奇跡への絆

図師ひろき

商工建設常任委員会県外調査報告2

2012年10月31日 23時38分56秒 | Weblog


 続いて島根県です。

 北海道から島根県への移動は、かなりの移動距離でしたが、我々がどうしても島根を訪問し、県政に活かさなければならない課題があります。

 それは、古事記編さん1300年事業への取り組みです。

 周知の通り、古事記に登場する中心舞台は宮崎県です。

 しかしこの観光客誘致やふるさと再発見などの千載一遇のチャンスを、本県はまだ活かしきれていません。

 島根県では、出雲大社周辺をメイン会場に、島根県内各地を訪ね歩き、地域の魅力を体感してもらうためにイベントや仕掛けを次から次に創りだしています。

      

 “神話博しまね”の特設会場を視察しました。

     

 平日の午前中にもかかわらず、この人、人、人・・・

 この行列は・・・

    

 神話を映像と演劇により再現したショーを見るために入場を待つ観光客です。

    

 マスコットキャラクターの“しまねっこ”も大人気でした・・・

 そして何より、ステージで繰り広げられていた神楽に・・・

    

 これだけの人がくぎ付けでした。

 繰り返しになりますが、これは平日の昼間の風景です。

 スタッフの方も、この演出です・・・

   

 そして隣接する古代出雲歴史博物館も、相乗効果で入場者が急増していることは言うまでもありません・・・

      

 また会場周辺の歴史的遺産へのエスコートもされており・・・

    

 ここは昭和59年に、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した“荒神谷遺跡”です。

 まだまだ紹介できていませんが、悔しいくらい多種多彩で、きめ細やかな事業が散りばめられていました。

 スタートは明らかに出遅れてしまいました・・・

 しかし宮崎にも神話の宝は、ふんだんにあります。

 素直に認め、素直に見習い、そして宮崎らしい神話事業が展開できるように執行部と連携して行きます。

 

 

 

 

 


商工建設常任委員会県外調査報告1

2012年10月30日 23時42分26秒 | Weblog


 常任委員会で、県外調査に行きましたので報告します。

 まずは北海道です。

 ここでは公共土木工事にいける間伐材利用の取り組みについて研修しました。

 北海道では“北海道森林づくり条例”を策定し、適切な資源管理に基づく森林づくりに伴い産出される木材を最大限有効活用していくこを明文化されています。

 平成12年度から公共事業を行う農政部、建設部、水産林務部が連携し、“木材利用推進委員会土木部会”を立ち上げ、公共土木事業における間伐材の利用促進に取り組んでいます。

 具体的には、北海道単独で“公共土木工事における間伐材利用推進指針”を策定し、数値目標を設定し導入されていました。

    

 内容としては、平成11年度の使用実績を平成14年度までに2倍にするとの目標を立て、平成11年度が9万㎥であったのに対して、平成14年度使用実績は、18万㎥と目標を達成しています。

 また間伐材の利用推進のため、“技術検討部会”を設置し、新たな技術の活用や資材の転換などを具体的に示し、民間事業所との連携の強化にも成功されていました。

 現在は間伐材利用推進指針を改定し、20~24年度までの5ヵ年計画実施中で、継続的な利用のため使用目標割合の見直しなども見直されており、今後は木質バイオマス利用のさらなる促進なども検討されています。

 林業を取り巻く環境改善は、本県においても喫緊の課題であり、特に間伐材の有効活用は、河川管理にも関係してくるため、北海道での取り組みは大変参考となりました。

 早速、現地調査に行きました。

     

 この柵工は、防風林を保護・育成するためのもので、間伐材使用100%で、見渡す限り柵が設置されていました。

 寒風強い北海道では、この柵工により防風林の苗木が計画的に成長しているとのことでした。

 このほかにも、鳥獣被害防止柵や落石防止工、法面工、土留工などにも間伐材が使用されていました。

     

 このほかにもチップ材を暗渠疎水材として有効活用されており、本県でも即導入できる内容であることを学びました。

 関係部局への具体的提案に繋げます!
 


悲願達成!

2012年10月29日 22時45分41秒 | Weblog


 もう詳しい説明はいらないでしょう。

 見事、全国和牛能力共進会、連続日本一達成、おめでとうございます!

