奇跡への絆

図師ひろき

ふるさとが好きだ!

2009年05月30日 14時17分42秒 | Weblog

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 木城町若者会総会に参加してきました。

 以前にも紹介しましたが、木城若者会は、商工会青年部、農協青年部、SAPそして青年団が一体となって、木城の大自然を走り抜ける西日本最大級の“マウンテンバイク4時間耐久レース”を開催しています。

 大会開催も昨年までで13回を数え、木城の名物イベントであることはもちろんのこと、マウンテンバイク愛好家にとっては“いつかは木城の4耐に!”と目標にされる大会までに成長して来ました。

 私も第5回大会から8回大会まで実行委員長をさせていただき、今も大会前の草刈、コース設営そして大会当日のコース管理係を手伝っています。

 総会では挨拶をさせていただき

 「・・・イベントも10年続けば、文化と言って過言ではありません。もうこの大会は単なる打ち上げ花火ではなく、立派な木城の代名詞となりました。

 何より今の会長ですでに6代目です。私が代表をしていた時のメンバーもほとんどいなくなりましたが、メンバーが変わっても、世代が変わっても大会が続き、成長しているということは、それだけ木城が好きな若者が多いという証です。

 これからも力を合わせ、盛り上がっていきましょう!!・・・」

 と今後の参加協力をがっちり約束しました。

 今年の大会は、11月1日(日)開催です。

 参加チームは4人1組が基本ですが、3人でも2人でも1人でも参加できます。

 コースはほとんどがオフロードでアップダウンの杉林コース、名物の竹林コースやコスモスコースなど1周約4kmを4時間で何周回れるかを競います。

 プロの方から小学生や60代の方まで参加されますので、我こそはと思われる方は奮ってご参加ください。

 詳しくは木城町若者会HPにてご確認ください。

  


雑感17

2009年05月29日 13時25分10秒 | Weblog

 連日、消防団の訓練が続いています。

 そうなんです!毎年恒例の消防団員の消火技能を競う“操法大会”が近づいてきているからです。

 この操法大会は町大会、郡大会、県大会そして全国大会まであります!

 今年は、志願して大会に出場する要員(選手)になりました。

 これから約1ヶ月はスケジュールの調整をして、優先的に練習に参加することになります。

 昨夜も午後9時近くまで練習をして、消防車を機庫まで運転して帰り、解散となったのですが、少し余力があったので、そのまま6kmほどジョギングをしました。

 自宅から木城町内の比木神社まで、ほとんど街灯もない道を月明かりを頼りに、力走はせず、ボチボチ走りました。

 走りながら、2年前の6月定例議会で一般質問に立ったときのことを思い出していました。

 東国原知事も初々しく、一問一答での真剣なやり取りをはっきりと覚えています。

 本会議場でのやり取りはもちろん鮮明なのですが、私の脳裏には本会議場に臨むまでの執行部の方々とのやり取りも焼きついています。

 私と執行部との調整役をしていただくこととなった中堅職員さんとの会話になかで

 「今、私たちと同年代の職員は岐路に立っています。このまま大過なく、与えられる職務を淡々と消火し、定年に向かっていくのか、入庁したときに抱いていた、自分たちの力で県庁を変え、そして宮崎県を変えるため挑み続けていくのかという分かれ道です。

 東国原知事になって、上司に意見が言いやすい環境になりました。

 私はもう一度初心に立ち返り、情熱を持って職務にあたります。」

 その言葉に触発され、本会議場でも

 「知事、今まさに宮崎県は黎明期が訪れました。職員も覚醒し、変革のエネルギーが満ちてきました。

 執行部と議会が真の県政の両輪となるよう切磋琢磨していきましょう!」

 と熱く語りかけたものです。

 “あの時、力強く語ってくれた職員さんは、今も輝いているのだろうか・・・”

 “あの時、知事にぶつかっていった俺は、今も勢いを失ってはいないか・・・”

 そんな自問自答をしながら、月に映し出された自分の影を追うようにテクテク走りました。

  

君に幸せあれ!乾杯!

2009年05月27日 16時11分58秒 | Weblog

 高校時代の大親友の結婚披露宴に呼ばれ、群馬県高崎市まで行ってきました。

 高校時代は同じバレー部で、新郎はエースアタッカーでした。

             
 
 血のにじむではなく、血を流しながら練習をし、試合に勝って笑い、負けて泣きしながら、固い絆で結ばれたバレー部でした。

 同期のバレー部員は、20名ほどいましたが、3年間部活をやり遂げたのは、新郎と私を含めて4人しかいません。
 
 新郎は、東京農業大学に進み、博士課程を修了し、水牛の血液検査では世界的に有名な研究成果をあげました。そして家畜改良事業団の研究所に就職し、現在は全国の家畜の肉質向上や遺伝子レベルの疾病予防など業界最先端の研究を続けています。

