古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

放置竹林は日本の自然にとって大問題です。

2013年02月04日 02時55分23秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 先日散歩をしていて撮った写真です。手前左がうちの畑で、向こうが小山になっています。
 その小山が問題です。山はクヌギ・コナラの梢がおおっていますが、その下に見えてる緑は竹林です。春から秋にかけてはクヌギ・コナラの葉が茂って竹林を隠し、その下が竹林であることはわかりません。
 でも祇園さん・愛宕さんに登る参道の両側は竹林だけの世界みたいです。そんな、かつて里山だったところに竹のはびこる状況が、いま全国に広がっています。音無しの、静かな、自然を装った、放置竹林。
 先日ぼくのメールに、見知らぬ方から調査依頼がありました。卒論で『放置竹林』問題をまとめようとして、アンケートを頼まれたのです。若い学生の方でしょう。「竹を切りまくった。里山復活を願う」と回答しておきました。
 1月23日・味噌を仕込む前には、注文しておいた麹を受取りに稲美町まで行きました。そのとき大豆畑トラストで須磨から10年近く通った道を走ってみました。西盛口から西神墓苑のあたりを走ると両側の民家の裏山には竹がはびこっています。
「数年前、毎日のようにこの道を走ってたときは、竹林に問題意識なんかもってなかったなー」
 ブログを書くようになって「放置竹林は大問題」と書いてるぼくにしても、70歳になるまで竹林がこんなに日本の山々を侵食しているとは思っていませんでした。
「すぐ裏の山が竹林だけになってしまった」ところに住んでみて、やっと大問題と思うようになったのです。
                   
 一方こちらの写真は小山の東の村の墓地です。うちの畑つづきに見えるこの木立ちは、ぼくのお気に入りの眺めです。下は笹薮もありますが、竹は生えていません。クヌギ・コナラの林になっていて、冬の裸木、春の若葉、夏の緑、秋の紅葉・落葉と一年中風情があります。
 数本の木立ちのように見えますが、幹は20本立っています。根元から枝分かれした木をふくめて。その林の感じが実にいい。
 2006年3月初旬。不動産屋さんに案内されて、家を建てる土地を見にはじめて来たとき、このあたりを歩いてみました。そして春の陽を浴びるこの木立ちを一目見て好きになりました。
 墓にお参りされる方は、落ち葉掃除が大変です。「切ってしもたらええんやけど」と村の寄り合いのときだれか発言され、内心「やめて!」と思いましたが大丈夫。こんなに大きくなってしまったら素人では切れません。クレーン車は入れないし、墓があるから切り倒すわけにいかないし、業者に頼むとなると「保険」だけでもびっくりするほど高額になりとてもとても。こちらの眺めは当分安泰です。
 竹が生えてなければ小山のほうもいい感じの里山なのですが。
コメント (2)
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