 審査対象となる全9区分中、5区分を制覇し、宮崎牛の総合力の高さを全国に示してくれました。

 このことは生産者や関係者の喜びであり、県民の誇りであり、そして口蹄疫からの完全復活を印象付ける最高の結果となりました。

 種牛部門3区で優勝された都農町の永友 浄さんとは、もう10年来の付き合いをさせていただき、大会に出発される前から、牛舎で出場牛についてたくさんの思い入れを聞いていただけに、今回のてっぺんは私にも大きな勇気と元気と与えてくれました。

 浄さんは気合が入っていて、私はいつも尻を叩かれていましたが、これがらますます力強く勇気づけられそうです。

 そんな浄さんですが・・・

 「俺ももう歳じゃ・・・全国大会はこれで最後ど・・・」

 と言われることがありますが、私たち周りの者は

 「大丈夫、また大会が近くなったら、じっとしちょれんなるかい!」

 と、すでに5年後の活躍を大いに期待しています。

 そしてもう一人、種牛・肉牛混合部門7区で優勝された西都市の黒木輝也さんは、高校時代の同級生のお父さんで、もう25年以上も面倒を見てもらっています。

 輝也さんはいつも温厚で、普通の顔も笑顔のような表情のため、話しているだけで優しい気持ちにさせてくださる方です。

 高校時代からいつも仲間と無茶していましたが、輝也さんはいつもどっしりと構えてくれていて、何かと言えば

 「肉食っていきない」

 と、たらふく焼肉を食べさせてくれました。

 そのお二人は、口蹄疫で全頭殺処分を余儀なくされ、深い深い心の傷を向かい合いながら、大会までの道を歩んでこられました。

 この日本一で、すべてが癒される訳ではないでしょうが、これからの道のりが大きく拓け、輝かしいものになったことは間違いないでしょうし、お二人の背中を追う青年生産者が続々とあわられるはずです。

 いつか浄さんに聞いたことがあります・・・

 「この生産技術は、企業秘密ですね?」

 「なん言いよるか!聞きに来るもんには全部おしえてやっど!」

 この懐の深さが、宮崎牛の底上げになっているんですね。

 今回、優勝された生産者の他にも、上位入賞された宮崎の生産者はたくさんいらっしゃいますし、受賞者がベテランから若手までとてもバランスがいいのが宮崎の特徴でもあり、着実に技術力が受け継がれているのだと思います。

 さあ!新たなスタートです!

 日本一連覇の看板を大きく掲げ、全国に、そして東南アジアにどんどん進出して行く時です。

 そして勝って兜のの如く、防疫体制の再徹底を図り、守りも強化していく必要があります。

 ますます生産者と行政が連携し、次の時代の宮崎畜産を創り上げて行きます!

  

 


とったどぉ!!!

2012年10月28日 19時08分14秒 | Weblog


 行ってきました!長崎ハウステンボス!第10回全国和牛能力共進会!!

    

 小雨まじりの天候にもかかわらず、会場となったハウステンボス駐車場はすでに溢れんばかりの入場者でした。

 審査会場も立ち見が出るほどの観客で、ごったがえしていました。

    

 私は審査会場よりも、とにかく生産者に会いたくて、宮崎県の牛舎を目指しました。

 あまりにも広い会場で、なかなか見つけることができませんでしたが、一番奥の牛舎に見つけました!

    

 宮崎牛ののぼり!

 そして牛舎をのぞき

 「お疲れ様です!結果はどうでしたか??」

    

 「図師さん、まだですよ・・・審査は午前中に終わりましたが、結果はまだです。」

 「分かりました!浄さんはどちらにいらっしゃいますか?」

 私は生産者を一刻も早く激励したくて、居場所を尋ねました。

 しばらくすると

 「よう来てくれたな~」

 と浄さんが帰って来られました。

 声を上ずらせながら 

 「どうでしたか?」

 「ん~、こればっかりは分からんな~」

 しかし、その表情には自信が満ちていました。

 「牛を見せてください!」

  

 出場牛は、一仕事を終え、ゆったりとしていました。

 「お疲れ様でした。」

 と声をかけると

  

 見てください!このなまめかしいポーズ!

