んできた時間は、私が生きてきた時間の実に2倍もの長さです。私たちが力を合わせ、1人のインド人と1人のパキスタン人が平和的に団結し、子どもの権利のために共に取り組めると世界に示せることもうれしいです。

 親愛なる兄弟や姉妹たちよ。私の名前はパシュトゥン人のジャンヌ・ダルクである(民族的英雄)マイワンドのマラライにちなんで付けられました。マララという言葉は、「悲嘆に暮れた」「悲しい」といった意味です。でも、私の祖父は少しでも幸せを呼ぶようにいつも「マララ、この世界で一番幸せな女の子」と呼んでくれました。そして本日、重要な目的に向かって私たちは共に立ち上がっており、私は本当に幸せです。

 この賞は私だけのものではありません。教育を求める、忘れ去られた子どもたちのためのものです。平和を求める、おびえた子どもたちのためのものです。変革を求める、声なき子どもたちのためのものです。
 私は子どもたちの権利のために立ち上がり、子どもたちに声を上げてもらうためにここにいます。今は彼らを哀れむときではありません。教育を奪われた子どもを目にするのが最後となるよう行動に移すときなのです。

 私は人々が私のことをさまざまな表現で語ることに気付きました。

 ある人たちは、タリバンに撃たれた少女と呼びます。
 
 権利のために闘った少女と呼ぶ人もいます。
 
 今では「ノーベル賞受賞者」と呼ぶ人もいます。

 私が知る限り、私はただ全ての子どもが良質の教育を受けるよう望み、女性が平等な権利を得られるよう望み、世界の隅々まで平和であるよう望む、一生懸命で頑固な人間にすぎません。

 教育は人生の恵みの一つであり、人生に欠かせないものの一つでもあります。これは私の人生、17年間の経験で分かったことです。私の故郷であるパキスタン北部のスワト渓谷で、私はいつも学校を愛し、新しいことを学ぶことを愛していました。特別な日には、友達と植物ヘナの色素で手を彩ったことが思い出されます。花や模様ではなく、数学の公式や方程式を描いたものでした。

 私たちは教育を渇望していました。なぜなら私たちの未来はまさに教室にあったからです。私たちは一緒に座り、本を読み、学んだものでした。私たちはこぎれいな学校の制服を着るのが好きで、大きな夢を見ながら座っていたものです。私たちは、両親に誇りに思ってほしかった。私たちも勉強で秀でて、いろいろなことを成し遂げられると証明したかったのです。男の子にしかできないと思っている人もいますから。

 物事は同じようには続きませんでした。私が10歳の時、風光明媚(めいび)な観光地スワトは、突如としてテロの舞台となりました。400以上の学校が破壊され、女の子は学校に通うのを禁じられました。女性はむちで打たれ、罪のない人々が殺されました。私たちの誰もが苦しみました。そして私たちの美しい夢は、悪夢に変わったのです。
 
 教育は、権利から犯罪へと変わりました。
 
 しかし、私の世界が突然変わった時、私の中の優先順位も変わりました。
 
 私には二つの選択肢がありました。一つ目は、沈黙したまま殺されるのを待つこと。二つ目は、声を上げて殺されること。私は後者を選びました。声を上げることにしたのです。
 
 テロリストは私たちを止めようとし、2012年10月9日に私と私の友達を襲撃しました。でも、彼らの銃弾は勝てませんでした。
 
 私たちは生き延びました。そしてその日から、私たちの声はより大きくなる一方でした。

 私が自分の話をするのは、それが特別だからではなく、むしろ特別ではないからなのです。
 多くの少女に共通した話なのです。
 
 本日、私は彼女たちの話もします。ここオスロには、私と同じ経験をした友達や、パキスタン、ナイジェリア、シリアの友達も来てくれています。私の勇敢な同志であるシャジアとカイナト・リアズは、あの日スワトで私と共に銃撃されました。彼女たちも痛ましいトラウマを経験しました。パキスタンから来てくれたカイナト・ソムロはひどい暴力と虐待に苦しみ、兄弟が殺されましたが、屈することはありませんでした。

 そして、私がマララ基金の活動を通じて出会い、今では姉妹のような少女たちです。シリア出身の勇敢な16歳のメゾン、彼女は今ヨルダンの難民キャンプに暮らし、テントを回りながら女の子や男の子たちが学ぶのを手助けしています。私の親友のアミナはナイジェリア北部出身です。そこでは(イスラム過激派)ボコ・ハラムが、ただ学校に行きたいと願っている少女たちを脅し、拉致しています。