 もう一人は、宮崎県警に勤務し、異例の早さで昇進をしています。

 もう一人は、大分県でゴルフ場の支配人をしています。

 私たち4人は、親友であり、常にライバルです。

 耕す畑は違えども、それぞれの頑張りがそれぞれの励みや刺激になってくれています。 

 ということで、私が友人代表のスピーチをさせてもらいました。

   
      

 高校のときのことから現在に至ることまでのエピソード、そして宮崎県産品のトップセールスも織り交ぜながら話をしました。

 そして、ケーキ入刀。

           

 珍しく和服のままの初めての共同作業でした。

 珍しいと言えば、新郎の実家は大規模な畜産農家なので、式のためとはいえ両親とも家を離れることができず、新郎のお母さんは宮崎に残られました。

 そこで群馬と宮崎をインターネットで結び、その映像を大きなスクリーンに映し出し、宮崎からもたくさんの祝福が届けられました。

               


 そして、各テーブルをまわってのキャンドルサービス。

                 

 温かい雰囲気に包まれた披露宴でした。

 披露宴のあと、会場のそとで新たに家族となった喜びの表情を撮らせていただきました。

            

 そして今回のベストショット!新婦と新郎のお父さんです。

 新婦の満面の笑みとお父さんの照れ笑いが絶妙なバランスですよね!

               

 そして、二次会でのお約束。

               

 その横で私は、酔っ払いながら“てんとうむしのサンバ”を熱唱していました。

維新塾ここにあり

2009年05月26日 15時00分50秒 | Weblog

 宮崎県若手議員連盟「宮崎維新塾」の総会がありました。

 私が4年間、塾長を努めさせていただきました。

 この間、年間4~5回の学習会をはじめ、塾の10周年記念事業や県民参加型の勉強会を開催するなど、私としては塾生の資質向上と“維新塾ここにあり”を示すため、前例なき内容に積極的に取り組んできたつもりです。

 そして塾長任期中に、木城町議から県議会議員に押し上げていただいた時も、ずべての塾生からの応援が大きな力になってくれました。

 私は塾長といっても、塾内では二番目若いので、初代塾長小野元綾町議会議員はじめ名立たる先輩議員から厳しく指導していただき、心から感謝しています。

 私は今回の総会で塾長の任を解いていただき、新塾長に宮崎市議会の串間議員が就任されました。

 今後も塾生として活動を続け、一層の自己研鑽に努めます。

 
 総会終了後、早速今年度の第1回学習会が開催され、各議会が抱える課題や取り組んでいる政策について討論が行われました。

 2時間半を超える意見交換は、終盤になるほど熱を帯び、会場使用時間をオーバーしてしまい、複数のテーマが次回持越しとなるほどでした。

 公開型の勉強会を開催するときには、前もってお知らせしますので、お気軽に参加してみてください。
 

             

備えあれば憂いなし

2009年05月25日 23時45分14秒 | Weblog

 県の危機管理局の配慮から、宮崎県総合防災訓練が木城町と高鍋町で開催されました。

 私は来賓ではなく、現役消防団員として参加してきました。

           

 午前9時、東国原知事の号令のもと訓練開始!

 木城町川原地区(私の地元です)で林野火災及び風水害と津波が発生したという想定でした。 

 現地対策本部では現場からの情報を受け、状況に対応するための指令が発せられます。

           

 それを受け、第一線で活動する我々消防団員は、統率された行動で消火活動と洪水を防ぐための堤防に土のう(砂が入った袋)を積む作業をしました。

 私は機械班といって、火災現場へ水を送るためのポンプを操作する担当でした。

           

 これは、近くに水がないときに水を背負って最前線で消火活動にあたるための道具です。

           


 空からは自衛隊のヘリコプターと防災ヘリが消火活動にあたりました。

           

 堤防を上回る増水がある場合を想定した土のう積み作業です。

 この土のうが重いのなんの・・・

           

 その他にも自衛隊車両の展示や起震車(地震体験ができる車)による地震体験なども行われていました。 

         

 私も地震体験をさせてもらい、阪神淡路大震災クラスの揺れを体感しました。

 感想は写真の表情から想像ください・・・


          

 災害時には炊き出しが必要です。

 女性ボランティアの方々が手際よく、500人分のおにぎりを作ってくださいました。

             

 おにぎりの他に、災害時に炊飯器が使えないことも想定して、無洗米を専用の袋に入れて鍋で煮るだけでご飯になる非常食も作ってもらいました。

             

