古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

NNNドキュメント15『戦争孤児たちの遺言』を見ました。

2015年03月23日 22時51分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 日曜日の夜遅く10チャンネルでやってる <NNNドキュメント15> 『戦争孤児たちの遺言』(22日深夜)を見ました。だれか投稿していましたが、ドラマより胸に迫ります。ゴールデンタイムに放映して多くの人に見てもらう内容です。
 番組案内には次のように書いてあります。

 
 <番組内容>  「戦争孤児」 …… 70年前、焼け野原に12万人の子どもが放り出された。戦争孤児に国の援助はなく、過酷な生活を強いられた。終戦は、生きるための戦争の始まりだった。自らも孤児であった金田茉莉さん(79)は、同じ境遇にさらされた孤児たちがその後どんな人生を送ったか、約30年調査を続けている。戦後70年を迎える今、多くの孤児たちが重い口を開いた。あの時代の暗部を生きたその言葉は、悲しみと怒りに満ちていた。


 番組に出てきたかつての戦争孤児たちは、ちょうどぼくと同じくらいの年齢です。3歳から14歳くらいで敗戦になり、父親は戦死、母親は空襲で死に、子どもだけが残されます。そして親戚に預けられるか、養子として引き取られて奴隷のようにこき使われるか(戦死した兵士がわりの労働力として)、街で浮浪児といて彷徨(さまよ)うか。
「野良犬!」/「野良猫!」とののしられ、人間の尊厳を鈍刀で削りとるようにはがされ、いつもひもじい思いをして「なんで親といっしょに死なせてくれなかったのだ」と思いつづけて生きてきました。
 その人たちの声を取材した番組です。
 ちょっとした境遇の違いでぼくはそんな思いをしませんでした。しかし他人事とは思えません。
 その戦争孤児だった人たちが次々と亡くなっていく時代になりました。あと10年もすれば記録にとどめることができなくなります。
 
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花花のみなさんは <咲く気まんまん> です。

2015年03月23日 03時00分58秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 春分の日を過ぎてほんとの春が来ました。裏山の花花のみなさんは <咲く気まんまん> で蕾をふくらませています。
 ご紹介しましょう。
         
 左は『ミモザ』。早くから黄色の蕾をつけていましたがやっと咲きかけました。これからひと月ほど満開の黄色がたのしめるでしょう。来年の花ために5月にはミモザの木を強剪定します。
 右は花海棠(ハナカイドウ)で、蕾がふくらんできました。去年はひとつも咲かなかったオオデマリも蕾をつけています。染井吉野は6本中5本が咲きそうです。コブシ/ミツバツツジ/ユキヤナギ/……。道子さんがせっせと植えたムスカリやネモフィラも咲いてきました。
 植えた木で枯れてしまったのは『沈丁花』。根が弱くて育ちにくいですが欲しい木です。買いました。
 春分の日に裏山の山頂から東向きの写真を撮ろうと思ったのに日が昇ってしまいました。そこで次の22日、日の出を見て、急いで登りました。この写真です。
                         
 この写真を見て気づいたのですが、カメラの日付の時間が2時間も進んでいます。実際は5時56分です。いつからなのかわかりません。進んだままずーっと撮っていたのでしょう。すみませんでした。
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