奇跡への絆

図師ひろき

鷹山牛

2008年09月30日 12時15分06秒 | Weblog
 
 “宮崎県高鍋藩生まれ!山形県米澤藩育ち”をキャッチフレーズに新ブランド“鷹山牛(ようざんうし)”の披露会がありました。
 
 高鍋・米澤・鷹山とくればもうお分かりの通り、“上杉鷹山”の功績を称えるとともに、宮崎牛の販路・消費拡大のための新たな取り組みが始まったのです。

 上杉鷹山は、今から約250年前、高鍋藩主秋月種美(たねみつ)の二男として生まれました。祖母豊姫が米沢藩出身という縁によって、10歳のとき米沢藩主の養子となりました。

 17歳で第10代藩主となったとき、米沢藩は膨大な借金をかかえ、民衆も苦しんでいました。
 鷹山はこれらを乗り越えるために、自分から模範を示して節約に努め、新たな産業をおこし、財政の立て直しに全力で取り組みました。
 
 35歳で引退後も養蚕・織物・陶磁器・和紙などの産業を盛んにしました。
 
 「なせば成る、なさねば成らぬ何事も、成らぬは人のなさぬなりけり」という言葉を残した名君でした。

 上杉鷹山が米澤藩の財政再建に貢献したことに習い、現在低迷する宮崎牛価格の建て直しを図るため“鷹山牛”は誕生しました。

 今から2年前から、三重県伊賀市と木城町で畜産を営まれる中林社長様のご紹介で、山形県の佐藤様が児湯家畜市場から子牛を購入いただくようになりました。
 その子牛を米沢市で肥育され、“鷹山牛”と命名し、いよいよ販売が開始されることとなりました。

          

 宮崎牛の評価が全国的に高いことは周知の通りですが、“鷹山牛”の売込みで有り難いことは、“宮崎県生まれを”しっかりとうたってくれていることです。

 味は、A5(肉質ランクで最高位)であるのですが、脂(いわゆる霜降り部分)がしつこくなくて、後口があっさりしています。
 焼肉はもちろんですが、牛刺しで良し、しゃぶしゃぶで良し、最高でした!

 このストーリーのある新ブランドを今後も大いに応援していきます。 


            

受け継がれる心

2008年09月29日 15時59分39秒 | Weblog

 先日、高鍋町の老瀬・木の瀬地区の“ふれあい祭り”に参加して来ました。

 地区の広場には、子供からおじいちゃん、おばあちゃんまで、そしてこの祭りのためにふるさとへ帰ってこられた方々300人くらいが集い、にぎやかな時間が流れました。

 私が駆け付けたときには、高鍋町役場職員による“エイサー”の披露が行われており、祭りの雰囲気は最高潮でした。
 駆付け3杯どころか7、8杯グビグビ飲み干した後で、ステージにあげていただきマイクを渡されました。

 宴会で盛り上がっているときの挨拶ほど難しいものはないのですが、主催者の配慮で挨拶ではなく、いきなりのカラオケ披露となりました。

 歌うは“北酒場”

 私の下手くそな歌にも、皆さん温かい手拍子をしていただき、曲の中盤からは踊りだされる方々まで!
 そしてなんと曲が終わると、花束贈呈!!

 その花束は新聞紙に包まれていました。
 バラやスイートピーではなく、田んぼの畦に咲いているような優しい花がたくさん包まれていました。

 最高に幸せでした。温かい花束でした。

     

 祭りの最後は、盆踊りでした。

 地区に伝わる踊りを、皆さん汗だくになりながら舞われ、その輪に加わらせていただいた私は幸せな反面、憂いもありました。

 “この風景を守るために、行政は何ができるのだろう・・・”

 “いや、何ができるだろうかではなく、共に手をとり動く。守る。”

 憂いを振り払い、花束のお礼のためにも、地域を守る力を私の原動力にします。 


               

                  

自分の色

2008年09月27日 23時52分23秒 | Weblog

 行ってきました!全日本マスターズ陸上競技会宮崎大会!!

 いきなりハンマー投げ室伏選手!のお父さんに出会いました。
 表彰式のプレゼンターをされていました。

 間近で見る室伏さんは、でかかった~。

    


 晴天のもと選手の皆さんは、懸命な眼差しで自分の記録と闘われていました。
 そしてキラキラ光る汗と笑顔。
 思わずたくさん写真を撮らせていただきました。選手の表情をカメラに収めるため、興奮気味にシャッターをきっていると・・・

           

             
  
 「撮影される方は、トラックから5m以上離れてください!」

 とスタッフの方から注意されました・・・

 私がくぎ付けになった競技は“走り高跳び”でした。

 80歳を越える(90歳も越える!?)選手が競技に前に、念入りに練習をされていました。
 はじめバーに手をかけて立たれていたので、“調子が悪いのかな”と心配していたら、そこから歩数を数えながら後ろ歩きを始められました。
 
 そうです。助走の感覚を確かめられていたのです。

 いよいよ、競技開始!
 
