神戸に行った1月3日の写真だ。1月2日はミス。
こういったモニュメントは題名をみないで触れるときと、題名をみて触れるのでは微妙に違ってくるみたいだ。左右されるというよりも、テーマが象徴されすぎて意識が固まるからだろうか。
無題というのも多い。無題なら何も書かないのがいいのだろうが、これも微妙に違う。
写真もそうだが、人間の目や意識は始めからの思い込みが大きい。違った角度でとらえる柔軟さが大切な気がする。
こういったモニュメントは題名をみないで触れるときと、題名をみて触れるのでは微妙に違ってくるみたいだ。左右されるというよりも、テーマが象徴されすぎて意識が固まるからだろうか。
無題というのも多い。無題なら何も書かないのがいいのだろうが、これも微妙に違う。
写真もそうだが、人間の目や意識は始めからの思い込みが大きい。違った角度でとらえる柔軟さが大切な気がする。
プロの方でも「差」が出るんでしょうね。
「差」に関連してですが、対局中に自分の局面と相手の局面を見比べたとき、相手の局面のほうが優勢に見えることが多いです。
これは、素人の「隣の芝生効果」ですね。
その差が少ないのがいいのでしょうね。
曰く、「相手が分からないネット将棋のときと、相手が、たとえば、羽○さんと分かっているときでは、同じ局面でも、指し手が違ってくる…」。
心理的な影響が大きいんでしょうね。