 私はハイヒールの高さを加えても身長約157センチです。1人の少女、1人の人間としてここにいますが、1人で声を上げているわけではありません。私は大勢(の代弁者)なのです。
 
 私はシャジアです。
 
 私はカイナト・リアズです。
 
 私はカイナト・ソムロです。
 
 私はメゾンです。
 
 私はアミナです。私は学校に行けない6600万人の少女なのです。
 
 人々はよく私に、どうして教育が特に女の子にとって重要なのか尋ねます。私の答えはいつも同じです。
 
 私が(イスラム教の聖典である)コーランの最初の2章から学んだのはイクラという言葉で、「読みなさい」という意味です。そして「ペンによって」という意味のヌーン・ワルカラム。

 国連で昨年お話しした通り「1人の子ども、1人の教師、1本のペン、そして1冊の本が世界を変えられる」のです。
 
 今日、世界の半分では急速な発展や近代化、開発が見られます。しかし、非常に古い問題である飢餓や貧困、不公平、紛争で何百万人もがなお苦しんでいる国々があります。

 実際、第1次世界大戦から1世紀が過ぎた2014年ですが、100年前に何百万もの命を失った際の教訓を私たちが十分学んでいないことをあらためて思い知らされています。
 何十万もの罪のない人々が命を失う紛争が今もあります。シリアやガザ、イラクでは多くの家族が難民となっています。

 ナイジェリア北部ではいまだに学校に行く自由のない女の子たちがいます。パキスタンとアフガニスタンでは、自爆攻撃や爆弾で罪なき人々が殺されています。

 アフリカでは、多くの子どもたちが貧困のため学校に行けません。
 
 インドとパキスタンでは、多くの子どもたちが社会的なタブーのために教育の権利を奪われたり、児童労働を強制されたりしており、少女が児童婚を強いられたりもしています。

 私と同い年のとても仲の良い級友の1人は、勇敢で自信に満ちた少女で、医者になることを夢見ていました。しかし、彼女の夢は夢のままで終わりました。12歳で結婚させられ、彼女自身がまだ子どもだった時に息子を産みました。わずか14歳の時です。彼女はとても良い医者になっただろうと思います。
 
 でも、それはかないませんでした。彼女が女の子だったからです。
 
 彼女の話こそ、私がノーベル賞の賞金をマララ基金に託す理由です。世界中の女の子たちに質の高い教育を与える手助けをし、指導者たちに私やメゾンやアミナのような女の子を支援するよう呼び掛けるためです。この資金は最初に、私の心のよりどころであるパキスタン、特に私の故郷スワトとシャングラでの学校建設のために使われます。

 私の村では、いまだに女の子が通える中学校がありません。友達が教育を受け、夢をかなえるための機会を得られる学校を建てたい。
 
 私はそこから始めます。でも、それでおしまいではありません。全ての子どもたちが学校に行くのを見届けるまで、私は闘い続けます。銃撃されて死線をくぐり抜けた後、私はより強くなったと感じます。誰も私を、あるいは私たちを止められないと分かったからです。今や私たちは何百万人(もの仲間)になり、共に立ち上がっているからです。

 親愛なる兄弟、姉妹たちよ。変革をもたらした偉大な人々、例えば(米公民権運動指導者の)マーチン・ルーサー・キングや(南アフリカで黒人解放闘争を主導した)ネルソン・マンデラ、(貧しい人々の救済に尽くした修道女)マザー・テレサや(ミャンマーの民主化運動指導者)アウン・サン・スー・チーは、かつてこの場に立ちました。彼らと同じように、カイラシュ・サトヤルティと私がこれまでしてきたことやこれから取り組むことが、長く続く変革をもたらしてほしいと思います。

 私の大いなる望みは、児童教育のための闘いをこれで最後にすることです。これを解決し、最後にできるよう、皆さんには団結して私たちの取り組みを支持してほしいと思います。
 
 繰り返しますが、私たちは既に正しい方向に多くの歩みを重ねてきました。今こそ飛躍の時です。

 教育がいかに重要か理解するよう指導者に求める時ではありません。彼らは既に知っているのです。彼らの子どもたちは良い学校に入っています。今こそ行動を起こすよう彼らに求める時です。
 
