ずっと以前に将棋世界に連載していた「風景」であちこち旅をした。旅をしたときに「風景」に使う写真を撮った‥それが正しいが?この写真の白猫は今でもよく覚えている。萩の城跡にいた猫だ。少し病気かなと思ったが、私にすり寄ってきて一緒に遊ぶのはいいが、「連れて帰れないよ」となだめすかした‥もっとも猫はダメとわかるとあっさりしている面がある。
当時はひとり旅で、行先も決めていなかった。宿泊の予約もしたことはない。写真を撮るのが面白くてしょうがない時期で、ニコンF3の標準レンズと28ミリのみで三脚も持たなかった。
今もその延長だったら、おそらく国内も含めたアジアの各地をのんびり回っていたような気がする‥昔インドを旅していて、疲れ果てて道端に座り込んだとき、どうしようもないさみしさに襲われた・・話す相手もいない、ふところもさみしい、言葉も通じない、日本に戻る気もしない‥これが孤独感なのかなあ・‥泣きそうになったとき、すぐそばを通った人が話しかけてきた「○×△?」私は英語も話せない‥もう一度聞くと「バクシーシ」と言ってるような気がした。「私もないよ」ゼスチャを交えて話す。すると相手はいやそうな表情ながらも「わかったよ」とニッコリ(仲間意識か?)少し通じたようだ。
自分なりの孤独感の極致に行くと、むしろ、これが当たり前なのだ‥そう思えてきた。道行く人が急に仲間に見えてきた‥
当時はひとり旅で、行先も決めていなかった。宿泊の予約もしたことはない。写真を撮るのが面白くてしょうがない時期で、ニコンF3の標準レンズと28ミリのみで三脚も持たなかった。
今もその延長だったら、おそらく国内も含めたアジアの各地をのんびり回っていたような気がする‥昔インドを旅していて、疲れ果てて道端に座り込んだとき、どうしようもないさみしさに襲われた・・話す相手もいない、ふところもさみしい、言葉も通じない、日本に戻る気もしない‥これが孤独感なのかなあ・‥泣きそうになったとき、すぐそばを通った人が話しかけてきた「○×△?」私は英語も話せない‥もう一度聞くと「バクシーシ」と言ってるような気がした。「私もないよ」ゼスチャを交えて話す。すると相手はいやそうな表情ながらも「わかったよ」とニッコリ(仲間意識か?)少し通じたようだ。
自分なりの孤独感の極致に行くと、むしろ、これが当たり前なのだ‥そう思えてきた。道行く人が急に仲間に見えてきた‥