古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

また裏山で焼いて食べました。

2013年02月11日 04時08分28秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 寒いけど陽射しは春です。この前焚き火で餅とパンを焼いて食べたのがたのしかったので、この日曜日はいろんなものを買い込んで孫たちがやってきました。おじいさん・おばあさんは朝から張り切って、まず部屋を掃除し、外に出て裏山で焚き火をし、バーベキューの炭で焼いて食べる用意をしました。
 写真の右は焚き火、左が食卓のつもりで準備したのですが、みんな焚き火のほうがよかったみたいです。次は焚き火を囲んでみんながすわるようにセッティングします。
 妙子さんは、自分の部屋で弁当風の食事をしました。彼女は、目を細めて孫やひ孫のおしゃべりを眺める「ひいお婆さん」を演じるのは苦手のようです。孫やひ孫のことを心配する時期を通りすぎると、高齢者の関心は「自分の人間としての矜持(きょうじ)をどう保持して生きるか」に移るようです。「長生きしとればだれかが世話してくれる。放っときはしない」と達観して、あとはなるべく身辺自立して生きようと心掛ける。あと10年生きて110歳になって、子が85歳になって腰が曲がり杖を突くようになってもまたは子の寿命が尽きても「だれかが世話してくれる。世の中はそんなものだ」と思う。
 先日ショートステイから戻ったとき、母は久しぶりに3人の子らに電話をしました。ぼくがダイヤルして母の声を聞かせたのです。母は耳がとても遠いので相手の言うことはわからないけど、とにかく声を聞かせました。そしてなにかの刺激になればとハガキを用意しました。ぼく以外の子らに「声を聞かせてもらい、ありがとう。元気でよかった」といった文面に「母が竹を切る写真」を入れて印刷したハガキです。それを朝食のときに渡しました。
「下に自分で一言だけ書いてね。切手を貼って出すから」
 きのうは晴れていました。ふだんなら母はまっ先に花バサミを持って裏山に出てくるところです。でも出てきません。部屋を見るとハガキを机に置いて、眺めています。なんとなくただ眺めているのか。「どう書こうか」と考えているのか。
 テレビはむかしから見ないし、本も大型活字本しか読まなくなった。もう知人と会っておしゃべりすることも叶わない。仏壇に向かってこの世を去った人々と対話しようと思うほど単純でもない。
<生きる軸>みたいなものは何なのか。自分の「更なる老い」を視野の隅に入れてぼくも眺めています。
 

 
コメント
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