森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

夢を持つこと

2005-09-15 02:00:12 | 日々の写真
今日は午前中、宝塚ふぁみりい劇場主催の「聖の青春」のプレイベントがあった。定員を越えて40名以上の人が来てくれて、初めに私が話をした。テーマは「夢を持つこと」にした。
 村山君との出会いから別れまで、もう一度自分なりに振り返って、脱線したり途中で言葉が詰まって困ったときもあったが、何とか終えることが出来た。
 人前で話をすると、いつも終わってから自己嫌悪に陥る。きれいごとを言っていないか、自分を飾っていないかと悔いが残るのだ。劇団コーロのオキさんにマイクを渡してほっとした。と言いつつ時計を見ると、1時間もしゃべっていた。
 ティータイムの終わりに、村山君が残したエッセイと、昨日の深夜にプリントした村山君の写真を配ってもらう。
 村山君が居なくなってから、心のどこかぽっかり穴が開いたままだ。普段はそれを意識してないが、日々の中で情けない思いをするたびに疼いてきて、ぐっと言葉を飲み込む。
 無言の行、有言の苦なのだろうか。いや無言の無、有言の無なのだ。また訳のわからない言葉を使ってしまった。
 
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麻雀の切り絵

2005-09-13 22:11:46 | 日々の写真
珍しい麻雀の切り絵である。176号線沿いの井戸水コーヒー「レストイン・デカンショ」に飾ってあった。作者は中国の人のようだが、名前は忘れた。
 私も麻雀は大好きだったが、最近はほとんどご無沙汰だ。昔は徹夜ですることがしょっちゅうで、一週間に5日のペースだったこともある。かといって強いわけでなく、どちらかいうと中間から負け組寄りだろう。その時期は昼と夜が逆転の生活で、お日様がまばゆく感じる日々だった。
 私の門下は、棋士になるまでは禁酒、禁博打、禁外泊にしている。破れば破門である。私自身も遊びだしたのは棋士になってからで、奨励会のときは、むしろ刑務所で刑期を務める囚人の覚悟だった。だからほとんど外と断絶した生活だったが、それはそれで充実していた。ただ、棋士になってからその反動が大きくて、堕落論ではないが、心が緩んでしまったように思う。
 私の中には真面目な勤勉さと、堕落して遊ぶ、その二つが常に同居しているのだろう。また慣れて来てうまくいき出すと、自分の中で何かを壊して、安定から遠ざかろうという生意気な本能があるような気がする。
 損得やただの勝ち負けだけの世界はつまらないと思う。心を揺さぶらないものには興味を失うのが、自分の傲慢さかもしれない。と言いつつ、小さな損得や勝ち負けにはこだわる、いい加減な自分もいる。
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古い校舎

2005-09-13 00:26:14 | 日々の写真
昨日の総選挙の結果は何だったのだろう。悪い夢を見ているようだが、現実なのである。高村薫さんが新聞に書いていたが「ぽかんとして開票結果を見ていた。そして初めて気付いた。無党派は保守だったんだと」とある。
 世の中の出来事をいつも冷静に分析する高村さんにして、この驚きである。

 今日は三田から176号線で篠山市丹南町方面にドライブに出かけた。大山という地名を目にして、立ち寄って見ることにする。細い道を進むと、ハイカラな(古い表現だ)建物の並ぶ別荘地に出くわした。そこから戻って市民農園を覗いてから大山小学校の方に向かう。ふと見ると運動場の向こうに、古い木造の校舎があった。これはその写真だ。頭の中でぐるぐる脳が回り、歴史を紐解くように、郷愁感漂う校舎に見入っていた。初めて出会ったのに、意識の中でズレがない。
 現実逃避なのか、一枚の写真でストーリーを描きたくなることがある。目をつむり、数十年前に戻って仮想の風景を覗き見るのだ。
 ≪田園風景の中で大勢の子ども達が、休憩時間にはしゃぎ回っているシーンが浮かんだ。そこにぽつんと片隅で、鼻水を垂らして友達の輪の中に入れない自分が居た。≫
 
