奇跡への絆

図師ひろき

足腰

2009年04月29日 11時25分56秒 | Weblog

 第34回児湯農業協同組合通常総代会に参加させていただきました。
      
               

 会場には350名を超える総代の方々が集まられ、JA児湯執行部に対して厳しい視線が注がれていました。

               
 
 世界の金融市場が100年に1度という危機に陥っており、それに伴い世界的な景気後退が見られる中、国内需要も停滞し、個人消費も増加する兆しさえ見えていません。

 農業情勢も“中国冷凍餃子問題”や“事故米問題”等により食の安全と食糧自給率向上への国民的関心は高まっているものの、農業資材価格が高騰や交易条件の悪さが間違いなく農業経営を圧迫しています。

 JA児湯は、県内JAの中でも模範的経営をされており、これは生産者とJA職員との有機的連携がとれている証だと言えるでしょう。

 児湯農林振興局長のあいさつの中で

 「・・・これからの農業は、生きがい、気概で“22世紀に繋げる”農業を目指しましょう!・・・」

 と力を込められました。

 私も同感です。

 “・・・今まさに農業も転換期です。

 市場は国内から海外にシフトしようとしています。

 私も上海視察の中で、松阪牛や神戸牛、長崎県産の活魚、福島県産の縮れ麺が市場に溢れているのを目の当たりにしてきました。

 国外市場の扉をこじ開けるのは我々の仕事です。

 皆様方の汗の結晶を少しでも高値で取引できるように働きます。

 トレーサビリティー(生産履歴)やポジティブリスト(残留農薬)”の徹底はもちろんのこと、土地の集団化、生産物の集約化をさらに進め、付加価値を高め、農業新時代に挑みましょう!

 皆様が、宮崎県の“足腰”です。

 宮崎県は農業の振興がなければ、立ち上がることはできません。

 宮崎県が寝たきりの状態にならないためにも、未来に繋ぐ宮崎県農業のためにも、共に頑張りましょう!・・・”

 と、あいさつをする準備はしていましたが、私の出番は・・・
 
 今年度は、環境農林常任委員会にも属させていただきましたので、どかどか勉強して、生産者の方々に朗報をお届けしたいと思います。 

                

雑感11

2009年04月29日 00時15分15秒 | Weblog

 車で移動中に、パラパラと雨が降ってきました。

 陽が射しているのに雨か・・・

 確かこんなのを“きつねの嫁入り”とか言うんだよな・・・とぼんやり考えながら対向車線に目を移すと、気ぜわしく行き交う車越しに、うっすらと“虹”が架かっていました。

          
 
 時間に追われ、心を亡くしそうな日々の連続の中で、ホッとする光景でした。

 虹は,大気中に浮かんだ微小な水滴の中で,太陽の光が屈折されて生じます。さらに虹は、内側から紫、藍、青、緑、黄、橙、赤の
順に色が並びます。
 
 そんなうんちくはさておき、私は小学生の時に虹を見上げながら“この虹はどこから始まっているんだろう?”という疑問を抱いたことがあります。

 じっとしていられない私は、自転車で虹の始まりを追っかけました。

 追っかけても追っかけても近づくとこのない、途方もないような冒険の行き着く先は、案外近くにありました。

 いつも通いなれている通学路の途中に小川があり、そこの架かる橋にさしかかったとき、虹の始まりを見つけました。

 虹は、その小川から立ち昇っていたのです。

 ありえないことかもしれませんが、私の記憶にはあの時の感動がしっかりと焼きついています。

 “虹の始まりを見つける”といった思いつきにすぐ体が動くことは、今でも変わっていません。

 興味を持ったことには、あぁだ、こうだ考える前に、まず動いて実感する。

 その行動が遠回りになることも少なくはありませんが、考えるだけより納得できるんですよね。

 虹を見ながら癒されるとともに、少しの間でしたが思い出に浸ることができ、時間に追われている生活は、自らが望み、突き動かされている時間の積み重ねなんだと冷静に省みることができました。

 信号が青に変わり、アクセルを踏み込んだ時の加速は、いつもより元気でした。 

              

