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森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

奥津湖、古民家赤壁邸にて

2008-08-31 21:22:46 | 旅の写真 国内篇
 今日はドライブで岡山県の津山から院庄ICで降りて奥津温泉に向かう。途中で奥津湖を回っていると、古民家「赤壁邸」があり昼食を兼ねて立ち寄った。
 邸内に鴨がいた。まだ幼くて羽毛が揃っていない。数日前に生まれた雛もいた。ふと気がつくと源さんの影響だろうか、鳥類に目が向いているのだった。
 このおじさんが育てているのだろうか、親切に教えてくれた後は昼寝をしていたようだった。
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牛窓に行く

2008-07-01 23:49:57 | 旅の写真 国内篇
 今日はオフだったので、久し振りの遠出をする。高速の途中で途中で岡山県瀬戸内市牛窓に行くことにした。気まぐれの小さな旅だったが、今日からまたガソリン代が上っているのを知らなかった。
 牛窓は初めてだった。江戸時代に栄えた古い港町として知られる。期待にたがわぬいいところだった。帰宅して地図を見て、牛窓の半分しか歩いていないことを知る。次回に訪れるのが楽しみだ。
 
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伊豆にて

2006-12-02 23:33:46 | 旅の写真 国内篇
 伊豆に行ったときの昔の写真で、紅葉と日差し。私は旅をしていても、もの悲しい情景が好きだった。将棋世界の「風景」に連載しているとき「暗い写真はやめようよ」と言われたことがあり、エッと思ったことがある。自分では暗いと思ったことはない。美しい風景は静かに黙しているものなのだ。人も疲れて饒舌になるときは、よくない。写真も同じで、饒舌な写真は苦手である。
 何も語らない写真がいいのだ・・
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美山町の秋

2006-09-29 02:02:25 | 旅の写真 国内篇
 京都府美山町の秋の風景で、コスモスが咲いている。これは数年前の写真だが、そろそろ似たような風景が広がる季節になってきた。
 何も考えないで、自然の中を旅するのが最高の贅沢かもしれない。
 
 
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津山に行く

2006-08-25 23:33:06 | 旅の写真 国内篇
 遅い夏休みで、岡山県の津山に行った。以前から一度来てみたかったが、城下町特有の古い町並みが保存されてあった。
 まだ残暑が厳しくて、汗をかきかき城跡や坂の多い町を散策した。この写真の風景は上之町を上ったあたりである。
 フーテンの寅さん最後の作のロケ地だそうで、今度映画を見てみようと思う。
 寅さんも国内の古い街並みを渡り歩いているのだ。失いかけている昔の風景が残っているとほっとする。
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篠山市丹南町古市にて

2006-08-02 22:24:00 | 旅の写真 国内篇
 写真日記に掲載したが、今日は篠山市丹南町古市にドライブで行った。福知山線の駅を訪ねての小さな旅だが、いい骨休みになった。
 この花は何の花だろう?彼岸花のようなのだが・・夏だしなあ。

 8月の開いている日を指折り数えて、どこに行こうかなと考えるのが至福の時間である。旅はどこでも気持ち次第で楽しいものかもしれない。
 私は昔の風景がかすかでも残っている場所が好きだ。それは人のぬくもりが感じられるからなのかもしれない。

 
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屋久島の猿

2006-06-11 19:26:40 | 旅の写真 国内篇
 屋久杉ランドといっても遊園地でなく、自然の中の公園だ。そこにバスで行く途中の道に猿が遊んでいた。屋久島の猿である。
 意地悪でもなく、人を警戒するでもなく、自然な感じだった。動物と人間は共存共栄の関係がいいなあと思う。人が中心なだけの世界は窮屈だ。
 この猿は親子かな?
 