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雲間の飛行機

2005-09-11 23:26:41 | 日々の写真
数日前に伊丹にいったときの写真だ。台風14号の暗雲の中を、着陸に向かって高度を下げた飛行機の一枚。
 昔、休日になると、空港で飛行機の離着陸のシーンを見るために、自転車でよく行ったものだ。以前は国際線も乗り入れていたので、憧れの眼差しで、山のかなたや空のかなたに消えゆくまで、じっと眺めていた。
 子どもの頃は時間が長くて、本当に自分が20歳になるのだろうかと思っていたくらいだったが、20歳、30歳、40歳、50歳と年齢を重ねるごとに時間が加速するような早さで過ぎていく。そして自分の目で見る世の中も、何かが壊され何かが生まれて、確実に時代が移っていく。
 昔から、私はタイムマシンが好きだったが、未来の映画やSFには全く興味がなかった。これは感性の問題なのだろう。
 ときどき旅に出たくなる。国内でも外国でも、新しい風景との出会いを求めたくなる。叶わないまでもそう思うだけで、半分空を飛んでいるようなものだ。
 飛行機が着陸して、別の飛行機が離陸する。日々の出来事も同じかもしれない。
 旅は戻って来るから、旅である。
 
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子ども将棋教室

2005-09-10 22:57:49 | 将棋あれこれ
今日は午前中が子ども教室「土曜コース」だった。10時前後になるとパタパタと走って教室に来る。今日は見学が2名いたので割りと多かった。
 子ども教室の内容は初めに詰将棋のプリントを各自で解き、そして手合(対局すること)と指導対局、終わりに大盤解説をする。教室は2時間あるので、集中力が持たない子どももいる。真剣な眼差しの子、負けると泣きそうな子、みんなそれぞれ自分なりの世界に浸っているようだ。
 写真は大盤解説のシーンだ。棋力に差があるが、今日は六枚落ち(ハンディ戦)のおさらいだった。
 子どもは正直で、大盤の内容が難しかったり面白くないと、隣の子と雑談を始めたりする。よそ見を注意するより、いかに面白い内容にするかだ。
 子ども教室は指導者の方針によって様々で、私も試行錯誤の連続だ。楽しい雰囲気で、みんながマナーよく仲良く、ほどほどに上達してくれればいいが、そんなに甘くはない。将棋をどう教えるかは、答えのないテーマでもある。
 技術面だけを重視しても駄目だし、礼儀やマナーだけうるさくても興味がそがれてしまうだろう。バランスのよい将棋教室を目指しているが、言うは易し行うは難しである。
 甘すぎても恐すぎてもいけない。うまく教えようという考えはあきらめて、自分の持っている「将棋熱」を出し切るしかないなあと思っている。
 
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朝顔

2005-09-09 20:50:57 | 動物と花
午前中、宝塚の小林(おばやし)に行く。昼食までに時間があったので、駅周辺を歩くことにした。真夏日が戻ったみたいで、汗をかきかき頭も暑い。(私の場合は普通の人よりも、もろ直射なのだ)
 入り組んだ道を進むと「聖心女子学院」の立て札があった。ガードをくぐり坂道を登ると、突如として静寂の森に出会う。学院の敷地らしいが、どうみても神社のような雰囲気だ。竹林もあって、店やマンション、人家が込み入った駅の南側と大違いの風景だった。「ネコに餌をやらないで下さい」の立て札もあった。ネコはいなかった。
 下に降りて戻ってくると、駐車場の垣根に青の朝顔が色鮮やかに咲いていた。真昼間なのに見事な色彩で、しおれるどころか凛とした存在だった。
 ここ数日、景気のいい話がない。夏バテのせいもあるのだろう、足腰も重い。
 商店街に戻ると「空き店舗」の看板がやたらと目に付く。確か和菓子の店もあったはずだ。自分がマイナス思考の状態になっているから、そこに目線がいってしまうのだろうか。朝顔の青がまばゆく映る。
駅のそばの掲示板に「9月14日、聖の青春に向けて、ティータイム、森信雄先生を囲んで」の手書きのポスターが貼られてあった。ふぁみりい劇場の人が貼ってくれたのだ。凛としなくては、と思った。
 