夢を持ち続けて良かった。

2009年04月27日 10時16分49秒 | Weblog

 
 ノーサイドのホイッスルが鳴ったとき、勝敗は決していなかった・・・

 得点は10対10の同点。

 延長戦も無い、PK戦があるはずも無く、勝負の行方は1枚の紙に託された・・・

 
 今から20年ほど前、花園をかけた宮崎県高等学校ラグビー選手権大会決勝。

 高鍋高校対都城高校。

  同点のまま試合終了・・・

 勝敗は抽選に委ねられたのです。

 私はスタンドでその瞬間、神に祈っていました。

 野球部と双璧をなす、高鍋高校伝統部の血の出るような練習を知っていました。

 しかし・・・

 無情にもくじを引いた大きな体は、ささくれ立ったグラウンドに崩れ落ちました。

 都城高校優勝。

 その年の全国大会で、都城高校は上位進出を果たし、宮崎県ラグビーここにありを示してくれたのですが、その活躍を素直に喜べなかったことを思い出します。 

 
 高鍋ラグビースクール創立30周年記念講演会に行ってきました。

          

 講師は当時、都城高校で活躍をされていた“永友洋司”さんでした。

 永友さんは都農町出身で、高鍋ラグビースクールで心技体を磨かれ、都城高校時代に高校日本代表主将を務められ、卒業後は明治大学に進学、2度の大学日本一に輝き、平成5年サントリー(株)に入社し、同社ラグビー部でも主将に起用され、日本選手権で優勝を果たすなど数々の輝かしい功績を打ち立てられてきました。

 講演のタイトルは「夢を持ち続けてよかった。」

~夢を夢で終わらせない強い信念と、信じる心が人を成長させてくれる~

               

 順風満帆のラグビー人生に見える裏側には、栄光の何倍もの挫折を辛酸を味わってきた経験を熱く熱く語っていただきました。

 その中で最も印象に残ったのは

 「・・・体の小さかった私に大学時代の監督が“潰されてもいいから、前へ進みなさい。チャレンジしてから考えなさい。やらずに決めつけてはいけない”と前進することの必要さ教えてくれました・・・」

 「・・・本当の勇気とは、しっかり挨拶ができることやちゃんと靴をそろえるところにある・・・」 

 という言葉でした。

 講演会のあとの懇親会の席で

    

 「・・・20年前の同点決勝、そして抽選、あの時のことを覚えていますか?・・・」

 と永友さんに尋ねると

 「あの壮絶な試合を忘れることはありません。私の礎の1つです。」

 と答えていただきました。

 同年代の永友さんの頑張りは、励みになります。

 私も怖れず、前へ進みます!  

           


宮腎協

2009年04月26日 11時35分45秒 | Weblog

 宮崎県腎臓病患者連絡協議会の定期総会に参加させていただきました。

 大会は37回を数え、会場には県内各地から透析治療をされている方々が集まられました。

 ご承知のとおり透析治療は、慢性腎不全になられた方が、血液中の余計な水分や老廃物を体外に排出するために、1回4~5時間の治療を週3回受けることになります。

 私は古賀総合病院に勤務して、初めて担当させていただいた診療科が、人工透析部でした。

 患者さん、そしてご家族の辛さや苦しみを肌で感じ、少しでもそれを和らげるためにはと、寄り添うように仕事をさせていただいた私は、

 “現場だけでは、患者さんの暮らしを守りきれない!”

 と常々感じ、そのジレンマが立候補の原動力となったのでした。

 今回の総会における挨拶の中でも

 「・・・今、国は透析患者さんが背負う重荷を無視したかたちで社会保障意制度の改悪を続けています。
 
 医療費の還付制度である“重度心身障がい者医療費助成制度”の対象から65歳以上の透析者を外す県が続出しています。

 このようなことは断じて許してはいけない!
 
 私は体を張って死守します!

 皆さんも共に闘いましょう!!・・・」 

 と感情をあらわにしてしまいました。

 県内には約3500人の透析患者さんと、その何倍もの予備軍の方々がいらっしゃいます。 

 国から制度が押し付けられる状況の中で、県議会議員としてできることは限られていますが、 声をあげ、活動を続けること皆さんの前で誓わせていただきました。

 数は、力です。

 透析治療が身近にない方でも、是非関心を持っていただき、応援してください!

               

雑感 10

2009年04月25日 23時28分34秒 | Weblog
 
  昨日に引き続き、草剪さんの出来事で感じたこと。

  釈放後の記者会見がありましたね。

  淡々とした反省のコメントが続きました。

  “もっと素直な気持ちを吐き出せばいいのに…”

   と、思いながら見ていました。

  ぐちゃぐちゃに泣きながら、辛いことや寂しかったことを吐露する姿を見せなかったのは、プロとしての意地なのか…それすらもあできないほど自分を見失っているのか…

  そんな時 “…前にもパンツ一枚になったことがあります…”

  とのコメントのあとに少しだけ笑みがこぼれました。

  その瞬間に、素の草剪さんを垣間見た気がしましたのは私だけでしょうか?

