奇跡への絆

図師ひろき

全力疾走

2007年12月31日 23時09分40秒 | Weblog
 この1年は、多くの方に支えられ走り抜けることができました。
 ありがとうございます。
 心から感謝します。
 
 時には悩み、苦しみ、あきらめてしまいそうな時がたくさんありました。
 そんな時に、私のことを信じて応援をしてくださる方に囲まれて勇気をいっぱいいただきました。
 選挙。愛みやざき。初一般質問。初総括質疑。数々の県政報告会。
 いつも笑顔でエールを送ってくださった方に心から感謝します。
 ありがとうございます。

 そして、家族に。

 今日も挨拶まわりで遅く帰った私に
「1年間、ご苦労様でした。」
と熱燗を差し出してくれ、ささやかな乾杯をしました。
 私が苦労するのはあたり前。私の夢のために私以上に苦労をしているのは、間違いなく家族です。
 今年の活動目標で1つだけ達成できないことがありました。

 “家族温泉旅行”です。

 秋に予定をしていたのですが、私の公務にため中止・・・いや延期になってしまいました。
「春には連れて行くからね!」
と宣言すると
「あんまり期待しちょらんけん、じいちゃんが生きちょるうちにしてよ。せっかく車椅子でも行ける温泉宿を見つけちょちゃかいね!」
とちゃかり。確かにじいちゃんもばあちゃんも連れて行くと豪語したのは私でした・・・
 春には実行します。

 明日は初日の出を見ながらの成人式に参加してきます。
 木城町の日本一早い成人式の来賓です。
 朝5時半集合・・・
 その後、街頭に立ちます!
 木城町の出店交差点と高鍋町の舞鶴神社付近交差点に立ちます。
 近くを通られて見かけたら、声でもかけてください。

 それでは皆様、今年1年たいへんお世話になりました。
 そしてこのブログを読んでいただき本当にありがとうございました。
 来年もどうぞよろしくお願いいたします。
 良いお年をお迎えください。


 
  

2007年12月30日 20時28分46秒 | Weblog
 じいちゃんが老人ホームから帰ってきました。
 正月を家で過ごすための一時帰宅です。
 寝たきりになって6年。はじめは自宅で介護をしていたのですが、ばあちゃんが脳梗塞で倒れ後遺症が残り、二人の介護は困難となり、やむなくじいちゃんを施設にお願いしています。

 昨日、家の敷地内の離れで頑固に一人暮らしをしているばあちゃんが、ひょこひょこ歩いてきて
「ひろき、散髪に連れて行ってくれんか~。」
とボソボソ・・・
「いいけんど、そんげのびちょらんわ。」
「髪を染めたいとよ。」
「いっつもしらがじゃがねぇ。」
「明日、じいちゃんが帰ってくっとよ。」

 納得!
 ばあちゃんは“女”でした。
 じいちゃんとは10歳年の差がある84歳。
 日頃はおしゃれの“お”の字も見えないのに、じいちゃんの前では“おんな”でいたいんだ・・・
 あらためて夫婦の絆を垣間見ました。

「白髪には紫色が良く染まるみたいよ。紫にしたら!じいちゃん喜ぶかもよ!」
「ちんどんやみたにはならんよ。」
以上。

 じいちゃんが帰ってきて、日頃から髪を染めてしゃんとしているかのように澄ましているばあちゃんが、可愛らしく見えました。



10大ニュース

2007年12月28日 01時38分05秒 | Weblog
 うれしいニュースが飛び込んできました。
 
 ○木城温泉館「湯らら」入場者100万人突破
 ○木城町地域包括支援センター設置
 ○小丸川発電所 一部運転稼動
 ○川原自然公園遊泳プール完成
これらに並んで
 ○県議会議員選挙《木城町出身者初当選》

 そうなんです!
 平成19年 木城町 10大ニュースの1つに選ばれたんです!