 
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屋久島の子どもたち

2006-06-10 21:45:15 | 旅の写真 国内篇
 12年前、新婚旅行で屋久島に行ったときの写真で、屋久島の子どもたちである。子犬と遊んでいるところを整列してもらって撮った。
 素朴な表情で、かしこまって緊張している様子がうかがえる。昭和の子どもたちと言っても通りそうないい雰囲気を醸し出している。
 屋久島はけっこう寒かった印象だ。屋久杉ランドには雪が積もっていた。
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足利

2005-12-29 01:36:00 | 旅の写真 国内篇
栃木県足利市に行ったときの写真で、あてもなく、日が暮れて夕景がきれいでじっと見とれていた。向こう岸には大きな道路と橋が架かっていたように思う。
 今日はどこに泊まろうか、もし宿がなければ夜行列車に乗ろう、そんなことを考えていた。雲間から差す光線が川に放射している。天地異変、いや天地誕生のような雰囲気があった。
 なぜ足利に行ったのか、記憶は定かでない。国内でも見知らぬ人ばかりだと外国と変わらぬ異邦人のようなものだ。この後どうしたのかさっぱり記憶なし。
 ヨコ形からタテ形、狩猟民族から定住民族に変わった?今、もうひとり旅はしないかもしれない。過去を振り返るにはもう少し年齢が早いが、国内、国外の旅はいつか嵌まりそうな気もする。
 もともと何にも無い状態には慣れているので、得たものや失ったものへの執着は薄いかもしれない。
 そう思い続けて、日々過ごしていくのだろう・・・
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大阪城

2005-12-28 00:01:04 | 旅の写真 国内篇
ちょっとわざとらしいかもしれない。大阪城を背景の菊の写真である。作為的ではないが、ちょうどいい角度で天守閣が見えたのだ。
 「カレンダーみたいですね」と言われて、やはりまずかったかと反省する。
 見た目のきれいな写真は撮ってはいけないのだ。
 大阪城はとっても縁が深くて、田舎から出てくると大阪と言えば大阪城みたいなものだった。写真を始めたときも早朝に通ったし、修学旅行や初めてのひとり旅でも、そして親戚や友人が来たときも大阪城を案内した。

 今はどうだろう。関西経済は地盤沈下を言われて久しい。さえないニュースが多くて、吉本や阪神だけではさみしい。とにかく関西は文化への理解が少ないという声をよく聞くが、いにしえの浪速はよき文化があったはずなのに・・・
 笑いとおふざけは違うし、庶民的と下品も違うと思う。「もうかりまっか」は金儲けだけのセリフではなくって、東京への対抗心などもどうでもよくって、もっと上品でシャイで、人情が篤かったと思うのだ。
 私は四国の田舎っぺだから偉そうなことは言えないが、今の風潮は何か勘違いしていないかなと考えてしまう。
ともかく先が読めない時代で、常に何らかの覚悟を持って日々を過ごさないといけないのは、しんどいなあ。
 大阪城の菊が何でこの結末になるのだろう?
 
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北海道

2005-12-26 21:31:00 | 旅の写真 国内篇
北海道の稚内に行ったときの写真。利尻島の夕景にかもめが舞っている。ちょうど日が沈むのと、バスが着くのが同じくらいの時間で、大きな夕日が沈む寸前だった。走り出して港に行き、かろうじて間に合った。
 カメラを持つ旅の前にも、私は東北、信州、北陸、九州と時間が取れれば旅をしていた。今思うと写真を撮ってないのがもったいなかったが、棋士になってからも地方に行くと、仕事を終えてから数日はぶらぶらしていた。お客さんと知り合いになって、何日間か泊めてもらったこともある。
 列車やバスに乗ったり、知らないところを訪ね歩くのが好きだったのだ。今はすべてが便利になって、かえって旅の楽しみが減ってしまったように思う。
 時間がかかる、便利でない、宿泊先も未定、当時の私の旅の心得だったが、今の時代では受けない発想だろうなあ。
 便利になって得たものは何なのだろう。損得の基準を見直したほうがいいような気もする。得をしたと思った裏は、案外大きな損を積み重ねているのが今の時代のひとつの真相かもしれない。
 
