幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

近道

2016年08月31日 15時09分22秒 | ひとりごと
春の夕暮れ 近道は探さない

何年か前に作った句です。

何もかもが春めいて
おぼろに素敵夕暮れは
わざと遠回りしたりして・・・・・・


子供の頃も
まっすぐにおうちには帰らないで
道草することを楽しんでいました。

白爪草の花冠
神社の大きな欅にくっついているセミの抜け殻

ランドセルを放り出して
真っ白な手つかずの雪の中に思い切り倒れて自分の人型をつくってみたり・・・。

いつだって
四季折々の
道中を楽しめました。




だのに
いつからでしょうか。
学校へ
バイト先へ
職場へと
まっすぐに目的地に行くようになったのは。


冬芽が輝きだしたことにも、トンボが飛び始めたことにも気づかず
駅では英単語を覚え、
真っ暗になるまで部活に励み
夜も遅くまで机に向かい
テストの成績に一喜一憂するようになっていました。


そうして今、
「幸せになるための近道」ばかりを探しているような気がしてなりません。


スピリチュアル本をたくさん読みました。

お蔭様で悩むことも少なくなり
ずいぶん強い心を持てるようになりました。


けれども、多くのサクセス本やスピ系の本でさえも
なるべく簡単に早く、楽しく、現生の中で生きやすくなることを教えようとしています。

それはそれでよいのかもしれません。
自殺が増えている現在において
少しでも気持ちが楽になり、何かに気付いて幸せになる人が増えるのは素敵です。
少しでも多くの人が幸せに平和に生きてほしいと願います。




でも、
でも、このごろ思うのです。

辛いことはいけないのでしょうか?
遅いことはいけないのでしょうか?
楽しくなければならないのでしょうか?


高い山には高い山でこそ見ることのできる景色があります。
それなのに
この頃は
ロープウェイやゴンドラ、スカイラインなどで
簡単にその景色が楽しめてしまいます。
便利な世の中です。
私も何度かその恩恵にあやかっています。

ただ
簡単にそこに到達した者には
簡単に到達した分しか感動がないのは確かでしょう。

苦労して
下から自分の足で登ってきた人たちと
同じ景色を眺めてはいるけれど
でも、絶対に何かが違うと思うのです。

そして、その「何か」こそが一番大切なものなのではないかと思うのです。



近道したい人はすればいい。
でも、道に迷い、遠回りしたときにのみ見える何かだってあること、
そして、それが好きでわざと知らない道へと進むこと、
それだってとっても意味のある生き方だと思うのです。


だから、迷ったっていいと思います。
迷わば迷え、我が人生。
そこにしか見えない醍醐味を君は味わいたまえ!!


…なんて気持ちにさせる今日の空です。



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