 実際食べてみましたが、美味しかった~。

 “災害は忘れた頃にやってくる”とも言います。

 これから台風シーズンでもありますので、自身でできる防災対策を考えられてみてはいかがでしょうか。

その時、歴史が・・・

2009年05月24日 12時39分36秒 | Weblog

 いよいよその時はやってきました。

 宮崎日日新聞杯早朝野球前期大会に8番ファーストで出場しました。

 朝日まぶしい小丸河畔球場に午前5時半集合。

 日頃運動不足の私は、他の選手より早く球場に入り、入念にウォームアップをします。

 相手チームは“農業大学校”。20歳前後のとにかく活きのいいチームです。 

 その時は、2回裏にやってきました。

 2アウトランナー2塁、バッターボックスには私。

 初球内角のストレート、ストライク。

 2球目真ん中に低めのストレート、ボール。

 3球目・・・“そろそろカーブがくるころじゃかいか・・・”と思っていたら、外角に力強いストレートが・・・

 初球から外角のストレートに的を絞っていたこともあり、体が自然に反応してくれ、ボールを芯でとらえる事ができました。

 打球は糸をを引くようなライナーで・・・と言いたいところですが、トントントンとゴロで一二塁間を抜けていきました。

 公式戦初ヒットです!!

 一塁を駆け抜けたところで、小さくガッツポーズ。

 たかがライト前ヒット・・・昨年公式戦ノーヒットの私にとっては、されどライト前ヒット!

 息がととのわないうちに、すかさず盗塁!

 2塁ベース手前で、足がもつれそうになりヨタヨタ・・・

 キャッチャーからの送球がなかったので、セーフにはなりましたが、ベンチから

 「ずっさん、今の思いっきりアウトのタイミングですよ!」

 と鋭い突っ込み・・・

 後の2打席は凡打に終わりましたが、なにはともあれ初ヒットが出て良かった。

 チームも4対0の快勝!!

 次はいよいよ準決勝です。

 ガシガシいきます!

           

in 都城

2009年05月23日 23時05分13秒 | Weblog

 愛みやざきの県政報告会を都城市で開催しました。

 愛みやメンバーの選挙区以外で報告会をするのは初めてです。

 私は前の晩から都城入りして、報告会の案内ビラをポスティングしたり、都城の知り合いに連絡をして、一人でも多くの方に来ていただきたいと動いてみましたが、準備期間も短く、正直言って、どれくらいの方が集まっていただけるのか心配でした。

 午後2時、県政報告会は始まりました。

 100人ほど入る会場には、60名を超える来場者と愛みやメンバーの後援会から応援者が足を運んでくれていました。

 有り難い限りです。

 必然的にマイクを握る手にも力が入りました!

 松田議員・・・雇用問題について

 武井議員・・・東国原県政検証

 西村議員・・・県議会改革について

 そして私は、愛みや中国・上海研修を踏まえての“東アジアへの県産品販路拡大”について思いのたけを述べました。

 会場の方々は我々の語りを目で聴いていただき、1時間を越える報告会でしたが、時に厳しく、時に笑顔でエールを送っていただき、充実した時間を創ることができました。

 我々は県議会議員です。

 選挙区の方々だけの代弁者ではなく、県内すべての方々の声に耳を傾け、県民目線で活動を続けていきます!

 これからも県内各地で報告会を開催していきますので、どうぞ気軽に参加していただき、私たちの声を聴いてください。

 皆さんの声を聞かせてください!

 最後になりましたが、今回の都城での県政報告会を開催するにあたり、宮崎維新塾の同志でもある都城市議会の山田議員、榎木議員、荒神議員にはたいへんお世話になりました。

 心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

            

大反響

2009年05月22日 14時54分08秒 | Weblog


 先日のブログで“そばサラダ”を紹介したところ、有り難いことにいくつかコメントもいただきましたし、メールや電話でも問い合わせがありました。

 早速、そのことを伝えようと木城町石河内にある、手打ちそば郷の駅“鹿遊茶屋”に行って来ました。

 “鹿遊茶屋”

          

 読めます?

 鹿が遊ぶと書いて“かなすみ”と読みます。

          
 
 開店前だったため入り口から

 「こんにちは、すみませ~ん!」

 と声をかけると

 「はい、はい、はい・・・」

 と初々しい店長さんが出てこられました。

 ブログで紹介したところ反響があった旨を伝えると

 「ありがとうございます!まだ店のホームページもできてなくて町外の人にどうやって宣伝しようか考えていたんですよ。せっかくやから、ずっさんのブログを見て来て下さった方にはサービスしますわ!」

 なんと気前のいいこと!

 「そばサラダ定食は750円ですが、“ずっさんのブログを見たよ”と言っていただければ、先着10名様に限り“500円”にさせていただきます!」

 うれしいじゃありませんか!サービスももちろんですが、その心意気が気に入りました。

 こだわりの手打ち麺と新鮮な野菜たっぷりの“そばサラダ”。

 是非、ご賞味いただきたいと思います。

             

 趣のある店内からは、新しき村を包み込む大自然を満喫することができ、癒されますよ!

