幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

家事を思う

2014年08月01日 23時09分38秒 | 暮らし
金田由紀子 著  「毎日ちょっぴり丁寧に暮らす43のヒント」より



〝 掃除も洗濯も料理も外注してしまいたい。
 そうすれば、もっとゆったりできるのに・・・と思っている人。
  それはちがうのでは?


  確かに終わりのない、単調な作業の繰り返しに見える家事。
 でも、本当のところ家事をすることによって、私たちの中の壊れた何か、失った何かが、
 音もなく修復されていくような気がするのだ。



  家事って、ただ暮らしを回転させるための「労働」じゃない。
 暮らしを整えることで、自分を調え、自分を育てていくためのレッスン、修行の時間でもある。

  それこそ根こそぎ外注してしまうのは、大切な自分の暮らし、自分自身を作ることを
 人任せにしてしまうことにならないだろうか。 ″





 禅宗ではまず掃除から修行は始まる。
料理となるとかなり地位が上にならないとやらせてもらえないとか。

いずれにしても「修行」、おのれを高める行為なのだ。



 外で忙しく働いていたころ、
働くのが楽しかった頃、
私は家事が鬱陶しかった。

家事がたまってくるとイライラしたし、
家事をせずに済めばどんなに良いかと思ったりした。




 けれど今、あまり頑張って外で働いてはいない今、
家事がさほどいやではない自分と出会った。


 毎朝ベランダの床を水拭きし
網戸を拭き
時にはガラス窓も拭く。


ここは、リビングダイニングが大きな窓になっているから
ガラスが汚れているととても苦になる。

反対にきれいに磨いた後はとても気持ちいい。


 床も水拭きのモップで拭く。
玄関のたたきも水拭き。


毎日日課になっていて、時間もさほどかからず
気持的にも全然億劫ではなくなっている。




 食事の準備もしかり。
夫婦二人だけなので素食で十分。

ご飯が炊きたてで、味噌汁ができたてならば
おかずはさほど凝らずとも構わない。


それでも、茹でたり、切ったり、混ぜたりするときに
心を込めて静かに望む。


「ありがとう。おいしくなってね」

 そう言いながら、作ることに集中することを心がける。




 洗濯物を干すときも、畳むときも
やはり、一つ一つの行為に心を込めて丁寧に・・・




 結果、この頃、少しずつ、少しずつではあるが
私自身が穏やかになってきているような気がするのだ。




 この著者のいうように〝失った何かを修復″したのかもしれない。
私は、家事の一つ一つに丁寧に向かい合うことで
確かに自分自身を整えているように思うのである。