デンマーク奮闘記を少しお休みさせていただき、この一年を振り返りたいと思います。
走り抜けた一年でした。
4回ある定例議会のうち、本会議場において一般質問2回と代表質問に立たせていただきました。
登壇の前には必ず、地域や現場に足を運び、先進地にて研修をし、情報を収集して、原稿を練り上げていきました。
約1時間におよぶ知事はじめ執行部との真剣勝負は、県議会議員としての醍醐味です。
武者震いするくらいに高揚し、時には原稿を投げ捨てんばかりに興奮し、実のある答弁を引き出すために懸命にくいさがりました。
特に医療・福祉の現状を打開するための政策と無駄遣い行政の改善については徹底的に追求しました。
政策提言に重みを持たせるための“デンマーク武者修行”は、私にとって今後の政治活動の確固たる礎にもなりました。
まだまだ納得のいく答弁や政策実現は得られることは少ないのですが、来年以降もしっかり精進します。
そして今年も多くの方々に支えられた一年でした。
その中でも、今まで愛みやざきの秘書として支えてきてくれた南さんが今年いっぱいで実家の和歌山県に帰ることになったことはとても寂しいことです。
常に縁の下で丁寧に仕事をさばいてくれ、時には我々のかわりに矢面に立って愛みやざきを守ってくれた、力強い存在でした。
南さんの送別会で
「全国どこにいても、愛みやざきの秘書をしていたことを誇りに思ってもらえるように、自慢してもらえるように我々は進化し続けます。」
とお礼の挨拶をすると、南さんは夢のある言葉を送ってくれました。
「新人議員4人の新会派も立ち上げで、私も右も左も分からぬまま一緒に汗をかかせていただきました。
暗闇の中を手探りで進むかのようでしたが、皆さんたちと一緒にいれたので、楽しかったです。
次に一緒に仕事をさせてもらえるのであれば、東京でお会いしたと思います・・・」
南さんの言葉をしっかり胸にしまい、前進します。
また、議会の傍聴や見学にもたくさんの方が来ていただきました。
何より、12月に開催した“愛みやざき県政報告会in児湯”には550名もの方々にお足運びいただき、大盛況の中で、愛みやざきの県政改革に取り組む姿勢や県政の実態・課題について、4人がそれぞれ訴えかけました。
県政報告の際にも取り上げさせていただきましたが、12月定例議会で決裂してしまった“選挙区問題”は悔いが残る内容になってしまいました。
市町村合併そして道州制が進む中、県議会の選挙区だけが一人区を残すという歪な形になってしまいました。
2月定例議会の条例提案までにはまだ時間がありますので、“合区すべし”の働きかけをしていきます。
そして何より、この一年愛みやざきのメンバーに心身ともに支えられました。
この仲間と出会わなければ、議会の中で埋没してしまっていたはずです。
新会派結成当時は
「どうせすぐ諦めて、俺どんのとこに頭下げてくることになっとよ!」
さげすまれることもありましたが、その圧力を“なにくそ!なにくそ!”の肥やしとし、ここまで来れたのはみんなといたからからこそです。
ますます元気だ!!!
そしてさらに嬉しいことに西村さんに子供が産まれました!
自分の姪っ子ができたように喜んでいます。
これからも家族同様の付き合いをしていきましょう!