             
 
 そしてご家族連れやカップルにお勧めしたいのが“そば道場”。

 そば打ち体験ができますので、自分で打って、切ったそばを食してみてはいかがでしょうか。

             

 郷の駅石河内“鹿遊茶屋”

 営業時間  午前11時~午後4時
 定  休  日    毎週月曜日(祝祭日は翌日)
 住       所  児湯郡木城町大字石河内414-3
 電話番号  0983-39-1080

 そばサラダ定食750円(そばサラダのみお持ち帰りの場合500円)を注文の際、「ずっさんのブログ見たよ」と言っていただければ、先着10名様に限り250円お安くなります。

 さらになんと!

 もれなく“ひろき通信セット”がプレゼントされますので、こちらの方もお楽しみに!!

  
 

 


2009年05月21日 23時41分00秒 | Weblog


 今しがた消防団の集まりから帰宅し、ニュースを見ながらチビチビと晩酌をしていると「ぺ」の文字が飛び込んできました。

 “ぺヤングソースやきそば”で有名のまるか食品株式会社が女子ソフトボール部を創立するため、入団テストをしている内容が紹介されていました。

 100年に一度と言われる未曾有の不景気の中、社会人の有名クラブチームが続々と閉部へと追い込まれているという時に、クラブを立ち上げるということは異例中の異例です。
 
 それもテストに合格した選手は、すべて会社の正社員として採用されるという条件付でした。

 チャレンジする選手の多くは20代前半の方でしたが、その中でも29歳の中村選手がクローズアップされていました。
 
 中村選手は現役を引退して3年が過ぎており、アルバイトをしながら生計を立てていましたが、夢を追い求めて、再び苦しい練習に没頭されました。

 そして入団テストが2日間に渡って行われ、いよいよ合格発表当日。

 実家で電話を待つ、中村さん・・・

 その時、携帯電話が鳴りました・・・

 その時の中村さんの第一声が

 「はい、中村です。先日はお世話になりました。・・・」

 でした。

 “なんと礼儀正しい人なんだ・・・”

 と感心しました。

 携帯電話を持ちながら不安な表情を浮かべる中村さんとは裏腹に私は

 “間違いなく合格している”

 と思いました。

 そして冷静に、そして丁寧に携帯電話を切ったとき、中村さんは一瞬おいて歓喜の涙をボロボロとこぼされました。

 そして初試合のとき中村さんの帽子には“ぺ”のロゴマークがキラキラと輝いていました。

 年間2~3億円かかるチーム運営費用を承知で、社運をかけ立ち上がったまるか食品株式会社と夢を追い続ける中村さんをこれからも応援していきたいと思います。

 正直、今までインスタントやきそばといえば“UFO”でしたが、これからは“ぺ”でいきます!

 


雑感16

2009年05月20日 23時39分09秒 | Weblog

 今朝4時起きでした。

 午前6時40分羽田空港発の飛行機に乗るために…

  実は昨日の最終便で東京出張から帰ってくるはずでしたが、乗り遅れてしまったのです。

  短期間の出張に視察を詰め込んでしまい、慌てて空港に走り込み、私としてはギリギリセーフのつもりでしたが、手荷物検査所を通ろうとしたとき

 “お客様、搭乗予定の便はすでに出発しておりますので、チケットを持って案内カウンターの方にお巡り下さい。”

 と冷静な声が…

 “うっそ!まじ!!”

信じたくない気持ちでチケットの出発時刻を確認すると、クラクラきてしまいました。

  “夢であってくれ~”

  願い空しく、案内カウンターに向かいました。

  宮崎では私の帰省時間に合わせて、愛みやざきの仲間が次回の県政報告会の打ち合わせをするために座を構えてくれていました。

  案内カウンターで

 「大阪や福岡経由でもいいから今日中に宮崎に着く便はありませんか?」
 の訴えも冷静に却下され

 「明日の朝一便なら予約できます。」

 現実を受け入れたくない気持ちのまま、か細い声で

  「お願いします…」

  それから愛みやざきのメンバー一人一人に連絡を入れ、自分の失敗で迷惑をかけたことをひたすら謝りました。

  いっときせわしく行き交う人ごみの中、ポツンと空港のイスにうなだれていました…

  なんとか持ち直し、宿泊先を探して、再び荷物を抱えて歩き出しましたが、その荷物が重い、重い、重い…

 次の朝、幸いなことに羽田空港午前6時40分発の便は、宮崎には午前8時25分に到着し、9時30分出発の常任委員会の政務調査には間に合いました。

  改めてきめ細やかなスケジュール管理の大切さを痛感した東京出張でした。

  以後、気を付けます。