 
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大阪のネコ

2005-12-25 23:54:56 | 旅の写真 国内篇
私は音楽だと短調のメロディーにしか反応しないらしい。ずっと知らなかったがあるとき妻に言われてヘエーと思った。長調のメロディーには全く無関心だ。
 写真でもお気に入りを選んでいると、暗いめのモードになってしまう。子どもの頃から、みんな仲良しで、元気に明るくというのが苦手なのである。
 だからのけ者にしてやるぞと言われても、むしろしめたと思ったりする変な子どもだったようだ。(今も変な大人なのだろうなあ)
 なぜか集団とは反対の方向に歩き出すクセがあって、今も同じみたいだ。「協調性を持たないと、社会に出たときやっていけないぞ」このセリフを学校の先生に何度言われただろう。だから将棋を覚えて、早めに大人の世界に入ったのは良かったと思う。
 この写真は昔のもので、このネコは大阪の中之島界隈にいて、夕暮れどきのせいもあるが、とってもさみしそうな雰囲気があった。
 そう思うのは、自分の心情の裏返しだったのかもしれない。さみしさや悲しさは人の心を汲み取る泉のようなもので、日差しを浴びると太陽のぬくもりに力が涌いてくるような気がするのだ。
 ひなたぼっこするネコが好きなのは、そのせいだろうか。
 
 
 
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丸岡城

2005-12-25 00:01:37 | 旅の写真 国内篇
 久しぶりに自分の写真をスキャンする。整理ケースにたまった写真の中から選んでいると懐かしいものばかりだが、年月日や場所すら不明のもあって曖昧な記憶をたどるしかない。デジカメの画像に飽きてくると、たまにリバーサルフィルムのアナログの世界に戻りたくなる。それはまるで虚と実の世界にも思えるが、最近はその中にあって、自分の心情も揺れてぐらついているような気がした。
 昨年の正月は福井方面に行った。そこで雪も降っていなかったので、レンタカーを借りて「丸岡城」を訪ねる。丸岡城は私の好きなお城で、日本最古の天守閣が現存している。石垣も「野づら積み」という方式で、隙間が多く、実戦に強そうだ。
 「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
 本多作左衛門重次が戦場から妻に当てた、有名な日本一短い手紙。お仙とは後の丸岡城主6代目の本多成重の幼名である。このゆかりから丸岡町では「一筆啓上賞」のコンクールが催されている。
 城内は急な階段を綱をたどって上っていくのだが、いかにも戦国の城の趣が色濃くて、気品すら漂っている。
 いつの時代にも権力の象徴は存在するが、お城は戦国の世の象徴のようにも思える。良くも悪くも、美しくそびえている。
 
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伊豆の夕日

2005-11-22 22:01:43 | 旅の写真 国内篇
伊豆に行ったときの夕日だ。伊豆の民宿で働いていた友人のUさんと、ドライブに出かけ、あまりに見事な夕景に車を止めてもらった。
 日の出と日の入りの太陽は厳粛な気分になるが、朝日が希望の光なら、夕日は移ろいゆく日々の悲しみの色だろうか。
 饒舌な人の言葉には、空(くう)の世界がない。身勝手な人の言葉には虚が見え隠れする。空虚というものは、現実の世界で金銭や名声を得る裏返しのものなのだろうか。
 自分はどうだろう。未練に手を伸ばし足を付け、諦観に水を浴びせられているような世界を行ったり来たりしている気がする。
 Uさんは数年後にインドネシアのバリの人と結婚して子どももふたりいて、今は日本とバリの半々の生活をこなしている。
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白ネコ

2005-11-21 00:15:44 | 旅の写真 国内篇
 横浜の外人墓地のある港の見える公園での写真だ。物思いにふける男と白ネコ。
実はこのシルエットの男は棋士である。昔東京に遠征したときに、対局の翌日、「森先生、連れていって下さい」と横浜まで付いて来たのだ。うっとうしかったのだが、「しょうがないなあ、まあいいか」で男二人の横浜デートだった。
 この棋士は誰でしょう?まず当たらないだろうなあ。答えは書かないことにします。
 私の撮るネコの写真は何故みんな目付きが鋭いのだろう?白ネコは自分の心を映す仮の姿なのだろうか。警戒心が強い割りに、人のそばに行きたがる・・
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