家族といえば、今年一年も図師家はお蔭様で、大病もなく過ごすことができました。
施設にお世話になっているじいちゃんも昨日から帰ってきて、一緒に歳を越します。
オムツを替えながらじいちゃんに話しかけても、ほとんど会話はかみ合わなくなりましたが、これからもできる限りの孝行をさせてください。
最後になりましたが、お世話になった皆様とこのブログを読んでいただいた皆様にご多幸を心からお祈りすると共に、来年以降のますますのご健勝を祈願いたしまして、2008年最後の“続・奇跡への軌跡”とさせていただきます。
よいお年をお迎えください。
研修に出かける朝に、大柄な留学生たちから
「We want to hear about your job in Japan tonight.」
と呼び止められました。
「About my job?」
「Yes! Please tell us the politics(政治) of your country.」
「Yes!! Of course!!!」
うれしかった~
この専門校を訪れた初日に、みんなの前で自己紹介をさせてもらいました。
その時に
「~I came from Japan. I `m a politician(政治家).~」
と話した事を覚えていてくれていたのです。
研修から帰り、夕食をとる頃には、私はたくさんの留学生に囲まれていました。
留学生のほとんどは20代か30代の若者で、デンマークの社会保障制度を学んで、帰国後は福祉関係の仕事に就くことを希望する“志ある”仲間でした。
特にリトアニアからの留学生は、真剣でした。
リトアニアは、1991年に旧ソ連から完全独立を果たしたバルト三国のひとつです。
独立して間もないため政治が不安定で、国民も貧困層が多いとの事でした。
私は私が知りえる、議会内閣制民主主義の内容や消費税を含む税制の役割、地方分権の必要性、議員は執行の監視役であると共に立法権(条例制定権)を持つ事などなど一生懸命に伝えました。
リトアニアの学生は、必死に聞いて、メモをとってくれました。
言葉でなかなか通じないところは、図や絵を書いて説明しあいました。
彼らが住む街も地方で、都市部と地方の経済格差が広がりつつあること。
リトアニアの経済を支えているのは石油産業だが、近い将来その生産が減少し、経済が衰退する可能性が高いことなどを教えてくれました。
彼らは母国を愛し、母国の未来を憂い、母国のために役に立ちたいと強い信念を持ち、学んでいました。
日本に、ここまで愛国心を抱く若者がどれほどいるだろう・・・
民主主義を勝ち取った若者と民主主義が当たり前のようにそこにある若者の違い・・・
リトアニアの青年が
「日本は素晴らしい国だ。敗戦国から復興し、わずか65年あまりで経済大国になった。私達も日本のように豊かになりたい・・・」
と言ってくれたときに、私は素直に喜べませんでした。
「私も母国日本を愛しています。でもあなた達以上に母国の将来を憂いています。
確かに日本は、経済成長を遂げ、物質的には豊かになりました。
しかし、決して心が豊かになったとは言えません。
高齢者や障がい者は虐げられ、親が子を殺し、子が親を殺す事が日常的に報道されます。
高度成長期の中で私達は何か大切なものを捨ててきてしまいました。
私は“日本を見習ってください”とは言えません。
でも諦めていません。
私は、弱い立場の方々を包み込める、本当に強い国、本当に優しい国を創るため懸命に働きます。
皆さんも国に帰ったら、今の志のまま動き続けて下さい!」
するとエールを送ると、メモをとる手が止まり
「Let`s Chear up! Chear up! !(頑張ろう!頑張ろう!!」
と声が上がりました。
「Thank you! ありがとう!」
「ARIGATOU!ARIGAとう!ありがとう!」
みんなで
「ありがとう!ありがとう!」
堅い握手!堅い握手!堅い握手!
リトアニアな夜に乾杯!