 世界の指導者たちに対し、結束し教育を最重要課題とするよう求めます。
 
 15年前、世界の指導者たちは国連ミレニアム開発目標という一連の地球規模の目標を定めました。それからの年月で、一定の成果は見られました。学校に行けない子どもたちは半減しました。しかし、世界は初等教育の拡充だけに目を向け、進展は全員に行き渡りませんでした。

 来年、2015年には、次の一連の目標である持続可能な開発目標を決めるため、世界中の代表が国連に集まります。来るべき世代のための世界の大きな目標を設定することになります。全ての子どもたちに無料で良質な初等および中等教育を保証するため、指導者たちはこの機会を捉えなければなりません。
 
 現実的でないとか、費用が掛かりすぎるとか、あまりに困難だと言う人もいるでしょう。不可能という声すらあると思います。でも、世界はより大きなことを考えるべき時なのです。

 親愛なる兄弟、姉妹たちよ。いわゆる大人の世界は理解するでしょうが、私たち子どもには分かりません。「強い」といわれる国々は、戦争を起こす上では非常に力強いのに、なぜ平和をもたらす上ではあまりに弱いのか。
 
 銃を渡すことはとても簡単なのに、なぜ本を与えるのはそれほど大変なのか。戦車を造るのは極めて易しいのに、なぜ学校を建てるのはそんなに難しいのか。
 
 21世紀の現代に生きる私たちは、不可能なことはないと信じています。月にだって行けるし、火星にもそのうち着陸するかもしれない。ですから、この21世紀に、誰もが良質な教育を受けられるという夢もかなうのだとの決意を持たなければならないのです。
 
 平等と正義、そして平和をみんなにもたらしましょう。政治家や世界の指導者たちだけでなく、全員が貢献する必要があります。私も、あなたも。それが私たちの義務なのです。
 
 だから、立ち止まらず、努力しなければなりません。
 
 私の仲間である子どもたちに、世界中で立ち上がるよう求めます。
 
 親愛なる姉妹、兄弟たちよ。最後になることを決める最初の世代になりましょう。

 空っぽの教室、失われた子ども時代、生かされなかった可能性。これらを私たちでもう終わりにしましょう。
 
 少年や少女が子ども時代を工場で過ごすのは、もう終わりにしましょう。
 
 少女が児童婚を強いられるのは、もう終わりにしましょう。
 
 純真な子どもが戦争で命を落とすのは、もう終わりにしましょう。

 教室が空っぽのままであり続けるのは、もう終わりにしましょう。
 
 教育は権利ではなく犯罪だと少女が言われるのは、もう終わりにしましょう。

 子どもが学校に行けない状況は、もう終わりにしましょう。

 終わりにすることを始めましょう。

 私たちで終わりにしましょう。

 今ここで、より良い未来を築きましょう。

 ありがとうございました。』

 


スメハラとスメルマネジメントという時代

2014年12月30日 23時32分45秒 | Weblog

 寒いから安心という訳ではないようです・・・

 冬の臭いケア、しっかりできていますか?

 男性化粧品メーカーでもある“マンダム”は、「スメルマネジメント」をすすめており、これは職場や家庭における男性の体臭問題の解決解決に取り組む活動のことです。

 近年、体臭や口臭などのニオイは、職場や周囲に不快感を与える「スメルハラスメント」(スメハラ)と呼ばれる問題にもなっているようです。

 私もそろそろ加齢臭が気になる歳にもなってきました・・・

 マンダムでは『においケア検定』なるものを実施しているようで、その検定問題で興味深いものをいくつか紹介します。

 Q・加齢臭が、におう部位は?

 この問題に対し、においケア検定の受講者の81%が「耳の後ろ」、11%が「頭」と回答していますが・・・

 これはどちらも間違いで、加齢臭は皮脂が酸化することで発生するため、全身から排出され、実際に臭いと感じるほど発生するのは背中と胸の中心だそうです。

 耳の後ろが臭いとすれば、それは「汗臭」で、その場合、耳の後ろだけではなく、頭頂部・後頭部・首の後ろをケアしなければニオイはなくならないとのこと。

 Q・日本人男性の体臭は薄い?

