昨夜、アジの開きを食べた。
頭や骨をお城の公園にいるネコさんにあげたくて袋に詰めた。
6;00a.m.
暁光の美しい空を眺めながらウォーキング開始。
いつもなら、その空が輝かせる川の水面を眺めるコースを歩くのだが
今日は反対のお城の方へと向かう。
しかし、何匹かいたはずのネコさんたちの姿がまったく見えない。
前の家で出入り自由だった外ネコ「ユウちゃん」は季節に関係なく時間になると出かけて行った。
どんなに私が無視しようとも
何が何でも出かけるんだ、と言わんばかりにしつこかった。
それがネコ族の習性ならば、ここの猫たちはすでに動いているはずだ。
だって、夏にはいつも5;00a.m.~5;30a.m.頃にネコおばさんから餌をもらっていたもの・・・・・。
にもかかわらず、一匹も姿が見えない。
もしかして、
もしかして、
ノラ猫狩りをされたのでは・・・・・と心配になってきた。
ここは、わが街の観光地の代表のような城址公園だから
ノラ猫が住み着くのを嫌がる人たちもいる。
「駆除」という名目のもと、市がそれを実施しないとも限らない。
朝から気分が重くなってきた。
私が引っ越して来る前から住みついていたであろう白ネコ母さん。
チンチラの混じったベージュのおすましさん。
ちょっと太めのトラネコおじさん。
そして何よりも白黒の兄弟ネコ二匹。
去年初めて会った時にはまだ子猫だった。「ユウちゃん」に似た白黒の猫。
きっと兄弟なんだろう。いつも一緒にいた。
模様が違うからすぐに見分けがつく。
たぶんちょっと体格が大きくて、気のいい方がおにいちゃん。
模様が「ユウちゃん」にそっくりな小さい方の子はかなり臆病。
でも、こういう環境の中ではその方がいい。
臆病で、用心深く、安易に人に近づかない方がいい。
ユウちゃんにそっくりなその子に
私はひそかに「龍ちゃん」と名付けた。
岡崎城は「龍城」とも呼ばれている。その「龍」だ。
「ユウ」という発音に似ているから・・・。
「大丈夫かしら。
龍達、捕まったんじゃないかしら・・・・・」
そんな不安を抱きながら、あちこち探しまわり
もう一度、彼らがいつもいる場所に戻った。
と、いた!!
いた!いた!!いた!!!
リュウだ!!リュウちゃんだ。
よかった~~~~~~~~あ。
無事だったんだ。
あっという間に気持ちがほぐれる。
本当に良かった。
彼が生きていてくれることがこんなに嬉しい。うれしい。
彼も、こちらに気づき、意識している。
こわがらせないように、遠巻きにそっと近づき
お魚の残りを見せるようにして少し離れたところに置いた。
そして、静かに後ずさりした。
じっとそれを見ていた龍ちゃんは私との距離が10m位になった時
お魚のところへと走り寄りそれを食べ始めた。
食べてくれた。
食べてもらえた。
嬉しかった。うれしかった。
私は「「ユウ」に対するうしろめたさを抱いている。
自由ネコだったユウをマンションに連れてきて
ずっと閉じ込めて飼うことは傲慢だと自分に言い聞かせ
向こうの家に置いてきた。
新しい住人と
彼が既に慣れていた隣のおばさんにくれぐれも、と託して置いてきた。
けれど彼は三か月後に死んだ。
たった三日で、急に元気がなくなり、あっけなく死んでしまった。
「もし」、はないけれど、でも、
もしここへ連れてきていたなら彼はまだ生きていたかもしれない。
そう思うと、後悔が生じてしまう。
だから
城址公園の猫たちが
のんびりとお昼寝していたり
散歩していたりする姿を見ると嬉しくなる。
自由に
適度に仲間を持ち
わが人生を生きてます、って感じで
そんな彼らを見ているだけで幸せな気分になってくるのだ。
今日も彼らがちゃんと生きている。
今日も彼らが生きられる環境が残ってる。
飼い猫でなければ生きていけない環境って
何かがおかしいでしょう?
捨てるのはもってのほかだけれど
いろんな人に可愛がられながら
自由に「地域猫」として生きるネコがいたっていいと思う。
そんな猫たちが生きられる世の中の方が
きっと人も生きやすいのだと思うし。
ま、こんなわけで、
私の今朝は
「心配」後「幸せ」のネコちゃん日和でした。
頭や骨をお城の公園にいるネコさんにあげたくて袋に詰めた。
6;00a.m.
