11月5日(土)の「聖の青春」宝塚公演に向けてのプレイベント第2弾”村山伸一さんと話す”がソリオ会議室で催された。劇団コーロの森信雄役の石井満さんも同席され、村山君と同世代の宝塚文化振興財団のKさんの司会で、10時過ぎに開会。
始めに村山君の生い立ちから奨励会入会まで、次に奨励会からプロ棋士になるまで、そしてガンの手術と再発して亡くなるまでを淡々とお話しされた。
その合間にお父さんが持参された、小学2年から4年生まで原療養所にいたときの村山君の日記帳を参加者に回し読みさせてもらう。
この写真がそれだが、しっかりとした骨太な字で、文章もうまいと先生に誉められたそうだ。「ほとんど将棋のことしか書いとりゃせんですけどなあ」
”四月十四日、はれ、金、二二度、今日、ひさしぶりに、しょうぎのべんきょうを、七,八時間やりました。それでインノウ君からかりた本を、ぜんぶやりました。”と書いてある。
毎日将棋の本を読み、7時間くらい勉強したという日がほとんどで驚いた。
将棋も指していて、克明に成績をつけてある。私にとって以前から謎だった、子どもの頃に村山君が強くなった要素がわかるような気がした。
そして、この日記は何にもまして代えがたい村山君の残した貴重な宝物に思える。もっともっと見たかったが、見てはいけない玉手箱のような気もした。
石井さんのお話を終えて、質問コーナーに移る。始めはシーンとしていたが、口火を切ると、けっこう急所の質問が飛び交った。さすがにお母さんパワーだなあと感心させられる。質問の柱は子どもに対する親の心情のようだった。
お父さんは、ときどきひやっとするほど、本音で正直に受け答えされた。いつもの独特なやさしい広島弁が今日も健在だった。
あっという間に2時間過ぎる。
村山君のことで、私自身も心のどこかに葛藤が残されていることを、ひしひしと感じさせられた一日だった。と同時に、村山君のことで繋がる縁の深さに、得がたいものを与えられている実感もした。
村山聖の残したものは、哀しくも暖かく、激しくも静かに、人の心に深く刻まれていくように願っている。
注 日記の写真はどうしても紹介したかったので掲載させていただきました。
始めに村山君の生い立ちから奨励会入会まで、次に奨励会からプロ棋士になるまで、そしてガンの手術と再発して亡くなるまでを淡々とお話しされた。
その合間にお父さんが持参された、小学2年から4年生まで原療養所にいたときの村山君の日記帳を参加者に回し読みさせてもらう。
この写真がそれだが、しっかりとした骨太な字で、文章もうまいと先生に誉められたそうだ。「ほとんど将棋のことしか書いとりゃせんですけどなあ」
”四月十四日、はれ、金、二二度、今日、ひさしぶりに、しょうぎのべんきょうを、七,八時間やりました。それでインノウ君からかりた本を、ぜんぶやりました。”と書いてある。
毎日将棋の本を読み、7時間くらい勉強したという日がほとんどで驚いた。
将棋も指していて、克明に成績をつけてある。私にとって以前から謎だった、子どもの頃に村山君が強くなった要素がわかるような気がした。
そして、この日記は何にもまして代えがたい村山君の残した貴重な宝物に思える。もっともっと見たかったが、見てはいけない玉手箱のような気もした。
石井さんのお話を終えて、質問コーナーに移る。始めはシーンとしていたが、口火を切ると、けっこう急所の質問が飛び交った。さすがにお母さんパワーだなあと感心させられる。質問の柱は子どもに対する親の心情のようだった。
お父さんは、ときどきひやっとするほど、本音で正直に受け答えされた。いつもの独特なやさしい広島弁が今日も健在だった。
あっという間に2時間過ぎる。
村山君のことで、私自身も心のどこかに葛藤が残されていることを、ひしひしと感じさせられた一日だった。と同時に、村山君のことで繋がる縁の深さに、得がたいものを与えられている実感もした。
村山聖の残したものは、哀しくも暖かく、激しくも静かに、人の心に深く刻まれていくように願っている。
注 日記の写真はどうしても紹介したかったので掲載させていただきました。