古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

<裏山>から心が離れないものでつい ……。

2015年03月14日 04時24分49秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「裏山仕事は一段落!」と書いたのに心が裏山からどうしても離れません。食事を済ませて外に出ると、裏山に足が向きます。畑大好きで「畑仕事をしている間に死にたい」といってる道子さんも、外に出ると足は裏山に向いてしまいます。ドボジョの本領を発揮したくてうずうずしてしまうようです。
 で、なにをしたかというと下の写真です。裏山のデッキ前に踏み石を運び、小さな石灯籠を置き、リュウノヒゲを植え込み、小石を敷き、花を植え …… することはまだ山ほどあります。腰は痛くなるけどたのしい仕事です。
                        
 池に竹の棒を2本渡していますが、これは木炭を入れた袋を水中にぶら下げています。水が澄むかなと思って。いずれ気温が上がれば水生植物やポンプで浄化を考えねばなりませんがとりあえず浄化の実験です。
 
 図書館で本を物色していたら、ねじめ正一の『認知の母にキッスされ』という本を見つけました。ねじめ正一とお母さんの書いた『二十三年介護』という本を数年前に読んでこのブログに書いたことがあります。
 えっ? 作家(詩人)の息子にすすめられて夫の「二十三年間の看病記」を書いたお母さんが認知症になったか。
 読んでみるとそうでした。あれだけの文を書いた人が認知症になり、息子の正一さんが病院や施設に毎日行って世話をしているのです。現在90歳。存命ですから介護はいまもつづいています。(今月号の『婦人公論』は「親の介護 …… 共倒れにならないために」を特集しており、対談でねじめさんが母のことを語っています。秋川リサさんの『認知症の母に、私の心が「もう無理」と叫んだ』という手記も読むと「認知症って大変だ」と思ってしまいます。)
『認知の母に……』はねじめさんが小説風に「母の看護・介護」を書いている本です。介護は家庭の経済や人間の関係もあってなかなか語れないものですが、みじめにならないように、きれいごとにならないように、作家のねじめさんはよく伝わる文で「母との場面」を再現してくれます。
 ぼくは読みながら自分の母と比べてしまいます。比べることではないと思うのに。「ねじめさんとこに比べたら、ぼくはめぐまれてる」と思ってしまう。母は耄碌(もうろく)しましたが認知症ではありません。身内のだれそれを認識し、かつての同人誌仲間を認識し、自分の健康について考え、大きな文字で書いて渡すと読んで理解してくれます。(耳はものすごく遠い)これからもいまの状況はつづくでしょう。
 ニュースではいま認知症は数百万人。これからますます増える。自分がならないという保証はない。PPK PPK と簡単に言うけど死ぬのも大仕事みたいだし。今年のテーマは『認知症を予防するために』だな。
コメント
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