森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

哲学の道

2007-05-22 23:31:10 | 日々の写真
 京都、哲学の道を久し振りに歩いたが、けっこう距離があった。昔はもっと短い距離だったように思った。店も少なかったし、私は冬によく来たので、人はほとんど通っていなかった。寒々とした中を、少し暗い気持ちで、とぼとぼと歩いたのだった。明日という日は決して明るくなかった。
 運命というのは、過ぎてみればそうだったのかと納得するしかないが、苦しい真っただ中にあると、藁をもすがる日々である。今は雑いような枯淡に近い境地で、何がどうであれ、迷いはあっても今更悩むものはない。自分を貫くしかないのである。
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6 コメント

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そうですね (大分のおじさん)
2007-05-23 00:32:00
> 運命というのは、過ぎてみればそうだったのかと納得するしかないが、苦しい真っただ中にあると、藁をもすがる日々である

そのとおりだと思います。私も運命にもてあそばれたような気がしたこともありますが、過ぎてみればそうだったのかと納得するしかありません。

迷ってばかりの人生でしたが今となっては境遇を受け入れ自分らしく生きていければいいと思っています。
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デート (内藤)
2007-05-23 09:49:52
私も家内とここの道をデートで歩いたことが何回かあります。そのとき、短かった記憶があります。ほかに気を遣っていたからかもしれませんが。
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大分のおじさん様 (モリノブ)
2007-05-23 09:58:03
 喉元過ぎればの言葉もありますが、忘れることも多いですね。将棋もそうですが、自分で結果を受け入れたくない、そう思っているときほど、心は激しく動揺して怒り悲しみの感情が大きいような気がします。泣きながら運命を受け入れる作業を体験しないと、傲慢で身勝手な人間になるのかもしれません。
 今の世の中は、そんな身勝手勝ち組タイプが目立ちます。
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内藤様 (モリノブ)
2007-05-23 10:01:48
 ふと気がついたのですが、哲学の道は長くも短くも感じるものかもしれませんね。何だか歳月のようです。
 私の場合は常にひとりだったので、昔は元気だったので、短く感じたのでしょうか。デートしている若者もいましたが、いいコースですね。
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学生時代 (95)
2007-05-23 17:59:00
 学生の時、このすぐ近くに3年間下宿していました。それこそ暗い学生時代でデートとも無縁、観光とも無縁でした。3年も近くにいて、1度通ったことがあるかどうか。
 その頃、京都で森安ー真部の新人王戦決勝対局がありました。大盤解説が内藤九段でした。勝負がついた後、挨拶に出てこられた真部さんの目が真っ赤になっていたのを鮮明に記憶しています。森先生が新人王になられたのは、もっと後ですね。
 京都なら、北の方にある高麗美術館もお奨めです。小さな美術館ですが、雰囲気が良くて何時間いても飽きません。
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95様 (モリノブ)
2007-05-24 10:06:02
 哲学の道、近いと意外に行かないものですね。デート、観光とも無縁、私もそうですね。京都は写真を取り出してから行く機会が増えました。
 新人王戦森安vs真部戦はなつかしいですね。昔は大阪でも、外で大盤解説会をやっていました。手伝いにいったことがあります。
 京都は知られざるいい美術館が多いですね。行く楽しみが増えます。
 
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