次の研修先である、障がい者の方々が利用される“補装具リサイクルセンター”に移動しました。
移動中の食事をとり、私の大好きなハンバーガーショップに立ち寄りました。
“ジャンボ・バーガー”
を注文して待つこと10分。出されたハンバーガーを見て思わず
「わ~おぉ!!」
と声を上げてしまうと、店員さんは笑っていました。
携帯電話の大きさと比べてもらうと、その大きさは理解してもらえると思いますが、ちゃんと完食し、研修先に急ぎました。
補装具リサイクルセンターは、車椅子やベッド、歩行器、リフト、シャワーチェアーなどの機能低下向けの福祉機器から、義手や義足、ヘルメット、ストマ、補聴器、オーダーメイド靴や眼鏡などの装着系の装具まで、ありとあらゆる障がい者の生活に必要な機器が“無料”で提供されていました。
福祉機器にとどまらず、電子レンジや洗濯機、乳母車、チャイルドシートなどの生活必需品まで品揃えされており、障がい者の生活をトータルサポートされていました。
利用対象者は、0歳から終末期の方まで。
繰り返しになりますが、“無料”です。
まずここに運び込まれた福祉機器は、洗浄そして修理が施されます。
そして、機器ごとに保管、管理されオーダーに応じて、迅速に利用者のもとに届けられます。
これは、電子レンジのストックです。
これは、靴下を自分で履くための補装具です。装具に靴下を履かせておけば、利用者は足を入れるだけでいつでも一人で靴下が履けます。
これは家庭用リハビリ機器です。
装着系のストマやおむつの種類も豊富にありました。
このセンターでは、所長1名。リーダーソーシャルワーカー4名。作業療法士・理学療法士13名。修理技術員5名。聴覚関係技術員1名が勤務されています。
デンマークでは、各市に1ヶ所ずつこのようなリサイクルセンターが設置され、利用者のニーズにあったきめ細やかなサービスが提供されています。
物を大切にする国と次から次に消耗する国。
デンマークの街なかを歩くと、日本とは比にならないくらいのアンティックショップや古着屋が目に付きます。
そして何より私は、日本でこのリサイクルセンターようなサービスを提供している自治体は知りません。
研修も後半に差し掛かってきました。
今回は子育て支援及び保育環境について学んできました。
訪問した保育園でまず驚いたことは、11月の寒い朝にもかかわらず、また雨上がりで庭がぬかるんでいるにもかかわらず、ほとんどの子供たちは外でどろどろになって遊んでいたことです。
デンマークの保育園では、読み書きを教えることなく、ただただ遊ばせ、のびのび表現させることに重きをおくそうです。
ドロドロになって遊ぶ子供たちが、私にはなんとなく懐かしい風景のように映りました。
この保育園では、学童保育も実施されていましたが、日本と違ったのは“早朝学童保育”も行われているということでした。
午前6時過ぎから学童をあずかるだけではなく、保育園で朝食も提供されます。ただ提供するのではなく、希望者には食材だけ提供され、台所で子供と一緒に調理できるのです。
ちょっとわかりずらいと思いますが、子供が立っているところが台所の子供用スペースで、調理を手伝いやすいように床が一段高くなっています。
出勤前に親子そろって保育園で朝食を済ませ、ハグして、いってらっしゃいの光景がそこにありました。
また別の制度で“保育ママ・パパ制度”というものがあり、地域の子供は地域で育てることを基本とし、4~5人の子供を1人の保育者が地域で世話をする場合、その保育者の所得を国が保障するという制度でした。
保育ママ・パパになれるのは、保育経験があり、犯罪歴がない方であれば誰でもなれるということで、集団保育が困難な地方で発達している制度でした。
この日も同地区の保育ママが子供と訪れ、砂場や遊具を利用されていました。
園長先生にデンマークにおいて幼児虐待等の問題はないのかと質問してみると・・・
「デンマークにおいても虐待問題はあります。特に性的虐待が問題となっています。その対策として、虐待を早期に発見するために“対応マニュアル”を作成しています。幼児に対する50にものぼるチェック項目を定め、該当する場合には保護者面接を行い、実態を把握し、改善なき場合はソーシャルワーカー等の行政関係者に介入を依頼します。」
早速、私は
「その対応マニュアルを下さい。」
とお願いすると、快く資料をいただくことができました・・・が、デンマーク語・・・
時間がかかっても訳して、県政に活かす努力をします。
プレイルームにいる子と遊んでいると、次から次に子供たちが集まってきて、もみくちゃにされました。
言葉は通じませんでしたが、癒されました・・・
時間も迫り
「ありがとう!」
と言葉をかけると
「ARIGATOU!ARIGATOU!!」
と子供たちが次から次に言葉を返してくれました。私もうれしくなって
「ありがとう!ありがとう!!」
またまた子供たちも
「ARIGATOU!ARIがとう!!ありがとう!!!」
としっかりとした日本語で返してくれました。
私が保育園を後にするまで、子供たちは“ありがとう”の大合唱で見送ってくれました。
心温まるひと時を“ありがとう”
デンマークでのすべての会話が私にとって勉強になりました。
夕食後、食堂で過ごす時間は、留学生がそれぞれの国について語り合い、異文化が飛び交う刺激的な時間でした。
また千葉先生のご配慮で、知的がい害の通所作業所でもお世話になった施設長さんのディナーにも呼んでいただき、デンマークの一般家庭の温もりも感じさせていただきました。
それらの会話の中から、また違ったデンマークが見えてきました。
デンマークの初婚年齢は、男性が30~32歳。女性が30歳前後。
ほとんどのカップルは、結婚前に同棲期間を設け、お互いを知り合う時間を創るとのことでした。
じっくり知り合って結婚するのだから、離婚率は低いかと思いきや、離婚率は日本の1.4倍!