 バーの高さは1m30cmくらいでしょうか・・・(またスタッフに怒られるといけないので近くまでは行けませんでした)

 助走のスピードは、ゆっくりで滑らかとは言い難いものでしたが、着実に後ろ歩きで確かめられた軌跡をたどり、力強く踏みきられました!

 「いけーっ!!」

 カメラを構えたまま叫んでいました。

 クリア!!!
  
   

 最高の笑顔と心からの拍手が競技場のあちこちで咲いていました。

 そして選手の胸には、自分色のメダルが誇らしげに輝いていました。
 
 大会は明日までです。
 メタボが気になりはじめた方!
 スポーツを始める動機が欲しい方!
 心が疲れているなぁと感じている方!
 是非、観戦に行って見てください。

 元気になる何かがありますよ!

          

            


老いてなお

2008年09月26日 16時56分16秒 | Weblog

 
 第29回全日本マスターズ陸上競技選手権 宮崎大会が開催されています。
 同僚の武井議員とこの大会の相談役をさせていただいています。
 宮崎市内のホテルで行われた開会式には、東国原知事も参加していただきました。
 知事は挨拶の中で
 「選手の皆さんを励ますために来ましたが、はげますと言うと私がハゲます・・・ハゲが増すようで気になるなぁ・・・」
 とユーモアを交えながら激励の言葉と笑顔を振りまかれていました。

 開会式後のレセプションの席で、私の隣りには神奈川県から来られた73歳の男性が座られました。
 早速
 「どの種目に出場されるのですか?」
 と聞いてみると
 「1500mと3000mと2000m障害です。1日で3種目走ります。」
 とさらり
 「1500m走のタイムはどれくらいですか?」

 (ちなみに私は、高校時代に5分10秒くらいでした)
 その方は
 「あまり早くないんですよ。去年は5分40秒もかかりました。」

 (おぉっ、私は自分のタイムをとても口にすることができず・・・)

 「すごいですね!・・・」

 (それ以外の言葉を探していると・・・)

 「私は病院にもかかったことがないんですよ。練習する時間が足りないくらいで、病院に行く暇もないくらいです。ワハハハハ。マスターズ陸上がもっとメジャーになれば、医療費の削減にも効果が上がりますよ。」

 その通り!

 マスターズ陸上は、誰と競うものでもなく、自分への挑戦です。

 その挑戦のため、生活のリズムを持たせ、節制し、地道な練習を積む。
 練習は嘘をつかない。
 生きがいと同時に健康も手に入れる。その笑顔で周りを明るくする。

 素晴らしい!!
 
 メイン競技場は宮崎市生目の杜運動公園。
 本日から3日間。熱戦が繰り広げられます。
 皆さんも、元気と笑顔に出会える大会に行ってみませんか?

     


   


一期一会

2008年09月24日 23時55分54秒 | Weblog

 県議になるまで勤めていた病院のデイケアのメンバーさんとスタッフの方が、私の家の近くにある川原自然公園にキャンプに来てくれました。

 私が合流した時には、すでに缶ビールが数本転がっていて、かなり上機嫌な皆さんでした。
 私も負けじと、バーベキューに加わり、美味しい時間を過ごさせていただきました。

 20年前、私は東北福祉大学の社会教育学科で、養護学校(現在の特別支援学校)の教諭になるため一生懸命勉強していました。
 
 その時、私の人生の岐路に立ち会っていただき、私の背中を押してくれたのが、写真の端っこで微笑んでいる方です。

 大学時代私は、夏休みなどの長期休暇には必ず帰省してあらゆる福祉関係施設で実習をさせていただきました。
 その時、たまたま私の叔母が勤める病院で実習させていただいた時、運命と出会いました。
 
 それはソーシャルワーカーという仕事であり、写真の方との出会いでした。
 病院実習は初めてということもあり、知識も技術も乏しい私はとにかく患者さんの近くで時間を過ごしました。

 昼休み時間も患者さんの部屋に行き、患者さんのベットに座り込んで話し、時には昼寝をさせてもらっていました。

 そして、実習最終日に私の指導者であった写真の方が食事に誘ってくださいました。
 その時に恐る恐る
 
 「私はソーシャルワーカーにむいていますかねえ?」
 
 と聞いて見ると、あっさり
 
 「むいてると思うよ。」
 
 あまりにも簡単に返事が返ってきたので、はじめはポケーッとしてしまいましたが、じわじわと

 “今はなんにもできない俺でも、患者さんの役に立てるかもしれない”

