hiroshi hara: saxophoniste

日々の思考の断片

音程と音色

2016-08-15 06:26:33 | sax関係
今日はコンクールの審査のため鎌倉芸術館へ。



近くて大変ありがたいが、なんと年明けから改修工事が始まり、致し方無いことではあるが、利用者にとっては、その間どこを利用すれば良いか悩むところだ。



閑話休題。
高校生から一般まで、色々な演奏を聴きながら、「音程」と「音色」の関係を考えていた。

私自身の経験から書くと、ソプラノやソプラニーノは、音程の微調整の為、たとえマウスピースを1~2mm入れても抜いても、さほど音程が変わる訳ではなく、それ以上に息やアンブシュアのさじ加減で如何様にもなるもので、そしてテナーやバリトンはその逆となり、アンブシュアで音色は変えられても、音程は響きの中に埋もれてしまって微調整するのは意外に難しい。
だからテナーやバリトンは日頃から楽器の音程の癖にも敏感になるし、チューニングも高音楽器より入念になる。

それらの中間に位置するアルトは、チューニング、もしくはアンブシュアの微調整どちらからの働きかけでも平均的に音程を修正することができるのだが、どちらをどの程度使っていくかは、実はとてもデリケートな話だ。

際たる部分は、やはり開放の「ド#」だろうか。
音程補正の為の替え指もいくつか存在するが、その音を微調整するためのアンブシュアも実は存在する。
どちらの方法も一長一短あって、替え指を使えばその音だけは修正されるが、周辺の音は変わらず連結がギクシャクすることに、そしてアンブシュアを変えれば、周辺の音色もろとも変わってしまうことになり、せっかく好みの音色を引き出せるアンブシュアを獲得しても、それと「音程」とを天秤にかけなければならないという可能性もある。

ここでは奏法の良し悪しを書いているのではなく、ましてや楽器やマウスピースの違いという訳でもなく、「どのような奏法とアンブシュアを選ぶのか」、そして音程と音色のバランスを、「どこで折り合いをつけるのか」ということであり、それは奏者それぞれの特性と嗜好の分かれるところなのだろう。

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