その背景にあるものとして、社会保障制度が充実しているが故に、子育てや教育費の心配をする必要がないことや女性の社会的地位が確立されているため労働環境も所得水準も男性と大差ないことがあげられます。
日本のように男性の所得に頼る生活をしなくて良いのです。
また離婚率が高いことと比例して、再婚率も高く、再婚率が高いことにより、新たな配偶者との間に、新たな子どもを授かりたいとの感情を抱くことは当然のことで、社会保障制度が充実していることと合間って、少子化問題は改善されているとのことです。
またまたデンマークでは、養子縁組をされる家庭が多く、国外から縁組をされ自分たちの子どもとして育てることは珍しいことではないようです。これも子育て支援策が充実していればこその叶う取り組みだと思います。
確かに街を歩いていると、デンマークの方が、東南アジア系やアフリカ系の子どもの手を引いている光景をよく目にしました。
影の部分も教えていただきました。
以前にも報告しましたが、デンマークは自殺率が高い。日本とあまり変わらないです。
特に若い女性の自殺未遂が多いそうです。
思春期になり、複雑な家庭環境を理解しきれず、リストカットをしてしまう未成年が多いという現実のあるとのことでした。
話は変わって、地方議員は基本的に報酬制ではなく、基本的には日当制です!!
デンマークに行って何度か自己紹介をする機会を与えていただき、
「私は日本の宮崎というところから来ました。そこで県議会議員をしています・・・」
するとその度に
「Do you have job?]
と聞かれていました。
つまりデンマークでは、地方議員は副職を持っているのがあたり前で、議員活動はボランティア的要素が強いとのことでした。
議長や常任委員会の委員長は、常勤となり報酬が支給されますが、一般議員は交通費の実費支給と日当が月に7,000クローネ、つまり日本円で14,000円程度支払われるようです。
そして、定例議会は基本的に“夜”開催されるようです。
目からうろこがボロボロと落ちていく会話が続き、夜は更けていきました。
目覚めると、快晴!!
さぁ!新たな研修が!新たな出会いが!!
デンマークの夕暮れは遅いのですが、薄暗くなりかけた頃、高齢者の小規模施設(日本でいうグループホーム)にお邪魔させていただき、楽しいひと時を過ごさせていただきました。
ここは、10部屋の小規模施設が6ユニット集合しているところで、うち2ユニットは認知症の方専用でした。
ここでも、施設利用者のことを“入居者”とは言わず、“住人”と表現されていました。
訪問した時にはすでに夕食は終わられていましたが、皆さんデイルームで過ごされており、その間に職員さんと家族の方が座り、談話をされていました。
しばし話の内容に聞き入っていると、断片的にしか理解できないのですが、一人の方は思い出話を、一人の方はおやつの話を、また別の人は天気の話を・・・明らかに会話はかみ合っていないように感じましたが、その時間は笑顔にあふれていました。
もちろん全室個室ですが、部屋で過ごす時間よりもはるかにデイルームで過ごす時間の方が長いとのことでした。
雰囲気が素晴らしいだけではなく、設備も充実していました。
これは台所ですが、ボタン一つで流し台が上下し、立っていても車椅子のままでも調理することができます。
トイレと洗面台です。
洗面台も電動で上下します。
男性の部屋を見せていただきました。
天井に見えるのは、室内用リフトを吊るすためのレールです。
全室にトイレから浴室、そして寝室までこのレールが繋がっていました。
デンマークでは住人に優しいバリアフリーが施されているのと同時に、介護者の身体的負担にも配慮した設備があらゆるところに見受けられました。
日本では“介護者や養護学校の教師は、腰を痛めて一人前”とか“介護は、腰を悪くしてあたり前”といった、訳の分からぬ言いぐさがあるのとは大違いです。
男性から見せていただいているのは、今までこの施設に実習に来た学生の寄せ書きでした。
催促にお答えして、大きく“日本からやって来ました!日本の福祉もデンマークに負けないくらい頑張ります!”と書かせていただきました。
辺りがすっかり暗くなり、そろそろ失礼をしようとした時、いきなり烈しいそして懐かしい音楽が鳴り始めました。
マイケル・ジャクソンの“スリラー”でした。
そのリズムに合わせて、一人に職員さんが踊り始めました。
多分住人の方は、そのダンスがなんなのか分かっていないだろうなぁとは思いつつ、見事なダンスに皆さん大喜び!
