どーも、プーカプカです。
高齢身内の世話に明け暮れる今夏、唯一の楽しみ?だったNHK番組がとうとう放送日を迎え、しかしその日はあまりの疲労困憊に寝落ちしてしまい、翌朝に観たのだが、朝ごはんの納豆を噴いてしまった。
はからずも、運命を受け入れて生きる事を選んだオオバコ(サイリウム)が取り上げられていた。
オオバコに噴いたのではなく、運命を受け入れて林田さんの為に行動したおじさんに噴いたのだが、それはともかくとして、こんなにもお世話になっているオオバコ(サイリウム)とは、こういう植物だったのか!
オオバコ(サイリウム)でのトロミの付け方(当ブログの根強い人気記事)
運命を受けれたおぢさんの再放送は30日(日)午前0時30分からです。
(首相の記者会見予定より後に見ると、運命でも植物でもない政治の番組であると感じるかもしれません)
と、そんなこたぁヨロシイのである。
運命を受け入れて生きる、つまり最近再び考えるようになった、答えの出ない事態に耐える力、というものに、本当にジタバタともがいているのである。
あまりにメルヘンな登場人物たちに囲まれて、ここで必要なのはもしかして解決力とか推進力とかではなく、歳月が人を逝かせるまで耐えゆく凍結力ではナイのか<こらこらこら
抱腹絶倒の私生活もさることながら、COVID-19で延び延びになっていた仕事上の新展開も変化の足音(だけ)がコチラを追い詰め、後ろは崖である
そうこうしているウチに、どさくさにまぎれ(たワケでは無いだろうがが)70歳まで働く制度が整ったことから、自分の場合だと5年後には、その新制度にのっかって報酬削減スタートとするのか、新制度にのっからず早期に消え去る事を条件に今の給与で数年残るのか、選ばなくてはならない。
明日にでも消え去りたい
きっと運命を受け入れて死ぬるその日まで働いてお金を稼いで誰かの世話をし続けるだろう。
その事態に答えや解決を希求せず、耐えていく中に自分なりの幸せと安息を見出さねばならない。
人生と血糖値コントロールって、似てねーか?
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