 入浴してから24時間後の測定では、日本人男性の95%のワキの部位が臭く、しかも強度も強いという結果が出ているようです。

 日本人は肉が主食ではないため、体臭が薄いという通説は誤りで、入浴後6時間からにおいの原因菌は増殖し始め、ケアしなければ体臭がきつくなってしまうそうです。

 冬場も、厚着をし過ぎると汗をかき、それを放っておくと間違いなく臭いは発生しますし、衣類にも臭いは付着したままとなるのですね・・・

 怖いのは、自分だけがその臭いに気付かないという状況です・・・

 自分の体臭がわからないのは、自分の部屋のにおいがわからないのと同じで、そのにおいに親しみすぎて、わからなくなってしまう生理反応だそうで、この状態のことを“馴化(じゅんか)”というそうです。

 今は、体臭や口臭をバラの香りに変えるサプリメントもあるようですが、お金をかけるのではなく、全身の清潔を保つことでスメルマネジメントに取り組みたいと思います。

 


たっちゃんの逸品!旨い!

2014年12月29日 22時53分20秒 | Weblog

 12月22日に開催した宮崎維新塾活動の続きです。

 3か所目の研修先は、農業生産法人『サンアグリフーズ株式会社』にて、6次化の最前線を視察させてもらいました。

 サンアグリフーズでは、循環型及び自己完結型農業の確立を経営理念に掲げられ、露地野菜の加工工場を建設され、最新の衛生的な工場で、より高い付加価値をつけるとともに生産履歴を明確にし、安心・安全な商品を安定的に消費者に届けられています。

  

 こだわりは土づくりからです。

 関連会社の牛糞をを完熟堆肥化し、自社の育苗ハウスで育てた苗を植え付けて、野菜たちを育てられています。

 それを新鮮なまま工場に持ち込み、スピディーかつ高衛生環境のもとで加工し、商品はできあがっていきます。

       

 この機械は、何をするものか分かりますか?

   

 正解は、野菜の脱水機だそうです。

 洗浄された野菜の水分を飛ばすために使用されます。

 では、これは何のための機械でしょう?

   

 正解は、X線検査装置です。

 野菜の葉の裏や間に、虫などの異物が混入していないかのチェックをするための機械です。

 工場内を見学させてもらい、最も感心させられたのは“導線の短さ”でした。

 野菜が持ち込まれたから商品になるまでのルートはもちろんのこと、社員が動く導線もとてもコンパクトにまとめられていて、機能性の高さを体感せてもらいました。

 そして、できた商品は最後の検品を受け、発送されていきます。

    

 現在の主力商品は、漬物(浅漬け・古漬け)、カット野菜、惣菜などで、25品目もの商品開発をされています。

 私も早速、購入させてもらい食べてみましたが、高菜が最高に美味しかったです。

 特に“高菜飯の素”は、炊き立てのご飯に混ぜるだけで、絶妙な高菜飯ができあがります。

 また、らっきょを都農ワインで風味づけしてある“ワインらっきょ”もおすすめです!

 これら地元の食材をふんだんに使った商品を持って、これからも国内外を飛び回りトップセールスをしていきます!!



 


発見!悪魔のすむ洞窟!?

2014年12月28日 22時50分08秒 | Weblog

大掃除とまではいきませんが、午後からいつもは手入れの行き届かないところの掃除をしました。

私の担当は玄関。

前々から気にはなっていたのですが、結露のせいでしょうが壁から天井にかけてポツポツと黒いカビが…

カビとりようのスプレーを吹きかけて待つこと5分…

カビキラーは効果バツグンですね!

面白いようにカビはなくなり壁や天井は本来の姿を取り戻しました。

調子に乗った私は、次々にカビ消していくと、点々と続くカビは下駄箱の裏に入り込んでいました…

幸い移動ができる下駄箱なので、ゴソゴソ動かして下駄箱裏を覗いてみると…

悪魔が住んでいました…

ほぼ一面にカビがはびこり、まるでどこかに続く洞窟の入口ようになっていました(怖)

そこにカビキラーMAX噴射して、腕組みで待ち闘いに備えました。

5分後、いざタオルに力を込めて拭き取ってみると…

まさに快感でした。

カビを退治した後は、玄関から玄関先までをすべて雑巾がけしてピカピカにしました。

皆さんちの下駄箱裏は洞窟の入口にはなっていませんか(笑)


『エコトマト』食べてみたい!