笑顔の絶えない訪問でした。
さぁ!皆さん、この建物はなんだと思いますか?
赤レンガの雰囲気あるこの建物は“豚舎”なんです!
養豚農家で研修を受けることは聞かされていましたが、その外観のきれいさからは、全く想像できず、民家とばかり思っていた私は扉を開けてびっくりしました。
デンマークは、世界最高レベルの福祉先進国であると共に、農業国でもあります。
“デンマーク・ランドレース”というブランド豚は世界的に有名ですが、デンマークで生産される豚の約85%は海外輸出向けで、そのうちの約30%は日本が輸入しているそうです。
ですから私たちも知らず知らずに、デンマーク・ランドレースを食しているはずです。
この養豚農家では、約6000頭が肥育されており、従業員は3名とのことでした。
母豚は2~3年で平均6回の出産をし、1回で13~14匹、最大で24匹を出産するそうです。
良質な豚を肥育するため、過密な環境でのグループ肥育は、法律により規制されており、豚舎内は快適な空間が確保されており、飼料や水分提供は、ほとんどオートメーション化されていました。
室内温度は、22~24℃で管理され、驚くことに床暖房(30℃)まで完備されていました。
子豚は6ヶ月で80~100㎏まで肥育され、1kg約80クローネ(約1600円)で売買されるようです。
子豚がいなくなった豚舎は、1度高圧蒸気で洗浄されます。
そして再び、クリーンな環境で種付けが始まります。
糞尿処理も徹底されており、処理施設を経たのち、農地散布され、飼料作物の肥料となる、いわゆる循環型農業が確立されていました。
日本の食料自給率は、カロリーベース(家畜用の飼料も含む)で40%足らずです。
デンマークは、食料自給率は300%を超えています。
福祉国家を支える財源は、第一次産業を発達させることで確保されているのです。
コペンハーゲンから移動し、今回の拠点となるボーデンセという街にある“日欧文化交流学院”に到着しました。
千葉先生が、小学校として使用されていた建物を購入され、デンマークの社会保障制度を学ぶための専門校として開設されました。
広大な農地の中にたたずむ、絵葉書に出てくるような校舎でした。
ここには留学生が、ヨーロッパを中心に、チェコ、リトアニア、ネパールそして日本などから80名程集い、3ヶ月から1年~2年学ばれていました。
私は無理を言って、学校のカリキュラムとは別に、1週間の研修プログラムを組んでいただきました。
そしてこの学校には、知的障がい者が社会復帰のためのスキルを身につけるコースもありました。
基本的に全寮制で、食事やミーティングは留学生も障がい者も同じスペースで過ごします。
昼間の研修も十分充実していましたが、食事や食事後の時間が、私にとっては国際交流の貴重な時間になりました。
ここ
そして研修も3日目。
知的障がい者の通所作業所に行って来ました。
ここは定員45名。職員15名で主に、園芸・木工・手工芸・鍛冶(バーベキューセット)・印刷などの活動をされていました。
ここでもレクチャーいただいた施設長が強調されたことは、
「ここでの活動は、障がい者を商業的活動に参加させることが第一の目的ではなく、一人一人にQOL(生活の質)の向上が優先される。」
と説明されました。
施設経営は、数字による評価をされるのではなく、いかに障がい者のニーズに沿ったプログラムが提供されているかによるとのことでした。
日本の同様の施設では、一般企業の下請け的作業をし続けることが、行政からの評価対象となり、施設側もノルマを達成するために職員総出で作業しなければならないのが現状です。
さらに日本では最低賃金を下回る低賃金で作業させられる上に、1割の自己負担が課せられます。
日本では障がい者の就労は“訓練”であるという位置づけで、施設利用料を払わなければならないのです。
このような環境で、就労意欲があがるはずはありません。
どこの社会に、仕事をする度に、会社に自己負担を払わなければならないところがありますか!