 と妙な自身を抱くようになりました。

 大学に帰り、医療ソーシャルワーカーになるための勉強を必死にして、3年に進級する時に思い切って医療ソーシャルワーカーの専門知識と技術を習得するため、社会教育学科から社会福祉学科へ転学科試験を受け、そして合格しました。

 養護学校教諭になることから医療ソーシャルワーカーになる決意をしたのです。

 あの時レストランで、ポンと背中を押していただいた、あの言葉とその時の情景を今でもくっきり覚えています。

 今の私があるのは、あの時の一言のお陰です。

 ありがとうございます。

 これからも何度となく人生の岐路に立つと思いますが、独走するのではなく、周りの方の声に耳を傾けながら、悔いのない決断をしていきます。
 
     

M S W

2008年09月22日 17時05分40秒 | Weblog

 宮崎県MSW協会夏季研修に参加して来ました。

 “MSW”とは“医療(メディカル)ソーシャルワーカー”の略で、医療機関等において、保健・医療・福祉の橋渡し役をし、利用者の早期社会復帰、家庭復帰のお手伝いをさせていただく専門職です。
 県議になり現場を離れてしまいましたが、今も勉強会には参加させていただいています。

 今回は、“精神保健福祉医療ユーザーの回復を考える”とのタイトルで、鹿児島国際大学の岡田洋一先生から講演をしていただきました。
 
 みっちり4時間。

 ソーシャルワーカーは、顕在化している問題を“人と環境の相互関係”の観点から捉え、アプローチしていきます。
 具体的には、うつ状態の方の回復プログラムを構築していく際、単に抗うつ剤投与後の状態を管理するのではなく、その人が置かれている家庭環境、人間関係、職場や地域の状況などの情報を収集し、総合的、客観的に
対処方法を組み立てていきます。
 
 その時、ソーシャルワーカーが独善的に援助を押し付けるのではなく、利用者の選択を最優先し、共に歩みます。

 岡田先生の話は大変刺激的で、忘れかけていた現場の感覚を呼び起こすには余りある内容でした。
 特に印象に残った話を2つ紹介します。

 1つは、カナリアの話。
 昔、炭鉱で作業するときに“カナリア”も一緒に連れて行っていたそうです。
 それは、カナリアはガスに弱いため、炭鉱内でカナリアが弱ると危険が近づいていることのサインになるからです。先生はそのことと、現在、複雑多岐になってしまった社会構造の中で、精神的に病む方が急増していることは、社会全体が黄色信号になっていることを教えてくれているのではないかということを重ねられて話されました。

 もう1つは、涙の大切さ。
 泣くことは、心の浄化作業があり、心の免疫力を高めてくれるとのことでした。
 言われてみれば、甥っ子姪っ子がわんわん泣いているときに、なんだか羨ましく感じることがあります。
 
思いっきり泣けなくなっている自分に気づきます。
 
 ストレスで自分を見失う前に、泣いて泣いてにっこり笑いましょう!

 長渕剛の歌にも
 ♪泣くだけ泣いたら朝の太陽で顔を洗って出直しましょうか~あ
  歯を食いしばり、握りこぶし振れば、いつかはいい事あるもんですよ!
  ヨーロレイーオーオーオレイレイオー、ヨーロロウオーウ、レイエーイロ
  オーーーーー♪

          


選択と集中

2008年09月20日 12時41分33秒 | Weblog


 本会議が近づくにつれ、落ち着いてきました。
 
 「ただ今より、愛みやざき図師博規議員の発言を許します。」
 議長の促しを受け、登壇。

 はじめに台風で被災された方々にお見舞いの気持ちを送り、質問にはいりました。
 
 壇上から見渡す議場は、広いです。
 
 前列には愛みやざきの仲間が
 「行けーっ!ひろきーっ!!」
 と心で叫んでくれていて、安心します。
 先輩議員の視線にも、一人一人応対し、記者席から傍聴席へと視線を移すと、台風の後片づけが忙しいにもかかわらず、たくさんの傍聴者に足を運んでいただきました。
 その中に、群馬県から応援に来てくれた親友が、拳を突き上げガッツポーズを送ってくれていました。思わず