 毎月町内の行事や休日在宅医の案内をする“月報きじょう”という広報誌があります。その裏面に10大ニュースが掲載されていました。
 人口5600人あまりの小さな町から、選挙で県議会議員が誕生したのは“初”で、町内有権者の7割以上の方が投票していただき奇跡的な勝利へと導いてくださいました。
 当選してから今まで、その支持に恥じないように活動を続けてきました。
 時には心を亡くしそうなくらい、走ってきました。
 そして今日この記事に目が留まり、なんだか温かくなりました。
 あらためて、一人ではないんだとジーンときました。 
 と同時に新たに気の引き締まる思いです!
 町全体の、そして児湯郡の期待を託していただき県議会に送り出してもらいました。必ず仕事で恩返しします。 
 
 ふるさと 木城町のため
 ふるさと 児湯郡のため
 そして今
 ふるさと 宮崎県のため
 そしていつか
 ふるさと 日本国のため、仕事で恩返しします!!


そんなに深い悲しみが きみにあるはずない

2007年12月27日 00時43分04秒 | Weblog

 昼飯を食べに出たついでに、書店によりました。
 あてもなく歩いているつもりが、ついつい吸い寄せられるコーナーがあります。単行本が五十音順に並んでいる“た”のところ。
 「谷川俊太郎」が好きです。
 谷川俊太郎詩選集全3巻。迷わず買いました。
 今までも書店で谷川俊太郎作品を見つけるとほとんど購入してきたので、重なる作品も多いだろうなと思いつつも、レジに向かう足は弾んでいました。

 今から20年ほど前、家庭内不和に悩み、自分の生き方に迷いもがいてた時に落ち着かせてくれたのが谷川さんの詩でした。

 今も時々、あの時の詩を読み返したくて詩集をめくるのですが、見つかりません。書店でついつい“た”のコーナーに足が向くのは、あの時の詩にもう一度会いたいから・・・

 でも、見つかりません・・・

 おそらく見つからないのではなく、見えなくなっているのだと思います。
 20年前の感性が捉えた作品は、今同じ作品が目の前を通り過ぎても、今の感性では捉えられない・・・

 それは成長したが故・・・もしくは退化したから・・・
 谷川さんの作品は決して優しくないと思います。
 厳しくもあり、残酷でもあり、寂しくもある。だから癒されるのかもしれません。私もきれい事ばかりで生きてきた人間ではないので、それを引きずりつつも、そのままの存在を許してくれる表現がそこにあります。

 今日のタイトルは、谷川さんの詩からの引用です。
 著作権の侵害にならない程度に紹介します。

 「子供は泣く」
 ・・・
 ・・・きみの泣声は
 私を深い淵へ誘う
 そんなに深い悲しみが
 きみにあるはずはない
 そんなに烈しい怒りを
 きみはまだ知りはしない
 ・・・
 頼むから泣かないでくれ
 さもないと私まで泣き出してしまう
 わけも分からず泣き出してしまう
 ・・・

 ~空に小鳥がいなくなった日~より


サンタクロース

2007年12月25日 19時26分13秒 | Weblog
 大きなケーキを持ってサンタクロースになってきました。
 甥っ子と姪っ子に届けて、一緒になって食べました。
 一番上の子は13歳、続いて7歳と6歳。 
 ほんとに子供の瞳はキラキラするんですね!
 ケーキを箱から出す瞬間の眼差しは、心を亡くしてしまいそうな日常から一気に幸せな世界に引き込んでくれるくらいのエネルギーに満ちていました。

「昨日サンタさんが来てくれんかったかい、ひろき兄ちゃんが来てくれたと!」

「通知簿に“2”があったかいプレゼントがないっちゃ・・・と思ちょったけど、大きいケーキが食べられたからラッキー!!」

 キラキラキラキラしてる。
 ちゃんと正座をして、口のまわりをクリームだらけにしながらケーキをほお張る姿を見ていると、この素直な子供たちの笑顔を守るために政治はあるべきだとつくづく思いました。