 ちなみに、この牛は若い牝牛です。

 審査結果が出るまで居たかったのですが、公務の合間を縫っての弾丸視察だったので、結果を聞くことなく、会場を後にしました・・・

 その前に

 「勝利確信の握手をお願いします!絶対てっぺんとってください!」

 と、しっかと握手をし、電車に乗り込みました。

   

 そして今日、会議中に携帯がなり、さっと中座し、恐る恐る出てみると・・・

 「チャンピオンになったど!!」

 「やった!!!おめでとうございます!!!」

 もう余計な言葉はいりませんでした。

 口蹄疫からの見事な逆転勝利です!

 あとは総合優勝を信じ、吉報を待つのみです。

 皆さんも信じてください。それが力になります。

 


雑感408

2012年10月27日 23時18分33秒 | Weblog

 高齢者に関する産業が大きな伸びを見せています。

 その最たるものが有料老人ホームに代表される施設型サービスの充実です。

 介護保険制度が現場のニーズに応えられないままの状態で、保険適応外の有料老人ホームであっても入所を希望される高齢者は多いのですが、経済的負担が大きいことも事実です。

 施設入所の待機者が多いが故に、在宅で介護を受ける高齢者も増えています。

 在宅介護を希望されても公的サービスが圧倒的に不足している状態なので、本意とは言えない施設入所を迫られている方も少なくありません。

 そんな在宅で介護を受けられている方に朗報が…

 見た目には普通の肉や野菜と変わらないのに、舌や歯茎でつぶせるほどやわらかい食品が数多く開発されています。

 介護食とも言えるこれらの商品は、2004年には155品目であったものが、2011年には802品目と約5倍に増えているという調査結果があります。

 業界団体によると、毎年10%以上の成長を続けていて、2012年には出荷額100億円を超える予想をしているようです。

 高齢者に食事の喜びを与えてくれる介護食の開発には、今後も大いに期待したいところですが、介護保険事業がさらに充実し、施設型サービスから、在宅型サービス提供が実現すれば、100億円市場どころか、まだ何十倍もの産業となることでしょう。

 消費税の引き上げが、看護・福祉人材の育成と在宅福祉サービス拡充に直結することを切望します。

雑感407

2012年10月26日 23時32分36秒 | Weblog

 大学を卒業して20年が過ぎました…

 ということで同窓会をすることになりました。

 今回は私ともう一人青森県出身者が幹事を引き受けました。

 宮崎と青森で幹事を務められるのも携帯電話やインターネットがあればこそで、20年前からすると目覚ましい技術の進歩ですね…

 あの頃は、携帯電話は出始めのころだったと思いますが、かなり大型で本体を肩から下げて受話器を耳にあてなければならないタイプでした。

 もちろん高価で学生にはとても手が出せませんでしたし、働きだしてからもしばらくは病院から持たされているポケベルが最新の通信機器でした。

 20年前は、福祉の専門大学は全国的にも数少なく、それが故に全国から学生が集まって来ていました。

 その仲間とびっしり福祉の勉強をし、涙をこぼしながらも実習もしました。

 一生懸命学び、遊んだからこそ今でも仲間と繋がっていられるんだと思います。

 現役の東北福祉大学生も活躍してくれています。

 アマゴルファーの松山英樹選手です。

 先日の日本オープンでは、堂々7位となり、3年連続マスターズ出場も大いに期待したいところです。

 活躍してくれる後輩がいてくれる反面、活躍してくれた同期がグラウンドを去ります。

 阪神タイガースの金本知憲選手がバットを置くことになりました。

 その活躍は、話したことはなくとも今でも同期の誇りです。

 同じ大学の現役学生でもOBでも頑張っている姿は、格別の励みとなります。

 同期の仲間もそれぞれが福祉や教育の第一線で、そして管理職として活躍しています。

 同窓会でどんな苦労話が聞けるか、今から楽しみです。

 その頑張りから、また力をもらってきます。

ふるさとの祭りはいいね

2012年10月25日 23時11分07秒 | Weblog


 先日、木城ふるさとまつりに参加して来ました。

 メインイベントは、夜の花火大会なのですが、昼間から多くに方が来場され、早くから周辺駐車場は満車状態でした。

 
      