2014年12月27日 23時22分34秒 | Weblog

 次に訪れたのは、木質バイオマスつながりで『木質バイオマス暖房機』を導入されているハウス農家さんです。

 先ほどの木質バイオマス発電所は、木材チップを燃焼させて発電する施設でしたが、木質バイオマス暖房機は“木質ペレット”を燃焼させて、ハウス内の温度管理をする機械のことです。

     

 見てください!このブドウのようにきれいなミニトマトを!

 このミニトマトを栽培しているビニールハウスの中で勉強をさせてもらいました。

     

 全国的にこの木質バイオマス暖房機のハウス導入はまだ少なく、平成24年10月現在383台しか稼働しておらず、そのうちの都農町では5件のトマト農家で9台が使用されています。

 都農では“都農町木質ペレット研究会”が立ち上がっており、国および県の補助金を活用し、徐々に導入農家が増えています。

 なぜ一気に導入が増えないのか・・・

 答えは簡単です・・・暖房機が高いからです。

 従来の重油暖房機の価格が、約70万円であるのに対し、木質ペレット暖房機は300万円台です・・・

 国や県の補助金がついたにしても、農家の自己負担はまだ100万円を超えています・・・

 暖房コストは、重油暖房と比較すると約20%ほど削減できるものの、購入費用がさらに抑えられなければ導入スピードはなかなか上がらないと考えられます。

   
 
 都農町では、独自に木質ペレット購入費用に補助をしており、また町内に木質ペレット工場が建設される予定もあり、さらに安価でペレット供給ができる可能性があります。

 何より、生産者の声から

 「重油に比べて温度管理がスピーディかつ安定的にできるため、トマトの品質と収量が向上している。」

 また随行していただいた役場職員からは

 「今後、木質ペレット使用ハウスから出荷されたトマトは、“エコトマト”として付加価値をつけていく。」

 など導入コスト高を補って余りある成果と取り組みが実を結ぼうとしています。

     

 そして、ペレットを燃焼させて出てきた灰は、肥料として再利用されるため環境にも配慮した産地としてのPRもできます。

 今、ようやく重油価格は下がってきましたが、まだまだハウス経営は厳しい状況にあり、価格がいつまた上昇するか分かりません・・・

 今後、ハウス農家と林業に携わる生産者だけではなく、行政、農業団体、企業がより一層連携し、生産方法の選択肢を増やし安定させることの必要性を学ばせていただきました。
 




 

 


地域林業の活性化と資源循環型社会の形成のために

2014年12月26日 23時08分52秒 | Weblog

 宮崎維新塾での研修会を実施しました。

 宮崎維新塾とは、県内の若手議員で構成する勉強会で年に4回県内各地での研修会や首長・国会議員などを招いての意見交換会を行い、議員活動の幅と見識を広げる取り組みをしています。

 ちなみに、維新の党との関係を尋ねられることがありますが、全く関係はなく、宮崎維新塾は結成15年が過ぎており、維新の党より先に活動を始めています。

 今回の研修会は、都農町内の地域産業の実態を勉強させていただきました。

 まず最初は、『グリーンバイオマスファクトリー宮崎都農発電所』を視察しました。

       

 ここは、山林未利用材を原料とした木質チップを発電燃料としており、送電出力5000キロワット級のバイオマス発電所としては、全国で3例目と国内の再生可能エネルギー拠点としては先駆け的存在です。

 使用する原料は、年間約7万2千トンの材を燃焼させ、年間約40000メガワットの発電がされる予定で、これは一般家庭約1万世帯の1年分の電気使用量に相当します。

   

 発電までの流れを簡単に説明しますと・・・

 まず、森林で利用されない材などを発電所に隣接する工場まで搬送してきてもらい、それを破砕機にかけチップ状にします。

 それをある程度まで乾燥させ、ボイラーの中で燃焼させます。

 そこで発生した高圧高温蒸気を蒸気タービンにあて回転させることにより発電をするという仕組みです。

 また、チップを燃焼させた後に発生する灰も、良質な有機肥料として利用できることから、資源循環型社会の形成にも貢献することが期待できます。

 新規雇用80名を創出することや林業従事者の安定経営にも寄与し、放置林の再造林も促進されることに加え、二酸化炭素を年間17000トンも削減できることにより地球温暖化の防止にも大きな役割を果たすことになります。

   

 これが燃焼させる木材チップです。

   

 ここが工場全体を制御する管理室です。

 まだ今月稼働したばかりということもあり、独特の緊張感に包まれていました。

 
       

 1時間8トン、1日200トンのチップが・・・

    