  立場上言いたくても言えないこともたくさんあるでしょう…

  言葉を飲み込むことができることは、大人なのかもしれない…

  でも今の草剪さんに大切なのは、喜怒哀楽を素直に表現することだと思います。

  せめてカメラがないところに、心の言葉をこぼせる場所があって欲しいと思います。

  精神保健福祉士として

  “言葉に出して嘆くことは必要です”

 
  私もです。

雑感 9

2009年04月24日 19時15分53秒 | Weblog
  草剪 剛さんの公然わいせつ容疑について感じたこと。

  確かに酒に飲まれるまで飲み続けることは良しとされません。

  さらに全裸になって、深夜の公園で騒ぐことは通報されて然るべきです。

  ましてや芸能人であり、公共の電波で全国津々浦々までその存在が知られてある方なら、言動の重みも十分理解されていたはず…

  ただ私も大学時代、飲み過ぎて、雪の降りしきる路上に友人と酔い潰れていたこともあり、人のことをとやかく言える立場にはありませんが、もう今は家以外では、深酒をすることはありません。  

  草剪さんは、公園で騒ぐ前に衣類や財布、携帯電話などを1つのベンチの上に置かれていたようですね…

  几帳面な性格の現れでしょうか…  

  考えるに、病まれていたのでしょう。

  この複雑多岐な社会で、生きていく中で心身共に完全な健康体でいることの方が、ある意味、異常なのかもしれません…  

  以前、X-JAPANのボーカルのトシさんが全国慰問コンサートの一環で宮崎に来られたとき、私の勤務していた病院にも来ていただいたことがあります。

  その時、次の慰問先まで私が運転手をさせてもらったのですが、トシさんは 「…武道館を満席、総立ちにさせているときが、最高に孤独だった…あのメイクはそんな部分をかくすためだった…今は小さなコンサートしかできませんが、幸せです…」 と、後部座席から語ってくれました。

  私の好きな映画の1つにに“フィッシャーキング”があります。

  その映画のラストシーンに、妻を殺された男とその妻が殺されるきっかけをつくったラジオのDJが、昼間の公園で全裸になって、野っぱらに寝転がって、笑いあう場面があります。

  そこには癒しと許しがありました。

  草剪さんの行為は肯定されるものではありませんが、鳩山総務大臣が
 
  「…草剪容疑者は最低の人間だ!絶対に許さない!…」  

  と、コメントしたことの方が、人の痛みが分からない無情な響きに聞こえてなりません。

  人は憂いや嘆きがあってこそ人間味が増すもので、人と人は、その部分を理解しあってこそ優しくなれるものだと思います。

 

雑感 8

2009年04月22日 17時52分57秒 | Weblog


 基本的にデスクワークをするときには、テレビもCDも消し、携帯電話の電源も切り、無音状態で作業します。

 でも最近、作業の手が止まらず、思考の邪魔をしない心地よい音を見つけました。

 サックス奏者“DAVE KOZ”のベスト版がそれです。

 静か過ぎず、アップテンポ過ぎず、カタカタカタとパソコンを叩くリズムを後押ししてくれています。

 今もサックスの音色に包まれながら、ブログを書いています。

 特に“YOU MAKE ME SMILE”という曲が気に入っています。


 確約書問題から酒や鰻の贈答問題で県議会の信頼が失墜していまい、心を亡くしそうな日々が続いていますが、我々愛みやざきは県民目線で活動することを貫き、県民に方々に信頼を寄せてもらえる議会を創り上げていきます。

 音楽がその失望感と緊張感を少しほぐしてくれています。

 どうか皆さんも心が浸れる音楽と出会い、癒されてください。

           


 


同志

2009年04月21日 23時21分05秒 | Weblog


 国富町議会選挙が告示されました。
 
 午前9時、私はマイクを握っていました。

 宮崎県若手議員連携“宮崎維新塾”の同志でもある“津江一秀”さんの出陣式で応援の挨拶をさせていただきました。

 私のほかにも、宮崎維新塾メンバーである南郷町の野川議員、宮崎市の串間議員、西都市の田爪議員、川南町の徳弘さん、事務局の赤星さん、そして愛みやざきの松田さん、武井さんも駆けつけてくれました。

            

 津江さんは、宮崎維新塾において“幹事長”をしていただき、塾長である私の主張や塾内で喧々ごうごう協議する中、じっくり話をきいて的確な判断をしていただいています。

        

 何度経験しても出陣式の朝は、不安になるものです。

 その不安を払拭し、元気よく出陣してもらうために、宮崎維新塾を代表してあいさつをさせていただきました。

           

 選挙は、選挙区内からの動きよりも、選挙区外からの援護射撃が効果的な場合があります。

 できる限りの援護射撃をし、津江さんのプレッシャーが少しでも軽くなるように、精一杯応援させていただきます。

 よろしくお願いします!!

