幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

もし、明日死ぬとしたら

2014年08月25日 17時33分12秒 | ひとりごと
友の名は戒名となりぬ初蛍
                         尚女


 尚女(ヒサジョ)とは私の年上の友人
彼女は今年の初めに、続けて何人もの友人を送った。

そろそろ、そういう歳ではあるものの
余りにも続き過ぎて打撃が大きかったようだ。



 


 いつからだろうか。

私は、「明日死ぬかもしれない」を
物事の判断基準に置いてきた。

だから今日、思いの残らぬ生き方をしよう思っている。

 

 でも、この頃

「あなたは本当はなにが欲しいの?何がしたいの?
 明日死ぬとしたら今日何をしておくの?」


 と自分に問い詰めていくと
結局は
大切な人たちと、
いつものように過ごせればそれが一番なのだと思うようになってきた。



 もし、明日死なねばならないならば、すぐに母にありがとうを言おう。
もし、明日死なねばならないならば、今日中に大切な友人たちにありがとうを言おう。
もし、明日死なねばならないならば、夫と娘に心を込めて夕飯を作ろう。
そして、乾杯をして、両手をついて、心からありがとうを言おう。


 



 ありがとうを言いたい人がいっぱいいる。

それは何て幸せなことだろう。
そんなにもたくさんの人に交わってもらい、生かされてきたのだ。



 ひとりひとりに直接伝えたいけれど、明日までにはとてもとても間に合わないから
今、ここで、皆々の顔を思い浮かべ、そうして心から言っておこう。
今日の内に言っておこう。



ありがとう、ありがとう、皆様ほんとうにありがとうございます。
お陰様で、今日まで生きてこられました。

私とかかわってくださってありがとうございます。

喜怒哀楽、悲喜こもごも、楽しかったです。

ありがとうございます、ありがとうございます。


たくさん持っている

2014年08月25日 17時04分07秒 | ひとりごと
ここに幸あり 炎暑の木陰


 これを自由律俳句と言えるかどうか。
たとえ俳句と言ってはみても、なんともまあ、お粗末であることは確かであろう。



 が、こんなふうに他愛もないことに焦点を当て、それを「幸せ」と認識すれば
毎日が幸せなことばかりになっていく。


 たとえば・・・・・

 私の場合一週間の便秘などざらだから
一日に一回でいいから○○様がお出ましになると
それはもう、有難くて有難くて、つい手を合わせて感謝してしまう。

 それがもし、ほんとうにストンと、すっきりだったときには
ずーっと、半日くらい、その感覚が体に残り、気持ちよくて気持ちよくて
チョー幸せなのだ。

 当たり前に、毎日しっかりとある人にはきっとこれほどの幸せ感はないかもしれない。

いや、「ない」のではなくそこに意識を置かないだけなのだけれど。





 3・11の震災にしても、今度の木曽や広島などの雨の災害にしても
それまで当たり前だったことが突然奪われてしまっている。


 失くして初めて大切だったことを意識できることが私たちの周りにはありすぎる。
それほど私たちはいつだって与えられているということだろう。




 今、こうして、このブログを書いていることさえも
息をし、心臓が動き、目が見え、手が動き、パソコンがあり、電気が来ていて、字を読み書きできて・・・・・
と、細かく数え上げればきりがないほどだ。



 私たちはたくさんのたくさんの幸せを与えられている。
そのこといつも意識し、感謝して暮らすならば、どれほど毎日が豊かなことだろう。