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台風一過の空と雲

2005-09-08 19:58:24 | 日々の写真
台風一過の空に奇妙な白い雲が涌いていた。まるでレントゲン写真のようにも見えるし、空全体が映画のスクリーンのようでもある。
 今日は伊丹の子ども教室だったが、東京の将棋会館では三段リーグの最終戦が行われていた。私の弟子の糸谷哲郎三段は、最終日まで11勝5敗の2番手で、上位なので2連勝すれば四段に昇級昇段で、晴れて棋士になれる。結果は1勝1敗の成績で、結局12勝6敗で次点に終わった。
 前期も最終局にチャンスがあったが、上がれなかった。報告を聞いて体全体の力が抜けてしまったが、いちばん辛いのは本人だろう。
 糸谷君は広島在住で、亡くなった広島将棋センターの本多富治さんが可愛がって育て、私の門下になった。子どもの頃は将棋に負けると泣き崩れ、お父さんの足を蹴っていた。奨励会に入ってからも、電話で報告するたび、負けると泣いてばかりいた。でも直にケロッとするのも持ち味だ。最近は力をつけて、三段リーグでもいい成績を残している。
 同郷の故村山聖九段、山隆之六段、片上大輔四段に続く有望株である。とってもユニークなキャラクターで、16歳の可愛い少年である。
 勝負の女神はいたずら好きとしか思えないときがある。1勝の重みは自分で噛みしめて、苦い日々を送るしかない。
 弟子が強くなり活躍するのは、師匠の願いである。山あり谷ありが勝負の世界だが、必ずや乗り越えてほしい。
 
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猪名川の屏風岩

2005-09-07 17:38:58 | 日々の写真
午前中は台風14号の影響で、雨こそ降っていないが風が強かった。午後になると晴れ間が見えてきて、真夏日のような台風一過の青空が広がる。雲の流れも早く、運勢でいうと天と地の差がある天気だった。
 猪名川の道の駅に行くと水曜日で休みだったので、近くの屏風岩まで行くことにする。ここは川西からも近く数軒の温泉旅館もあるが、どちらかいうと昔の温泉のイメージだ。土建屋さんの敷地に入れさせてもらって、屏風岩を見る。近くにアヒルが10羽くらいが群れになり木陰にいた。台風が去って一息ついているのだろうか。近づくと、よちよち歩きながらしっかり距離を置く。邪魔をしないように、深追いするのは辞めた。
 屏風岩を背景に、水嵩の増した川の白いしぶきと、青空と雲が、温和な表情を見せる。「朝の来ない夜はない」という言葉があったなあ。「青空のない空はない」という言葉はなかったか?
 稲穂が輝き出して、収穫の秋が間じかだ。この夏は長かったように思う。
 車を道に出すと、後ろにパトカーがいてあわてる。別に悪いことをしているわけでないのだが、一瞬動揺する。
 「心の中で、罪を犯さない人間はいない」そんなことはないか・・・
 
