昆陽池は冬になると、渡り鳥がいっぱい飛来してくる。戻って来るというべきか。池で羽を休めて、長い旅の疲れをいやす。毎年繰り返すこの行動は、生きるためが故の本能である。生き物に土着型と放浪型があるとするなら、私はどうみても放浪型だろうか。
いやなニュースの多い昨今である。「森さん、人間はね。ふたつの種類にわかれる。損得で物を考えるか、考えないか。二つしかないね。」写真家の西川孟先生の言葉は、時を経ると骨身に沁みてくる。どちらかを選択するしかないのだ。
いやなニュースの多い昨今である。「森さん、人間はね。ふたつの種類にわかれる。損得で物を考えるか、考えないか。二つしかないね。」写真家の西川孟先生の言葉は、時を経ると骨身に沁みてくる。どちらかを選択するしかないのだ。
寅さんの言葉に「春になっていつも帰ってくるあのつばくらめさえ何かを境にパタッと帰ってこなくなることもあるんだよ」というのがあって何故かよく覚えています。
ものごとを損得で考えるか考えないか、本当に人間はどちらかですね。僕は考えないのではなく初めから損得の計算が出来ない人間のようです。森先生もあまり損得勘定が得意ではないようにお見受け致します。でもそこが先生の素晴らしいところだと思います。
損得で動く世の中は、自分だけ勝ちたい、そんなエゴを見てしまいます。潔癖になる必要は無いのですが、身勝手そのものの稚拙な大人が増えたように思います。