暁光の美しい空を眺めながらウォーキング開始。
いつもなら、その空が輝かせる川の水面を眺めるコースを歩くのだが
今日は反対のお城の方へと向かう。
しかし、何匹かいたはずのネコさんたちの姿がまったく見えない。
前の家で出入り自由だった外ネコ「ユウちゃん」は季節に関係なく時間になると出かけて行った。
どんなに私が無視しようとも
何が何でも出かけるんだ、と言わんばかりにしつこかった。
それがネコ族の習性ならば、ここの猫たちはすでに動いているはずだ。
だって、夏にはいつも5;00a.m.~5;30a.m.頃にネコおばさんから餌をもらっていたもの・・・・・。
にもかかわらず、一匹も姿が見えない。
もしかして、
もしかして、
ノラ猫狩りをされたのでは・・・・・と心配になってきた。
ここは、わが街の観光地の代表のような城址公園だから
ノラ猫が住み着くのを嫌がる人たちもいる。
「駆除」という名目のもと、市がそれを実施しないとも限らない。
朝から気分が重くなってきた。
私が引っ越して来る前から住みついていたであろう白ネコ母さん。
チンチラの混じったベージュのおすましさん。
ちょっと太めのトラネコおじさん。
そして何よりも白黒の兄弟ネコ二匹。
去年初めて会った時にはまだ子猫だった。「ユウちゃん」に似た白黒の猫。
きっと兄弟なんだろう。いつも一緒にいた。
模様が違うからすぐに見分けがつく。
たぶんちょっと体格が大きくて、気のいい方がおにいちゃん。
模様が「ユウちゃん」にそっくりな小さい方の子はかなり臆病。
でも、こういう環境の中ではその方がいい。
臆病で、用心深く、安易に人に近づかない方がいい。
ユウちゃんにそっくりなその子に
私はひそかに「龍ちゃん」と名付けた。
岡崎城は「龍城」とも呼ばれている。その「龍」だ。
「ユウ」という発音に似ているから・・・。
「大丈夫かしら。
龍達、捕まったんじゃないかしら・・・・・」
そんな不安を抱きながら、あちこち探しまわり
もう一度、彼らがいつもいる場所に戻った。
と、いた!!
いた!いた!!いた!!!
リュウだ!!リュウちゃんだ。
よかった~~~~~~~~あ。
無事だったんだ。
あっという間に気持ちがほぐれる。
本当に良かった。
彼が生きていてくれることがこんなに嬉しい。うれしい。
彼も、こちらに気づき、意識している。
こわがらせないように、遠巻きにそっと近づき
お魚の残りを見せるようにして少し離れたところに置いた。
そして、静かに後ずさりした。
じっとそれを見ていた龍ちゃんは私との距離が10m位になった時
お魚のところへと走り寄りそれを食べ始めた。
食べてくれた。
食べてもらえた。
嬉しかった。うれしかった。
私は「「ユウ」に対するうしろめたさを抱いている。
自由ネコだったユウをマンションに連れてきて
ずっと閉じ込めて飼うことは傲慢だと自分に言い聞かせ
向こうの家に置いてきた。
新しい住人と
彼が既に慣れていた隣のおばさんにくれぐれも、と託して置いてきた。
けれど彼は三か月後に死んだ。
たった三日で、急に元気がなくなり、あっけなく死んでしまった。
「もし」、はないけれど、でも、
もしここへ連れてきていたなら彼はまだ生きていたかもしれない。
そう思うと、後悔が生じてしまう。
だから
城址公園の猫たちが
のんびりとお昼寝していたり
散歩していたりする姿を見ると嬉しくなる。
自由に
適度に仲間を持ち
わが人生を生きてます、って感じで
そんな彼らを見ているだけで幸せな気分になってくるのだ。
今日も彼らがちゃんと生きている。
今日も彼らが生きられる環境が残ってる。
飼い猫でなければ生きていけない環境って
何かがおかしいでしょう?
捨てるのはもってのほかだけれど
いろんな人に可愛がられながら
自由に「地域猫」として生きるネコがいたっていいと思う。
そんな猫たちが生きられる世の中の方が
きっと人も生きやすいのだと思うし。
ま、こんなわけで、
私の今朝は
「心配」後「幸せ」のネコちゃん日和でした。
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