          


八紘一宇を考える

2009年04月20日 17時22分06秒 | Weblog

 愛みやざきの勉強会の一環で、県立平和台公園にある“平和の塔”を視察してきました。

 私は小学校の時の社会見学で来て、塔の前の階段で記念撮影をした記憶があります。

 平和の塔は、昭和15年に紀元2600年記念事業として、世界から寄せられた切石1789個を含む石材で建設されました。

 塔の入り口は青銅扉で、天地創造から神武天皇の美々津港御船出までの模様が浮き彫りになっています。

         

 今日その扉を、県庁職員立会いのもと開けていただきました。

         

 塔も内部は、採光のための窓はあるののの薄暗く、一人ひとりに懐中電灯が渡されました。

 窓の近くには、光を求めるように石膏でできた彫刻が飾られていました。 

    

 それぞれの彫刻にはストーリーがあり、日本が誕生し、国家的繁栄を構築していく流れが説明されていました。

 塔内部は、微妙な湿度と光にバランスにより彫刻等の埋蔵物は朽ちることなく保管されており、また安全面の観点からの常時開設には至っていません。

 平和の塔といえば、秩父宮殿が下直筆された“八紘一宇”の文字が象徴的です。

             

 八紘一宇の言葉の意味は、8つの島が、1つの屋根の下でまとまるという意味があると聞いたことがあります。

 つまり、島国日本が、1つにまとまり力を合わせ栄えていくという、平和を祈願したものだったのでしょう。

 一方、八紘一宇の説明として、日本の代表的な国語辞典では、「第二次世界大戦中、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた」としています。

 また世界大百科事典では、「自民族至上主義、優越主義を他民族抑圧・併合とそのための国家的・軍事的侵略にまで拡大して国民を動員・統合・正統化する思想・運動である超国家主義の典型」と説明されています。

 言葉の意味も、そのときの時代背景にとって、真逆な意味となってしまう・・・

 今回の現地視察は、あらためて平和の意味を考える機会となりました。

 人は歴史からしか学べない。

 自国の理論だけではなく、相手国の立場に立って歴史を認識し、大いに世界平和について語り、できることを考え、行動しましょう!

            

来賓あいさつ

2009年04月19日 13時51分32秒 | Weblog


 最近は各種団体の総会時期ということもあり、週末になるとあちこちの会合に顔を出し、あいさつをさせていただいています。

 午前中のうちに2つの会合に行ってきました。

 都農町の身体障がい者福祉会の定期総会と川南町の養護老人ホーム民営化に伴う開所式です。

 身体障がい者福祉会のあいさつでは

 「・・・どこかの国の元首相は、“障がい者がサービスを受ける際には、応分の自己負担をしていただきます。それが平等というものです。”と発言され、障がい者の自立を阻む“障がい者自立支援法”ができてしましました。

 障がい者の方々は、生活をしていく上で数々の重荷を背負っていらっしゃいます。

 健常者がその重荷を背負えれば、平等を強いることはできるかもしれない。

 一人一人が相手の身になって物事を築いていく必要があります。特に我々行政に携わるものが、その視点を失っては絶対にいけない・・・」

 と語ると、視覚障がい者の方々も、顔で話を聞いて下さり、大きくうなずかれるその姿勢からも障がい者の置かれている厳しい現実がヒシヒシと伝わってきました。

               

 川南町の“福寿園”の開所式では

 「・・・利用者の方々は、もちろんですが福祉の現場で働く方々が、誇りを持ち、ゆとりを持ち、楽しみながら働ける職場にならなければ、本当の意味での福祉の充実とは言えません。

 介護の現場では“腰を痛めて一人前”といった訳の分からぬ風潮があり、志高くとも介護者が長期間働いていただくための現場にはなっていません。

 介護保険の見直しも微調整に留まり、経営者側もたいへんな苦労をされていることとは存じますが、現場を知る政治家として、共に頑張っていきます。

 川南発!宮崎発!の福祉を創っていきましょう・・・」

 とあいさつをさせていただきました。

 するとやはり来賓で来られていた、延岡の施設長さんが

 「議員の話に共感します。現場で30年近く働いていますが、常に職員が職場を愛せるような環境作りに気を配っています・・・」

 と、固く手を取っていただきました。

 まだ夢しか語れていませんが、我々政治家が未来を見据え、大いに夢と言う政策を語ることにより、現場の役に立てると信じて動きます。

 午後も2つの会合に呼ばれています。

 行って来ます!