 ケーキを食べ終え、プチサンタクロースは再び県庁に向かい仕事仕事。
 会派室にはくしくも、愛みやざき独身組みが集合しており、年明け早々に発行する「愛みやざき通信・新春特大号」の原稿を作成中でした。

「図師さん!遅いよ!担当部分の原稿終ちょらんやろ!」

と幸せな世界から一気に現実の世界へ・・・

 クリスマスムードに浸ることもなく、愛みやざきの年末はバタバタと過ぎていきます・・・

 

 



クリスマス・イブ

2007年12月24日 14時12分23秒 | Weblog

 動いてます。
 午前中から日頃、お会いできない方々に挨拶回りをしています。
 暮れの挨拶も兼ねて、歳暮の一つでもとは思いますが私たちの立場では許されません。
 「議会報告」という土産しかありませんが、行く先々で
「忙しいのによう来てくれたなぁ。」
「寒かったやろ、暖まっていきない。」
と突然お伺いしているにも関わらず、温かいおもてなしをいただきます。

 お子様がいらっしゃる家には玄関にツリーがあったり、靴下がさげてあったり・・・それだけで心があったかくなります。イブなんですねぇ・・・

 と言いつつ、自分の部屋を見渡してみると、積み上げられてた書類とキーボードの所だけほこりをかぶっていないパソコンが無造作にあるだけ・・・

 寒いっ!

 遅めの昼食を終え、このブログを送信したら再び挨拶回りに行ってきます。 
 忘れなければ、帰りにせめて小さなツリーでも買ってこようかな・・・





 


現役

2007年12月23日 19時05分02秒 | Weblog
 ここ2、3日は暖冬かと思わせるほどですが、この時間から2~3時間外に出ていると、やっぱり心底冷えてきますよ!
 地元も消防団に入っています。
 この時期は、火災予防の夜警と年明け早々にある出初め式の際に披露する小隊訓練の練習があるんですよ。
 出初め式の小隊訓練とは、部長の号令に合わせて
「回れ右!7歩前に進め!」
「左向け~左!前に進め!回れ~右!小隊止まれ!!」
等など、部員全員が一糸乱れないよう行動し、その完成度の高さを競い合う大会なんです。
 ちなみに私が部長のときは部員の協力のおかげで、最優秀指揮者賞をいただきました。
 今年の部長は、部の中でも最年少ですがやる気満々です。まだ不慣れなことが多いのですが、部長の粋に感じて部員全員でサポートしています。故に練習の時間も長くなります・・・

 寒い・・・
 いや寒くない・・・
 やっぱり寒い・・・
 遅くまで練習していると消防団OBも応援に駆けつけてくれます。
 さらに練習が長くなる・・・
 寒くない!
 住民の生命と財産を守りための誇り高き活動です!
 決して練習が終わったあとの乾杯が楽しみでやっているのではありま・・・
 
 今から訓練です!
 いってきます!!


 

議員定数は削減!

2007年12月20日 18時03分28秒 | Weblog

 議員定数・選挙区調査特別委員会の副委員長を務めています。
 今年度中に、新たな議員定数と選挙区を設定するため最善を尽くしていますが、決して順調とはいえません。
 会議の前には、委員長と進行のシナリオを細かに打ち合わせをするのですが・・・委員の考えはそれぞれで、前進はしているものの歩幅はバラバラです。
 委員長をサポートしながら議論の進捗をうかがっているといっその事、副委員長の職責を外し、一委員として言いたいことをズケズケ言いたい!とも思いますが、私より委員長は委員会でも会派でも自分と押し殺して調整役に徹されています。自らの選挙区は隣りの選挙区と合区して定数を減らすと腹をくくっていらっしゃる委員長です。私もできる限りの力添えしたい。

