幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

お盆のしあわせ

2010年08月12日 19時06分52秒 | ひとりごと
 何人のかたをお迎えしたいですか?




・・・・・お盆ですね。
あなたは
何人の方をお迎えするのですか?
何人の方にお帰りいただきたいと思いますか?



 私にとって
少し前までは
「お盆」は単なる行事に過ぎず


「お盆・・・ま、お墓参りでもしとこうか・・・」

の程度でした。



 若い頃から
律儀に
お盆には里帰りもしていましたが
それは単にその時期に
主人や娘が長いお休みが取れると言う事と
親戚も
お盆には集まる
と言う習慣があったからに過ぎません。


お墓参りですら
「お盆にはお参りするもの」という
単なる習慣に過ぎませんでした。
そこに誰かを心から迎えるという「思い」はありませんでした。







 私は物心付く前に
実家の祖父母をなくしていますし、
母方の祖父母も疎遠でしたので
祖父母の温かみや
亡くした時の悲しみを知らずに大人になりました。



おかげさまで
今もなお
両親も友人も皆健在ですので
大切な人を失くす悲しみを
本当には味わっていません。



唯一
主人の父
つまり舅を
20年前に失くしていますが
当時
まだ結婚して5年程でしたし
福井と愛知という遠い距離に住んでいましたので
ほとんど
愛情を交わすこともできないうちでした。



いま、もし
美代子さん(姑)が逝ってしまったら
きっと
実母と同じくらいの悲しみを知る事になると思いますが
義父には
申し訳ないとは思うものの
美代子さんほどの感情は起こりませんでした。




つまり
私は54歳のこの年になっても
本当に大切な人を失うという辛さを味わってはいないのです。




ですから、「お盆」といわれても
「ふ~~~~ん」
と言う感じで過ごしてきたのです。




ところが
去年、一年間の寝たきりを介護して
16歳のラブラドール(ギネス級)の
愛犬を見送ってから
その感情に変化が出ました。



犬と人間を一緒にしてはお叱りを受けることでしょうけれど
私にとって
その犬はまさに「大切な家族」でしたので
「大事な人を失う」ことそのものだったのです。






 去年のお盆は
桜の花と共に逝ってしまった彼女の新盆でもありました。



私達は初めて迎え火を焚きました。

心を込めて焚きました。




私の郷里では
迎え火、送り火を焚くという習慣はありません。

13日に灯篭流しの灯篭をお寺様にお預けし
16日に寺の横にある川に流す。


それが

先祖迎えであり
先祖送りでした。






今、愛知で暮らす身となり
ご先祖様ではないけれど
大切な家族の霊を愛しみたいと思うとき
自然と「迎え火、送り火」を焚くという行為に行き着いたのです。






動物霊の供養はそんな風にしてはいけない
という、ご注意も受けそうですが
それでも
大切な人(?)の霊にたいして
自ずとそうしたくなる自分がいるのです。








ここまで考えた時
「お盆」という仏教的行事の中にある
人々の「心」を思わずにはいられません。



迎え火を焚く時の
お墓を洗う時の
お供え物をする時の
その一つ一つの行為に
「思いを込められる事」の幸せを思います。




祖父母の事を
あるいは両親の事を思い出しながら
愛しさと感謝でお盆を迎えられる幸せ。


思う人のいてくれたことの幸せ。

その思いを授けてもらえた事のしあわせ。







昨日、今朝
目覚め際の夢に
犬が出てきました。


大きくて物静かな犬でした。

それが私の愛犬なのかどうかはわかりません。

普段は愛犬はもちろん
犬の夢を見ることはぽとんどありません。



愛犬も
逝ってしまってから
まだ、一二度しか夢に出てきてくれません。





伊勢白山道氏のブログに寄れば
昨日あたりから
この空間がお盆の気配に満ちてきているとの事で
あの世とこの世の気が混ざり合い
黄色っぽく見える・・・とか。



続けて二日も犬の夢を見たのは
やはり
そのせいでしょうか。




お迎えしたい方がいる人は幸せです。



でも
直接的にそういう方を持たない人も

父母がいてくれたから今日の私がいる
祖父母がいてくれたから父母がいた
そして
その祖父母が存在したのは
それ以前のご先祖様がいてくださればこそ

そう考えれば
自ずと感謝に満ち
「有り難いなあ」と言う幸せに
包まれることができるのではないでしょうか。




愛犬を想う時
私はいつも涙してしまいます。

それは
悲しいからではありません。

彼女が私達に与えてくれたたくさんの愛を想い
有り難くて有り難くて
胸がいっぱいになるからです。

そんな時
出てくる言葉はただ
「ありがとう」
のみです。

そして
「ありがとう」
と何度も口にしている時
私の心は暖かさに満ち溢れます。

紛れもなく
その瞬間
私は幸せに満ちています。



幸せとはそんなものではないでしょうか。

鴨長明ではないけれど

「よどみに浮かぶうたかたは
 かつきえ、かつむすびて」

・・・なのでしょう。


ゆえに
その瞬間を
己自身がどれだけ意識できるかで
幸せ度は変わってくるのでしょうね。




日本にお盆の行事が根付いたのは
仏教行事だったからではなく
昔の日本人が
感謝する心を今以上に身につけており
己の心を幸せにする方法を自ずと知っていたから
ではないかと思ったりもするのです。








他人になんと言われようとも
今年も私は
愛犬のために迎え火を焚きます。




心を込めて

感謝に満ちて

幸せを堪能しながら。


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