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帝国化成の跡地

2005-09-06 20:33:15 | 日々の写真
私は高校を出て、伊丹の帝国化成という会社に就職した。場所は猪名川沿いの工場地帯にあり、寮住まいをしていた。空港のすぐ傍なので離着陸のときは騒音が激しく、えらい所に来たなあが実感だった。同期の仲間は九州、四国、山陰などあちこちから来ていたので、まるで言葉もバラバラな田舎者ばかりだったが、貴重な思い出の時期である。奨励会試験を受けるために、2年足らずで退社したが、ときどき仲間に会いに寮に遊びに行っていた時期もある。あれから30年あまり経つ。伊丹に行くときは、ときどき工場をみながら懐かしさを感じつつ通っていた。寮が数年前に解体されたのは知っていたが、昨日久しぶりに通ったとき、工場も無くなって跡地になっていてショックだった。
 今日もう一度確認のために、行ってみたら、間違いなく消えていた。車を止めて猪名川の土手に上がり、跡地を見る。悲しい気持ちだったが、これが時代の変遷なのだろう。
 台風14号の影響で、離着陸の飛行機は少なかったが、大きな音響で低空を通過していく。あのときと変わらない風景と、もう二度と戻ることのない風景がある。
 何を得て、何を失ったのか、心にぽっかり穴が開いたような気がする。また一機,飛行機が着陸姿勢を取って、猪名川を越えて空港の滑走路に消えて行った。
 
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ケロの正体

2005-09-05 21:22:20 | 日々の写真
神戸の中華街、南京町で見つけた置物。蛙かカッパか何だろう?目はやさしく悲しく色っぽい。顔は大きく漫画チックで愛嬌がある。全体のムードは睨みつけているようでいて、何かを訴えているようにも見える。じっと見ていると、話しかけて来ているようだ。大きな口が餌を見つけて、チャンスを窺っているようにも見える。想像の産物とは、この置物のようなものを言うのではないか。
 正体は知らない方がいい。蛙でもカッパでも単なる置物でもいいのだ。これを見ている自分が、案外何者何か判らない張本人なのである。
 今にも動き出しそうでいて、じっとしている。想像か妄想か、この置物を前にして、ウーンと考え込んでしまった。
 この置物君は当然、何にも答えてくれない。「ケロ」と名付けようか?
今は多数と言う常識が幅を利かし、自分の目で物をしっかり見ないと何が何だか判らなくなってしまう時代である。さあケロの正体は?
 
 
 
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明石海峡大橋を臨む

2005-09-04 22:26:57 | 日々の写真
神戸市垂水区の出田さん宅にお伺いする。丘の上のマンションの10階で、目の前に明石海峡大橋が見える。以前は海岸の砂浜も臨めたそうだ。
 部屋は書斎風で、建築や美術などの専門書が本箱にいっぱいある。ベランダに出て冷凍酒をごちそうになった。出田さんは世界を回り、「屋根付き橋」の本を何冊も出版されている。漫画好きで「聖」の連載をみて私がでているのでびっくりされたそうである。そのふたつの縁でお付き合いさせていただいている。
 眺望360度で神戸の町や明石海峡、遠くは紀淡海峡も見えるそうだ。毎日雨降り以外はベランダに出て食事されるそうで、贅沢な風景だ。脚本の和田勉さん似た風貌で、占いのMさん(今は引退されたが清荒神の怖い?占い師)みたいに鋭くやさしい大きな目で話をされる。ここ数日、仙人みたいな人とばかりお会いしている。世の中面白いものだ。
 外で昼食もごちそうになり、ほろ酔い気分でマンションに戻ってきて昼寝をしてしまった。(厚かましくてすみませんでした)
 最近は自分の心に何かが起きて、自分を見つめ直さないといけない状況に感じていたので、いい気分転換をさせてもらった。
 今は難しい時代である。自分の価値観など木っ端微塵に吹き飛ばされてもおかしくない。かといって、時代に合わせられないもどかしさもある。
 出田さんのお話を伺いながら、眼下に広がるパノラマの風景をぼんやり眺めた。
 「カラスがよく来るんですよ。食事の残りを待っているので、少し置いといてやります]
 アゲハ蝶がベランダに来て、何故か私の頭を通っていった。相変わらず、生き物に甘く見られるのだった・・・
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街の掲示板

