幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

 朝には紅顔ありて

2013年05月21日 16時53分51秒 | ひとりごと
 
 昇天 かぐやは満月父は新月


 父が去逝した。

5月10日 朝8時ごろ容態が急変し11:07に息を引き取った。

折しも新月
午前八時ごろは引き潮の時


人は満月に生まれ
新月に死ぬという。


人は満ち潮に生まれ
引き潮に死ぬという。


事故や医学の多様化により
そうとは限らずに息を引き取る人も多いけれど
自然の摂理からいえば
それが当然のことだろう。



最期、
大きく息を二回

そうして、彼は己の肉体の営みを止めた。



 三日後の午後
彼は白骨と化した。


やせ衰え、骨と皮ばかりになっていた彼は
よく燃え、ほとんど灰になっていた。


父の遺骨を抱いて火葬場の外へ出たとき
故郷の山々は見事に青く
空は澄み渡り
植えたばかりの田んぼの上を風がさわやかに吹きぬけていた。



 夕には白骨となりて父は青田風





 初めて脳の手術をしてから10年、
入退院を繰り返し、ここ二年ほどは介護が必要となり
寝ても起きても
「痛い痛い、辛い辛い」
と訴えていた。


 ようやく楽になった彼。
あんなにつらい思いをして何を学んだのか。
あんなに悲惨な体で家族に何を学ばせていたのか。


これから、少しずつ、少しずつ分かるのだろう。




 彼の棺が家から出るとき
顰蹙ものの娘は「万歳!!おめでとう!!よく頑張りました」
と、叫んで見送った。


後ろで母が苦笑していた。


 4年間、毎月実家に通い
ここ一年半ほどは
毎日父のことを気にして暮らしてきた。

生きているうちに
死んでから後悔しないように
と、
いつも自分の中心にそれを置き
何かをするときの基準にしてきたし
苦しむ父が早く楽になるようにと
ずっと毎日、祈ってきた。


だから、父への後悔はないし
父が死んだことへの哀しみもない。



それでも、ずっと涙は溢れ続ける。


 父去逝 哀しみではない涙あふれる






 「朝には紅顔ありて夕には白骨となる身」
という蓮如上人の言葉の通り
人の一生などあっという間
いつどうなるかわからない。


生きているうちにこそ、である。

明日はないかもしれない。
白骨になってからでは何もできない。

分かっているのに
みんな、他人事と思って
今をなおざりにしてはいないか。


今日を、今を、充実させなくて
いったい、いつ「生きる」というのだろう。



 吹き抜ける青田風にそんなことを思った。




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