 「・・・群馬県からも親友が応援に駆け付けてくれ、あらためてたくさんの方々に支えられ、ここに立たせていただいていると感謝しています。」

 場内から
 「そんなこと言ってないで、早く質問に入れ!」
 どこから飛んできた言葉かと思い、発言者を探してみましたが、分かりませんでした。

 さらりと
 「先般、通告しておりました項目について順次質問をしてまいります。」

 精神障がい者の方々がおかれている厳しい生活環境について、福祉保健部長と議論を闘わせました。(宮崎日日新聞がその内容を一面目に取り上げてくださいました)
 白熱した議論は、予定していた時間を越えてしまい、時間を調整するためにおもいきって次に予定していた“道州制について”を飛ばし、3つ目の項目である“口利き問題について”を取り上げました

 私の隣りでは、松田代表が質問に関する資料を並べ替えて、私の左手前に差し出してくださいました。
 今日の写真でも分かるように、松田代表は私を鼓舞するため励まし、支え、微笑んでいてくれます。安心します。

 質問が進むにつれ、時間は砂時計が落ちる間際のようにみるみるとなくなっていきました。
 最後の質問に入る前に、先に飛ばした“道州制”の質問を知事にぶつけました。
 結果、この質問でのやり取りが持ち時間をオーバーすることになり、野次が飛んでくることになるのですが、私はこの質問を投げかけて良かったと思っています。

 知事は本音で答弁してくださいました。
 「道州制は国から押し付けられるものではなく、地方が主体的に勝ち取らなければならない!」

 同感です!
 

1 宮崎県障害者福祉計画の進捗状況と
  今後の障がい者施策について
2 口利き問題について
3 東アジア戦略について
4 入札制度改革について
5 海岸侵食対策について
6 平成20年度学力・学習状況調査について
7 道州制について
8 知事の政治姿勢について

 1時間40分にわたる攻防は、充実していました。
 しかし、満足していません。
 今回も数々の政策提言をさせていただきましたが
 「財政難の折、今後検討させていただきます。」
 との消極的答弁が続きました。

 “選択と集中”が必要です。

 これからも弱い立場の方々のため、県民目線での行政改革に取り組んでいきます。
 
 最後になりましたが、アドバイスをいただいた山口顧問と担当課との調整役で私のわがままに懸命に応えていただいた財政課の大衛さんに心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 代表質問の録画がご覧になれます。
 http://www.live-vod-com.co.jp/pref-miyazaki/2_vod.html
     
 


 


不思議な夜の力を借りて

2008年09月18日 23時56分54秒 | Weblog
 ♪近づいてく 近づいてく 押し出される
  近づいてく 近づいてく 決戦の金曜日♪

 台風は逸れてくれませんでしたが、明日の朝には通り過ぎてくれるでしょう。
 今だに、原稿を読めば読むほど、書き直しています。
 多分、登壇する寸前まで悪あがきを続けるでしょう。
 開き直りも大切ですが、私は最後まで諦めない。
 どうすれば限られた時間で、最大限の成果を引き出せるか。
 間違いなく1字1字、自分で書き記してきた原稿ですが、そこには愛みやざきメンバーの県民目線で県政改革をするんだ!との思いが詰まっています。

 いよいよ明日に迫り、追い詰められてきた感はありますが、同時に今、充実感の中に冷静に浸っています。
 ふつふつと力が涌き上がっているのを感じています。

 ♪戦闘の準備は ぬかりない 退がらない その手を離さない♪

 一緒に乗り込みましょう!!


 

 

ぐつぐつ

2008年09月17日 23時57分52秒 | Weblog
 代表質問の原稿を目の前に、煮詰まっています。

 訴えたい内容が多く、絞込みに苦労しています。

 あまり簡素な表現にしてしまうと、伝わらない・・・
 あまり専門的な表現にしても、伝わらない・・・
 あまり長い説明になると、退屈にさせてしまう・・・
 声に出して読んでみると、文字のときとイメージが変わってしまう・・・
 
 アドリブなしの文章を読み上げるだけでも、60分以上かかってしまう・・・

 15分間分、文章をカットしなくてはいけない・・・

 左手に原稿、右手に鉛筆。
 ストップウォッチに目を配りながら、3度目の読み込みを始めます。

 どうか・・・
 どうか・・・
 台風よ、逸れてください。
 地元からたくさんの方々が応援に来てくれます。

 日頃の行いは、ちゃんとしてます。


 

ただいま

2008年09月16日 23時47分02秒 | Weblog

 朝から21時過ぎまで、県庁で代表質問の原稿を書いては消し、書いては消し・・・声に出して読んでは書いて、そしてまた消し、また書いて・・・

 闘ってます。

 今週、金曜日に急ぎの後援会役員会をさせていただくことにしました。

 県庁からの帰りに、新富町~高鍋町~川南町の役員さんの家を回り、案内状を配ってきました。
 時間も時間だったので、そっとポストに入れてきました。

 今から晩ご飯です。