 このボイラーの中で燃やし続けられます。

 現在、山は木材価格の低迷により、伐期が来ていても放置されたままのところが多く、たとえ伐採されていてもきりっぱしの林地残材は増える一方です・・・

 この木質バイオマス発電所は、間伐を促進し、林地残材の解消し、木材の運搬など地域の新たな雇用をうむ事業としても注目されています。

 そのためにも安定した燃焼材の供給が続くように関係機関への働きかけをしっかりしなければならないと再認識した百聞は一見にしかずとなった研修でした。

   

 

 


サンタになったり、サンタが来たりのクリスマス

2014年12月25日 20時58分07秒 | Weblog

 みなさん、どんなクリスマスでしたか?

 私は、サンタになったり、サンタに来てもらったりと慌ただしくも楽しいクリスマスを過ごさせてもらいました。

 毎年、恒例となっている児童養護施設『石井記念友愛社』へのクリスマス会に、高鍋舞鶴ライオンズクラブのメンバーとともに参加させていただき、子どもたちにプレゼントを渡して来ました。

      

 今年も私がプレゼントの買い出し係だったので、事前に友愛社の先生に連絡をとり、子どもたちのリクエストをさりげなく聞いていただき、それに沿った内容のプレゼントを用意させてもらいました。

 ちなみに私が渡している大きな箱には、小学低学年用の一輪車が入っています。

   

 友愛社の子どもたちは、とても礼儀と規律が正しく、献血大切さ薬物乱用の怖さの説明を含むあいさつの間も真剣に話を聞いてくれており、最後に大きな声でお礼の言葉を返してくれました。

 また来年も子どもたちにささやかな楽しみを届けられるよう、ライオンズ活動もしっかり頑張ります。

 そして、我が家にもサンタクロースがやって来てくれました。

    

 田中さんです(笑)

 早朝野球でも同じチームで、商工会青年部でも活躍されている田中さんが、サンタクロースで登場してくれました。

 商工会青年部は、事前に保護者からプレゼントを預かり、順番に町内の家々を回ってくれて手渡しをしてくれているのです。

 予想通り子どもたちはギャン泣きで、落ち着くまでに10分ほどかかりました。

 なんとか記念撮影ができるほどにはなりましたが、表情はご覧の通りです・・・

 とても寒い中、素敵なひと時を届けてくれたので、サンタさんたちにも泡の出るプレゼントをさせてもらいました。

   

 サンタさんたちも大喜びでした(笑)

 また来年も楽しいクリスマスが過ごせますように・・・

 





知っちょってもらって、元気がでました!

2014年12月24日 23時27分55秒 | Weblog

 この時期は、各地の冬まつりが続きます。

 今回は、都農町の瓜生地区のまつりに参加させてもらいました。

         

 瓜生地区は、上瓜生・中瓜生・下瓜生の3地区から構成され、毎年周り番でまつりの取り仕切りが行われています。

 立派な神楽殿もあり、地元の方をはじめ、近隣の神社からも応援があり、幽玄な神楽が奉納されました。

 私が思うにまつりの主役は、男衆ではなく女性陣だと思います・・・

    

 この日も地区の女性陣が、来客者を振る舞うためにおしるこやおでん、しし鍋など準備を朝からされており、まつりの間中せっせせっせと動き回られていました。

 身も心も温まるおもてなしをありがとうございました。

 次々と神楽が奉納される中、鬼の面をかぶった舞手が登場と会場は一段と盛り上がります。

   

 大人も子ども、その勇壮な舞にくぎ付けとなります。

 しかし、我が子は・・・

    

 まったく関心を示さず、あえて神楽殿に背を向けて、鬼を見ないようにしていましす・・・

 それもそのはず、川南の細地区での神楽で鬼にさらわれ、一緒に神楽を奉納した記憶が鮮明に残っていたからです・・・

 あえて、神楽の方を向かせようとすると

 「い・や--------]

 と泣き出す始末・・・

 そんな中、温かい言葉ももらいました。

 「毎年まつりに来てくれるのは県議じゃ、あんたくらいじゃね。忘れんで来てくれてありがとね。こん地区もじさんばさんが多くなったかい、なんか困ったこつがあったときには頼むわね。」