それを定める、“障がい者自立支援法”は、障がい者を自立させない足かせになっているのです。
デンマークでは、障がい年金で十分な所得保障がされている上に、施設等の利用は無料です。
さらに、作業で得た収益は、障がい者に分配され、それをもとでに障がい者の方々は地域で、手厚いソーシャルサービスを受けながら自立生活を営まれています。
レクチャーのなかで、こうも言われました。
「日本は福祉においてでも結果重視で、常に見返りを求めていませんか?デンマークでは過程に重きを置き、ヒューマニズムを大切にしています。」
と・・・
研修2日目。
ここは宮殿の中庭・・・ではなく、高齢者の入居施設です。
きれいですよね・・・
デンマークでは在宅介護が基本ですが、施設入居を希望される方のため設備も整っています。
デンマークは、約100年前から脱施設化を図り、当時100床以上の大型施設(いわゆるコロニー)の解体をはじめ、施設型から在宅型への政策転換が行われてきました。
日本でも100年遅れで、2000年に介護保険を導入することにより、在宅型福祉が進められるはずでしたが、遅々として施設型からの転換は図られていません。
施設経営者からのレクチャーは、たいへん刺激的でした。
まず、施設利用者を“住人”と言われること。
決して施設に入居させているのではなく、介護が受けられる住宅に住んでいただいているという“住人本位”のサービスが提供されていました。
食事も風呂は、特に決まった時間や曜日があるわけではなく、その方が利用したい時に利用したいサービスが提供されます。
日本のようにベルトコンベアに乗せられているかのような、食事提供や入浴介助の光景はどこにもありませんでした。日本のように介護者側の都合に、利用者が合わせるのではなく、住人のニーズに合った職員が配置されいました。
“個人支援計画”に基づく、重厚な介護者配置がされていました。
そして、デンマークには“寝たきり老人”という言葉がないとのことでした。つまり寝たきり状態にさせないだけの介護力があるのです。
「その方が背負っている“リュックサック”を理解しなさい!」
と施設長はおっしゃいました。
「一人一人歩んできた道程は違う。生活のリズムも習慣も違う。誰一人同じ生活者ではない。その違いを尊重してサービスを提供しなければならない。」
日本は施設側の枠に、利用者を押しはめる事が日常化している・・・
これは現場に非があるわけではなく、介護保険からの報酬が低いが故に、現場サイドとしてはニーズに合った人員配置をしたくてもできない現実があります。
施設長は顔を赤くしながら、一生懸命にレクチャーしてくださいました。
私は“今、世界でも最高レベルの福祉実践論を学ばせていただいてる”と胸の高鳴りを感じていました。
次に研修先は、100床規模の高齢者施設でした。
施設長は女性の方で、やはりとても熱心にレクチャーをいただきました。
デンマークでは、介護職養成も高レベルで、社会保健介護助手(日本の介護ヘルパー)になるために、1年2ヶ月の教育を受ける必要があり、そのうち約5ヶ月程は現場自習となります。日本ではヘルパー1級でも取得まで6週間ほどの研修しかありません。
さらに社会介護助手が、約2年の研修を受けると“社会保健介護士”(日本の介護福祉士)の資格取得が可能となります。社会保健福祉士は、筋肉注射までの医療関連行為が許可されます。
また日本ではようやく導入され始めた“認知症コーディネーター”という専門職が配置されており、認知症の方々のアメニティ確保のためのケアマネジメントをされていました。
私は施設長に
「デンマークでは“身体拘束”はどの程度行われているのか?」
と質問してみると
「ナイ!ナイ!!」
と不機嫌そうに答えられました。