 ここまでの委員会としての統一見解は
・「総定数」・・・機能が低下しない範囲で削減する。
・「選挙区」・・・合併の動向を踏まえつつ、広域化の検討を行う。
・「各選挙区の定数」・・・県全体の均衡ある発展に配慮して設定する。

 年内の委員会協議は今日で終わりましたが、年明け早々1泊2日で岐阜県、和歌山県、奈良県での先進地研修。続いて市議会議長会及び町村議長会との意見交換会を実施することが決まりました。

 町議会を経験している私としては、議員定数削減の困難さは痛いほど分かっています。
 木城町は議員法定数18名を10名にしました。減員率は44.4%です。県内には、50%を超える減員を行っている自治体もあります。
 
 各議員が議員定数に関する発言で、選挙前と選挙後にマスコミのアンケートに答えた内容は、定数20名から現状維持までそれぞれでしたが、平均すると38~39名という数字になります。

  県民の方に、市町村議会の方に納得してもらえる定数に到達しなければ、県民には痛みを強いりつつも、県議会は保身に走っていると批判の対象になることは間違いありません。
 議員定数を決定する法的根拠を並べようと思えば様々ありますが、最後は各議員の決断なんです。定数を決定するのは議員の気持ち一つなんです。

 諦めません。
 


 

  


寝顔

2007年12月18日 17時37分26秒 | Weblog

 誰とは言えませんが、今私の目の前で優しい寝息を立てて深い眠りに落ちている人がいます。
 ここは寝室ではなく、会派室です。
 口をポカンと開けたまま、あまりにも無防備な寝顔です。
 座り心地の良いとは言えない椅子にもたれ、疲れた体を沈めています。
 周りでは切れ目のない執行部の訪問やマスコミの方などの来客、そして電話の音・・・
 とてもくつろげる環境ではないにもかかわらず、ここがまるで自宅であるかのように溶け込んでいます。

 定例議会が始まって約1ヶ月。
 家族と過ごす時間よりも遥かに長い時間、4人でいます。会派室にいます。
 夜は各地の会合に参加したり忘年会に呼ばれたり・・・

 おっと!ここで、統括リーダーが会議から帰ってきました!
 会派の会議が始まります。

 スイッチオン!!

 議会最終日まであと3日。
 4人ともまだまだ走れます!!

 

 


物差し

2007年12月17日 18時14分33秒 | Weblog
 今、「盲学校」「聾学校」および「養護学校」という校名が、「視覚支援学校」「聴覚支援学校」および「特別支援学校」へ変更される議案審議がされています。
 さらにその学校がある地名など由縁のある「明星」「さくら」「ととろ」などの名称も含まれる案が示されています。
 
 県としては、保護者にアンケートを実施し、一般県民からの校名案を参考に、県内全15校のバランスも考慮しながら県教育委員会が最終決定を行うとし、今回上記の議案が上程されています。

 先日、聾学校の保護者代表の方から意見を聴く機会がありました。
「“盲”“聾”という言葉は、我々の存在を表す言葉なんです。できることなら残して欲しい。」
とのことでした。目から鱗でした。
 “盲”“聾”という言葉は、社会的に差別用語として認知されつつあると思っていましたが、当事者にとっては存在意義を見出すほど大切な言葉であることを初めて認識しました。
 
「県民に広く親しまれるような明るく、優しい名称とする。」
と県側は説明しますが、当事者、保護者との思いには溝があります。
 障がい者への政策は、健常者の認識という物差しで押し付けてはいけない。当事者、保護者の声に耳を傾け、その声を反映させたものにしなければ政策に血が通っているとは言い難いと考えます。

 “養護”“盲”“聾”学校の校名変更については、国がガイドラインを出してはいますが、裁量権は地方自治体に委ねられています。
 神奈川県ではそのままの校名を引き続き使用することを決定している学校もあります。

 今会期中に、この議案の採決がされます。
 最後まで当事者、保護者の代弁者として働きます。