2019・9・24 8;27
会いたくて会いたくて
ずっと一緒にいたくて・・・・・・
そんな恋心で結ばれたはずなのに
いつの間にか
いることが当たり前になってしまい
一番大切にしなくてはいけないのに
一番おろそかにしてしまっている。
そのうち
自分勝手、裏切り、無関心などの
傷つけられる行為を重ねられ
悲しみはやがて憎しみへと変わり
「夫に死んでほしいと願う妻たち」はどんどん増えていくらしい。
離婚できる環境や勇気を持てる者はまだいい。
子供のこと、親のこと、そして何よりも経済的なことを考えれば
「離婚」すらできない。
だから「夫が死んでくれる」のが一番いいらしい。
「夫に死んでほしい妻たち」小林美希 著
には、そんな妻たちの心の声が収録されている。
まさに私もそんな妻の一人だった。
50代は紛れもなく「家庭内離婚」の時代。
同居し、経済をもたらしてくれる存在、として距離を置いた。
「あなたとの距離 縮められなくて 氷雨」
そんな句を詠んだ頃がある。
けれど
いつしか
「過ぎてしまえばみんな風」
という心境になり
「喜怒哀楽、悲喜こもごも、この世でしか味わえない感情を
この人によって味わわされた」
と、気づいたとき
切ない恋心も、愛される歓びも、
裏切られた苦しみも、それによる憎しみも
全て、全て、味わわせてもらったんだなあ、と思うようになれた。
かといって、まだまだ
全てを達観し、赦す、というような寛大さにまでは至らない。
まだまだ未熟な私がここにいる。
それでも
その未熟な私と背中合わせに「感謝しできる私」も育ってきている。
過ぎてしまえばみんな風。
この世の全てをありがとう、
と
心から穏やかに言えるようになったとき、あちらへの扉を開けられるのかもしれない。