虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

大街道の友だち

2013-08-26 | 日記
松山ではNO1ホテルに泊まった。ここは安くておすすめです。朝食はバイキング。一人一泊5000円代です。

ホテルのそばに大街道がある。松山で一番にぎやかな商店通りです。昔はアーケードはなかった。



小学2年生の時に、この大街道で親が飲食店を始めた(といっても大街道の表通りではないが)。
名前は「あすなろ」。
環境のせいかどうか、タチの悪い子どもだった。学校から帰ると、ランドセルをほうりなげて、カウンターにすわり、サイダーをちびりちびり、つまみの豆をかじりながら、女給さんをネチネチといじめる(文句をいう)。酒飲みのまねをしたのかしら。働いていた女給さんは、「ご主人夫婦はいい人なのに、あの子がどうも苦手」といって、たしか辞めたような気がする。板前さんの背中を木刀でなぐったこともある。

映画館が多く、学校では子どもだけで映画を観ることは禁止されていたのだが、よく見た。とくに、わたしの店の近くの映画館は裏道から裏から入れる秘密の通路があり、そこからただで何度も見た。今でも、その映画館のあった場所は、シネマ館になっていた。

当時、大好きだった映画は、ラドン、赤胴鈴之助、少年探偵団、スーパージャイアンツ。

飲み屋で子どもが学習する環境にないと思ったのか、親は、近くに3畳くらいの部屋を借りて、勉強室にしてくれ、家庭教師をつけてくれた。愛媛大学の学生で、のち、NHKに入った立派な先生だったけど、まったく勉強しない。通信簿を見せると、うーん、今度は絶対にオール3にしてみせる、とつぶやいていた。のち、東京でお目にかかった。

学校は番町小学校。友達は、近所の大街道の店の子どもで、時計屋さんや洋服屋さんの子どもがいた。一番仲のよかったのは、帽子屋さんの山本くんと、母子家庭でうら通りで間借りしていた松本君。

今度、大街道を歩きながら、帽子屋さんをさがしてみた。帽子屋さんはあることはあったが、名前が山本ではないので、店に入らなかった。あの悪ガキの山本くんは、どうみても店を継ぐような子ではないと思っている。大街道も、昔はなかった店が増え、昔からの店は少なくなっていると思う。

山本君、松本君、あの「あすなろ」の悪ガキ、いつも腰にロープをつりさげていたオレなんだけど、もし、気がついたら、連絡してね(笑)。山本君については、三越の屋上で一緒に写真をとってもらっている男の子だ。

大街道には1年間しか住んでいなかったと思う。


わたしの原点 松山市日の出町

2013-08-26 | 日記
このブロフは個人的な日記、備忘録なので、私以外の人にはまったくどうでもいいことも書かせていただくので、ご容赦。


本日、四国旅行から帰った。
この夏は愛媛県へいった。
まず、松山市日の出町。松山市の中心からから車で十分くらいのところ。
ここに、わたしは、たぶん、4歳くらいから小学校1年生時代までいた。親に聞くと、それまで南宇和郡の緑僧都村とか城辺とかにいたそうだが、わたしの記憶にあるのは、この日の出町。それ以前の記憶はない。たぶん、この日の出町から、おんぶにだっこの生活からはなれ、一人であちこち歩き始め、遊び始めたのだろう。幼年時代の始まり。この日の出町から人生が始まった(笑)。

当時は、日本は貧しく、わたしも、麦飯を食べていたと思う(たまの日曜日に、白マンマだった)。
精米所の2階に間借りをし、水は1階の井戸、またポンプでこぐヤツ(名前を忘れた)、便所も、1階の離れた場所にあった(夜はこわかったなあ)。

テレビ、ラジオ、冷蔵庫、洗濯機、扇風機、風呂などもちろんなし。電気製品は裸電球のみ。夏は行水、冬は火鉢。

画像の川にかかる橋がなつかしい。右側の橋の下にはいつもゴザをかけて家族が住んでいたと思う。
あの橋の前に銭湯があり、2階は映画館だったと思う。夕方になると、いつもこの風呂屋の建物から
美空ひばりの「りんご追分」が流れてきた。毎日のように流れてくるので、この曲は、わたしの歌の原点になっている。この歌を聴くと、当時の情景が思い浮かび、なんとも切ない気持ちになる(笑)。



さて、日の出町のかつてわたしの家があった場所にいくと(むろん家はないが)、家の向かいの公園に石碑が立っていた。和田重次郎の像がある。和田重次郎とは、冒険家で、アラスカで活躍したらしい。新田次郎の小説にもなっているそうだが、まったく知らなかった。この和田重次郎の母親が日の出町の出身で、和田重次郎もしばらくここで生活していたそうだ。はじめて知った。もちろん、昔は何もなかった。最近、建てられたようだ。



わたしは、この日の出町のさくら幼稚園、蘇我小学校に入学した(2年生から大街道に転居したが)。

川の原っぱは公園のように整備されていた。
この川でよく遊んだ。子ども達がみんな川の中にどぼんと飛び込んで泳いでいるのだが、どうしても飛び込めず、飛びこもうかやめようか、ずっと迷って立ち尽くしていたことを今でもよく覚えている。まだ泳げなかったからだが、どうも、昔から勇気に欠けていたのかもしれない。