 天候にも恵まれ、ステージで繰り広げられるイベントに場内から歓声が沸き起こっていました。

 その中でも、ひと際大きな声援を受けていたのが、戦隊ヒーローもののアクションでした。

 私たちが子どもの頃のヒーローものと言えば“ゴレンジャー”で、私はミドレンジャーが好きでした。

 ちなみに仮面ライダーでは“アマゾン”で、ウルトラマンなら“セブン”が好きでした。

 木城ふるさとまつりに来ていたヒーローは、名前すら覚えませんでしたが、子どもたちは全身で応援していました。

 ショーが終わると、早速の握手&写真会で、ものすごい行列ができていました。

   

 “きぐるみのお兄さん、暑い中ご苦労様でした!”

 ステージでは木城の若者だけではなく、新富町や川南町からも元気満々の青年が駆けつけてくれ、祭りを盛り上げてくれました。

  

 私といえば、総合型地域スポーツクラブ“木城ドリームス”の仲間と、から揚げやフランクフルトを販売していました。 

 ほとんど戦力にはなっていませんでしたが・・・

    

 日も西に傾き、照明ライトに灯がともり始めると、客足はますます好調で、一気に呼び込みの声にも気合が入るようになりました。

 そして花火が打ち上がり、祭りの雰囲気も木城ドリームスの売り上げも最高潮に!!

 と言いたいところでしたが、私は川南の行事にも呼ばれていたために、忙しく動き回るメンバーに深々と頭を下げ、花火も見ることなく会場を後にしたのでした・・・

 申し訳ありませんでした・・・

 来年はもう少し活躍したいと思います・・・ 


てっぺん!!!!!

2012年10月24日 22時57分47秒 | Weblog


 和牛の全国共進会が迫ってきました!

 大会開催地の長崎県に出発する前の地元生産者を訪ね、激励をさせていただきました。

 牛にストレスをかけてはいけないと、玄関先で挨拶をするだけにしようと思っていたのですが・・・

 「見てくんない!」

 と快く牛舎に連れて行っていただき、大会参加牛を対面をすることができました。

     

 どうですか、この堂々とした面構え!

 毛並みの光沢があり、体格は風格十分で、足がすらっと長い!

 そしてこのピンとまっすぐな背筋!

   

 生産者の心が込められた牛であることが一目瞭然で分かりました。

 「背筋もじゃが、この尻をみてくりぃ」

   

 説明によると、このように背筋からほぼ直角に尾が垂れるような均整のとれたでん部はなかなかできるものではないそうです。

 この牛が出場する部門は、生体のまま審査される部門なのでスタイルの良さも重要なポイントとなるそうです。

 「何回も全国大会に出場してきたけん、やっぱ大会前は眠れんなるもんど・・・」

 と不安な胸のうちも明かしてくださいました。

 それでも

 「この牛でてっぺんとれんかったら悔いはない!」

 と力強く語ってもいただきました。

 その通り!自信持って行きましょう!

 今回の全国大会は、宮崎畜産の復活がかかっていると言って過言でなく、行政もマスコミも大きく注目しています。

 共進会は9部門あり、過半数のてっぺんを取った県が、日本一の称号を手に入れることになります。

 宮崎牛総力戦で、長崎に乗り込んで、何としてでも日本一をとって、再び苦境にも負けない“宮崎牛”ここにあり打ち上げてもらいたいと心から願います。

 「てっぺん、取るど!!!!!」

 


雑感406

2012年10月23日 22時59分14秒 | Weblog


 かけがえのない人を失いました・・・

 それも二人も・・・

 いつも側で勇気づけてくれてくださり、私の本当をさらけ出せる家族のような存在の方でした・・・

 お一人の方は癌でした。

 3年ほど前に発症されながらも、まさに懸命に病気を向き合い、治癒への可能性を信じてひたすら前向きに闘われている姿に、何度元気づけられてきたことでしょう。

 私が悩みふさぎこんでいる時も

 「ひろき!お前が信じた道を進め!俺たちはどんなことがあってもお前の決断を応援していくかい、心配せんでいいど!」

 と、ドンと背中を叩いてくれる人でした。

 私は救われました。

 と言うより、私は生かされました。

 この方のお陰で、今の私があると言っても過言ではありません。

 それなのにまだ十分な仕事ができていません・・・まだまだ恩返しができていないんです・・・

 