 「こちらこそ、ありがとうござます。私は議員になる前は、宮崎の古賀総合病院というところで・・・・」

 と説明を仕掛けたとき

 「もう、知っちょる知っちる、いつも便りもちゃんと見よるよ。」

 私が福祉に強いことも、活動報告で議会便りを発行していることも知っていただいていました。

 県議活動を伝えていくことに関してできる限りのことはやっているつもりですが、身近に感じてもらうことは難しく、ジレンマに陥ることも少なくはないのですが、瓜生地区の方の言葉に救われました。

 しっかり握手をしながら

 「これからもしっかり頑張りますね。遠慮なく私を使ってくださいね。」

 と感謝を伝えさせてもらいました。

 これからも地域に足を運び、直接語らうことを大切に活動を続けていきます。

 

 




親父の背中に語りかけるより…

2014年12月23日 22時52分52秒 | Weblog

先日、テレビで『プリンセス・トヨトミ』という映画をやっていました。

帰宅してテレビをつけたときには、もう番組は始まっていて、デスクワークもあったので、夕食をしながらかきこむ間だけ観ていたので、全体のストーリーは分かりませんでしたが…

徳川幕府によって滅ぼされたはずの豊臣家の末裔が現代に生きながらえていて、それん大阪府民全体で守っている…

というような場面を観ている時に、ドキッとする台詞に出会いました…

大阪府民にとって、豊臣家の末裔を守っているという秘め事は、代々父親から息子に継がれるもので、父親が自らの死期を悟ったときに初めて伝えられるという設定でした。

その場面に出てきた台詞に

『…父親と二人きりで1時間語り合ったことがあるか…』

というものがありました。

…箸が止まりました。

“私自身、物心ついてから、親父と二人で1時間も語ったことがあっただろうか…”

私が小中高校の頃の親父は、仕事だけの人で、休日でも家にはいませんでした。

大学進学の相談をするときも

「福祉は、時間と金がある人間がすることだ」

とばっさり。

それでも私は、親父の賛同を得ないまま受験をし、東北に行くことを決めたのでした。

卒業後、県内に戻り、ソーシャルワーカーとして働くようになり、再び実家での生活が始まりました。

それでもゆっくり親父とゆっくり話すことはなく…

30歳を前に、医療福祉の現場を変革したいと議員に立候補することを相談をした時も、親父は黙って背を向けたまま何も言いませんでした…

それでも、いざ選挙戦に突入すると誰よりも頭を下げ、汗を流してくれたのも親父でした。

あれから16年が過ぎようとしています…

その間にもいくつかの人生の転機はありましたが、やはり親父とは語り合うことなく、ここまで来ました…

来春、再び人生の節目を迎えます。

その前に、親父とゆっくり語り合うことがあるかは分かりません…

でも、親父へ、そして家族への感謝の気持ちはしっかり伝えようと思います。

あなたは、お父さんとゆっくり語り合っていますか?


DJファイヤーマンも頑張ってます!

2014年12月22日 20時22分00秒 | Weblog
いよいよ消防団の夜警が始まりました。

前日、町内の消防団が一同に会しての出発式がありました。

その出発式の中で団長からの訓示があり

「夜警に際し、地区住民に呼びかけてもらいたいことは、火の元の確認はもちろんであるが、戸締まりなどの防犯に関することやヒートショックを含む健康管理のことも呼びかけて欲しい!」

といった内容の指示がありました。

全くその通りだと大きくうなずきました。

私たち消防団は、夜警の際にマイクを持ち

「こちらは木城町消防団第二分団第九部夜警班です。

只今、年末年始の特別警戒にあたっています。

お休みの前には、もう一度火の元の確認をお願いします。

火災は人災です。

防ぐのはあなたです。」

などとアナウンスしながら管轄地区内を赤色灯をつけた消防車でまわります。

今年は少しアレンジして

「…最近、空き巣が多発しています。

お休み前に関わらず、外出の際にはしっかり戸締まりをしましょう。

また急激な寒暖差により血圧が上昇することによる事故も増える時期でもあります。

お風呂を溜める際には、シャワーを使用し、脱衣場まで暖める工夫をお願いします。」

こんな感じでしょうか…

でも、消防車を走らせながらのアナウンスなので、あまり長々と話してしまうと結局何を言っていたの伝わらないので、マイクを握る方も工夫しなければなりません。

あなたの身近にも必ず消防団はいて、寒いなか夜警をしながら地域の安全を守ってくれています。

もし見かけることがあったら労いの言葉をかけてあげてください。