2005-09-03 20:23:51 | 日々の写真
午後昼寝したせいか、体調が戻り久しぶりに散歩にでかける。清荒神から隣の旭町まで、カメラを片手にのんびり歩く。夕方なのに思っているより人通りは少ない。まだところどころに田んぼや畑があるが、マンションが増え、随分密集したような気がする。いつも車で通っているので気づかないこともあり、やはり歩く方が街をつぶさに見られるようだ。
 宝塚の掲示板のポスターだ。選挙と園児募集に挟まれて「第10回記念森信雄六段杯争奪将棋大会」が貼られてある。イベントは人の集まり具合の心配ばかりする。定員の7割ぐらい確定するとほっとするのだ。ポスターやちらしは作成する側ほど、見る側はさらっとしか目を通さないものなのだ。今回はちらし作成に自分の案を入れさせてもらったが、あまり変わり映えしなかったみたいだ。将棋大会の文字しか見ないかもしれないな・・・
 今日行った小学校の教室にも「歩み」と書かれた生徒の習字が壁に貼られていて、みんなのを揃えると、小さな個性の差が面白かった。
 デザインは難しい。ポスタを見てウーンと唸らされた。
 
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カトマンズの子ども

2005-09-02 23:01:29 | 旅の写真 外国篇
 カトマンズはネパールの首都だ。カトマンズに深夜に着いて、ホテルの客引きに車で連れて行ってもらう。旅慣れてきたが旅の初日はいつも不安を抱えての行動で、慎重になる。街は人であふれていて、まずは目印を見つけて、ホテルのそばをとにかく歩く。体で街の雰囲気を掴みたいからだ。数日経つとなじんできて、車で街を案内してもらった。古い建物と市場、寺院が多い。食堂は初め日本人が行きそうなところを選ぶ。
 なるほどバックパッカーが長期で住みつく気持ちもわかる。街の風景になじむと居心地がいいのだ。衣食住が安上がりなのも大きい。しばらくするとホテルの手伝いの少年と仲良くなった。少年は夜は玄関で毛布一枚で泊まる。朝まで仕事して学校に行くのだ。片言の英語だが、トランプで遊ぶ。けっこうませていて、日本から持っていた週刊誌を欲しがった。
 昼間はたいてい街に出て歩き回る。路地に入ると必ず小さな寺院があって、子どが遊んでいるのをよく見かけた。肌黒い顔に目がぱっちりで、昭和の初期の子どもたちと似た表情だ。同じ様な環境なのかもしれない。
 この写真も、寺院の中で子どもが幼い妹の子守をしていて、セーターがいかにもお下がりみたいでぶよぶよだが、すでにたくましい面構え(?)だ。
 絵になる子どもたちの風景は、日本ではすでに過去のものなのかもしれない。
 暮らしはきつそうだが街に子どもを多く見かけ、大人と同じ様に働く姿が印象的だった。
 
 
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ネパール ポカラ

2005-09-02 00:47:30 | 旅の写真 外国篇
ネパールのポカラに滞在したとき、雨か曇りの日が多くて、なかなかアンナプルナは拝めなかった。数日経った早朝、隣の日本人の青年が「森さん!森さん!見えましたよ」と大きな声で叫びながらドアを叩いてくれた。
 寝ぼけ眼でカメラを抱えて、ホテルから湖に急ぐ。そこには崇高なアンナプルナが荘厳な姿を現していた。山の天候はすぐ変わるが、その日は昼過ぎになっても快晴で、待った甲斐があった。レンタサイクルで気分よく走る。この写真はその途中の風景だ。その夜は青年ふたりとステーキで乾杯する。水牛のステーキなので味はもうひとつだが、ネパールに来てよかったと思った。
 数年前にネパールで民主化をめぐる流血のニュースが流れて心配だった。こんなに自然に恵まれて、平和そのものの国だと思っていたのに、政情不安が続いていたようだ。気楽な旅行者には理解できないお国事情があったとしても、平和でいてほしい。
 小柄でお人よしの運転手、ホテルのロビーで寝泊りしていた愛想のいい若者、みんな元気でいるだろうか。ネパールにはまた必ず旅してみたい。
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