 もうお一人の方も、いつも笑顔を届けてくださいました・・・

 バス運転手の経験があられるその方は

 「選挙カーの運転は任せてくんないよ!ひろっくんが選挙の時は、どんげ歳とっちょっても運転するかいね!」

 事実、とても優しいハンドルさばきをされる方で、長時間助手席マイクを握っていても全然疲れませんでした。

 間違いなくナンバーワンドライバーでした・・・

 くも膜下出血でした・・・

 焼酎が好きな方で、うちで来て飲むときはいつも面白い話をして笑わせてくださいました。

 そして決まって、まっすぐは歩けなくなるので、自宅まで私が肩を貸して送って帰るのでした・・・

 それでもまだまだ恩返しができていないんです・・・

 祭壇に手を合わせながら

 “なんでや・・・なんでや・・・”

 と何度も繰り返していました・・・

 涙でぼんやりした先には、信じきれない遺影の中から見つめ返してくれる微笑がありました。

 その写真が動きだして、語りかけてくれそうなくらい、お二人の死を受け入れることができていません・・・

 それでも写真は瞬きさえしてくれることはありません・・・ 

 お二人の温もりあふれる言葉と心は忘れません。

 心からご冥福をお祈り申し上げます。

 仕事で恩返しします。

 見ていてください。

 

 

 


雑感405

2012年10月22日 23時30分21秒 | Weblog


 もう10年くらい前になるでしょうか・・・大学の同期と富士山に登ったことがあります。

 それまでは遠足で県内の山を登ったことがあるくらいでしたので、いきなりの富士山には、ちょっと身構えるものもありましたが、若さでしょうね・・・迷わず参加しました。

 メンバー全員が、初めての富士山登山で、おまけに夜に出発して、明朝までに登頂し、ご来光を拝むというハードスケジュールでした。

 午後9時くらいに5合目を出発し、6合目、7合目までは息苦しさを感じながらも歌を歌いながら順調に来ました。

 ところが7合目を過ぎるとメンバーの一人が、寒さと気分の悪さを訴え、なかなか前に進めなくなりました・・・

 そんな時こそ、私の出番です。

 気分の優れないメンバーに配慮しつつも、全体が不安にならないように今まで以上に明るく振舞いました・・・

 しかし、メンバーの体調は回復することはなく・・・さらにもう一人のメンバーも体調不良を討ってるようになりました・・・

 さらに天候も悪くなり、霧というかガスというか・・・2~3m先も見えないほどの状況になってしまいました・・・

 やむなく山小屋に避難し、体調と天候が回復するのを待ちました。

 どれくらい休んだでしょう・・・窓から陽が射していました・・・

 天候は回復したものの、メンバーの体調は十分とは言えませんでした・・・

 「どうする・・・下山しようか?」

 「あともう少しなんだけどね・・・」

 「もう陽は昇ったよ・・・」

 みんなで話し合いましたが、決断へと導いてくれたのは

 「9合目まで頑張って、そこでダメなら下山しよう!」

 との声でした。

 気力を振り絞り、歩き出しゆっくりゆっくり9合目に近づいていきました。

 
 不思議なものです・・・

 9合目にたどり着くと、みんなに元気が満ちていました。

 誰かが

 「も頂上が見えるぞ!」

 進むか戻るかを考えることなく、歩みはますます力強くなっていました。

 富士山に登ったことがある方なら、多くの人が感じたことがあると思いますが、9合目から山頂までは、すぐでした。

 やっぱり山頂には最高の達成感がありました。

 陽はすでに高く昇っていましたが、そのおかげで青空に包まれていることを実感できました。

 実は、下りは1合目まで歩きましたので、登るときよりも厳しい状況でした・・・

 でも最高峰で最高の思い出ができたことは言うまでもありません。

 また登るときが来ると思います。