日本語での返事にびっくりしたのですが、デンマーク語で“ナイ”は“いいえ”とか“違う”を意味するそうで、この時施設長は
「身体拘束は、あり得ない!」
と返事をされたのです。
住人の方の部屋も見せていただきました。
部屋はもちろん個室。
十分な空間と活き活きとした笑顔がそこにありました。
驚いたことに、入り口にドアに郵便受けがありました。
これは、屋根はつながっていても、個人の生活はしっかり守られていて、郵便物も施設にまとめて預けられるのではなく、住人の部屋の郵便受けまで一通一通届けられるこのことでした。
ホテルのような施設を後にして、コペンハーゲンから次の目的地“ボーデンセ”という街まで約3時間、電車で移動しました。
コペンハーゲン駅です。
電車の移動中にも、千葉先生からレクチャーを受けました。(撮影・千葉先生)
駅に着くと、雨上がりの虹がかかっていました。
デンマーク研修に彩を添えてくれるかのように・・・
2日目、午後。
知的障がい者の施設を後にした私たちは、観光に・・・
ではなく、なんと次の研修地までの移動手段は、徒歩でした!!
30分程の道程をてくてく歩きました。
今回の研修は、観光は1日も組んでいません。そんな研修日程を縫って、千葉先生が導線をを利用して、デンマーク市内の風景を見せていただく心配りでした。
さらに、写真にはありませんが、この時の昼食は、時間の都合もあり移動中のハンバーガースタンドで立ち食いでした。
私の大好物は“ビックマック”ですので、それもまた至福の時でした。
そしていよいよ、福祉省到着!
思わず入り口のデンマーク語で“福祉省”と書いてあるプレートの前で記念撮影。
緊張しつつ、福祉省事務次官補との対面。
一生懸命考えてきた、質問をさせていただきました。
○少子化対策について
デンマークにおいても、女性の社会進出が進みにつれて、少子化問題は顕著になったそうです。そこで福祉省は、徹底的に育児環境整備に取り組みました。
・出産、育児後の職場復帰完全保障
・男性の育児休暇取得はあたり前
・保育園での朝食提供
・保育用具の無料レンタル
・医療費の無料化
・教育費の無料化(大学まで!!!)
などなど、次から次に通訳される事務次官補の政策のすべてを書き留めることはできませんでした。
○障がい者の社会復帰について
ここでも目からうろこが落ちました。
障がい者の方々を“社会復帰させる”という考えは、健常者の押し付けだ!と強調されました。
社会復帰、イコール“経済活動参加させる”という考えは経済至上主義的考え方であり、デンマークでは個人の尊重が徹底されていて、障がい者の方々が就労を望めば、そのための環境整備をする。
しかしそれは決して就労を強要しない。
その方が、絵を描きたいのであれば、その環境を。その方が、木工をしたければその環境を提供する。
つまりその方がその方の判断で、その方らしい生活をしてもらうためのサポートをすることが、ノーマライゼーションの本質である。
経済活動参加こそがノーマライゼーションかと思い込んでいた、私の“ノーマライゼーション観”はガラガラと音を立てて崩れていきました。
○自殺率低下策について
驚くことに日本とデンマークの自殺率は、ほぼ同レベルでした。
こんなにも福祉が進んでいる国なのに、自殺率が高いのか・・・
自殺に限らず、アルコール依存率も高い・・・
デンマークでは、前向きに生きようとする人には、全面的なバックアップを行う。
しかし個人の判断で、堕落や自虐を選ぶ人には、必要以上の介入はしない。
福祉サービスが完備されている福祉先進国が故の潔さを垣間見ました。
私の福祉観が変わっていくのを感じながら、事務次官補のレクチャーを聴きました。
これはデンマークの国会議事堂です。