古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

散歩がてら全戸にチラシを配りました。

2013年09月10日 04時58分55秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 うちの村の老人クラブで「ラフター・ヨガ」(笑う健康教室)を計画したのですが、農繁期と重なるので11月に日延べすることにしました。その「お知らせチラシ」を全戸に配ろうと、きのうは二人で散歩がてら歩いて出掛けました。
 うちの村は市役所の統計では現在60世帯あります。でも実際の戸数は40数軒です。「○○さんの家はどこ」と一応わかるようになりましたが、まだ全戸を歩いたことはありません。いい機会なのでゆっくり庭先を眺めながらチラシを配りました。
 この村に移住した頃、村の人とおしゃべりをしてたら「昔はぜーんぶの家がわら屋根だった」と聞きました。いまもわら屋根の家は数軒ありますが黒いトタンの波板でおおってあります。しかし一軒だけ純正わら屋根の家があります。手入れの行き届いた庭を見たいとかねがね思っていましたので、この家にもはじめて寄せてもらいました。
                  
 ちょうど家の人が出てこられ、お茶をいただくことになり、なにかの縁で親しく話をさせていただきました。この「なにかの縁」っていい言葉ですね。気に入ってます。
 若い頃は「袖摺り合うも多少の縁」と思っていました。しかしなにかで読んだら「他生」の縁と知りました。「今生」だけでなく「別の生」でも縁があった。そのうちに〈タショウ〉とは「多生」であると聞きました。
 この歳になってもまだ新たな縁がある。
 なーんか不思議な気がします。
コメント
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