前の勤務先である医療法人同心会“古賀総合病院”の創立60周年記念式典に出席してきました。
今もそうであるように、あの頃もただがむしゃらに働いていました。
医療ソーシャルワーカーとして、クライエントの声に耳を傾け、揺れに寄り添い、必要とされれば時間外だろうが、休日だろうが、車をとばして駆けつけていました。
患者さんからの「ありがとう」が原動力でした。
職員互助会“親和会”の役員も長くさせていただき、ボウリング大会やバーベキュー大会で職員間の親睦が深まればと汗をかきました。
職員同士の笑顔が原動力でした。
労働組合の書記長も務めさせていたできました。
職員に高いモチベーションで働いてもらうため、快適な労働環境を獲得するため、労使交渉の矢面に立ち声をあげていました。
労働条件の改善が患者サービスの向上に繋がるという“信念”が原動力でした。
女子バレーボール部のコーチ、男子バレーボール部のキャプテン、硬式テニス部などの部活動にもワイワイ参加しました。
勝っても負けても“乾杯”が原動力でした。
私を育てていただいた、古賀総合病院。
創立60周年にあたり作成された記念誌に、お祝いとお礼の言葉を載せていただきました。
タイトル「同心会が“初心”」
図師博規
私は平成4年より医療ソーシャルワーカーとして勤務させていただきました。
10年間ほどの勤務でしたが、親切で優しく、そして厳しい先輩方のおかげで仕事に対する問題意識と気概を持ち続けることができました。
仕事をすればするほど、医療や福祉の制度を理解すればするほど“何故、同じ疾病・障害なのに住む町によって受けられるサービスが違うんだ!”“何故、在宅での生活を望まれているのに、施設を紹介することしかできないんだ!”といった利用者ニーズに応えきれないストレスが段々大きくなりました。
そして“医療・福祉の壁は政治にある!”“政治を変えないと、現場は変わらない”と確信し、政治家になりたいと思い始めました。
しかし、選挙を闘ううえで何をどうやっていくのか全く分からず、知名度もないに等しく、あるのは“情熱”だけでした。
勝利できる保障はどこにもありません。迷いました。
そんな中、相談を聞いてくれたのは、患者さんでした。
精神科病棟に15年以上入院されていた方の援助をさせていただいたことがあります。
その方の頑張りの甲斐あって、退院そして就職、さらに一人暮らしをされ、社会復帰を果たされました。
仕事が終わって時々、様子伺いがてら顔を見に行っていました。その時
「今度、病院を辞めて、議員に立候補しようと思うけど、どう思いますか?」
と打ち明けると、その方は
「ずっさんは、ソーシャルワーカーがむいちょるが!俺がこうやって生活できちょるのも、ずっさんのおかげよ。」
と言っていただきました。
私は、このとき病院を辞めて立候補しようと決心できました。
自分のやってきた仕事が、間違いじゃなかったんだと感じることができたからです。
「ありがとうございます!もっと皆さんが住みやすい町にするためにも立候補させてください。頑張りますから・・・」
泣きながら握手したことを昨日のことのように思い出します。
それから、一軒一軒あいさつ回りを続け、街頭あいさつに立ち挨拶を続け、町議会議員に押し上げていただき、そして今回、県議会議員にならせていただきました。
“今”があるのは、同心会において職員の方々、そして患者さんとの出会いがあったからこそです。
心から感謝しています。これからも初心を忘れず、保健・医療・福祉の現場を知る議員として、しっかり汗をかいていきます。
最後になりましたが、医療法人同心会のますますのご発展と現役・OB職員のご活躍を祈願いたしまして、記念誌へ寄せる言葉とさせていただきます。