朝日新聞(5月23日)の天声人語に次のような文章があった。

誰からも不満の出ないような人事はない。幹部の布陣は組織の存亡にかかわるから、
時には非情にならざるをえない。優れた人物をどう選択するか。
荻生徂徠(おぎゅうそらい)の「政談」に、
「総じて人のよしあしは,上よりは見えかぬるもの也」
つまり、人は上にはいい顔しかしないからその人物を知りたければ下の評判を聞け、ということだ。

なるほど、この「下の評判を聞け」が大事だが、人は上にあがるとどうもこれが出来なくなるようだ。知りたくないのか、はたまた自分に不利になる、と思うからだろうか・・・。概してご高齢者の多くは下の言うことを聞きたがらない、みたいだ。

昨日、十四世喜多六平太記念財団の理事に就任した。今まで財団のためにご尽力いただいた方々には深く感謝している。ご高齢の方々の豊富な経験と知恵は貴重だと思う。
が、しかし、いつまでもそこを頼るのは、いささか甘えん坊と言われても仕方が無いかもしれない。そろそろ次世代の者が大汗をかかなくてはいけない時期が来ていると思っていたが、その交代の時機が到来した。今回八十路以上の方々にはご勇退いただき、下は40代を一人、メインを50代~60代、そして上は70代前半という布陣で固めた。これでなにか新しいことが出来そうな感覚が持てた。私も微力ながらも財団に関わっていこうと決意も新たにしたところだ。

人事、布陣が代わる時、そこには交代劇が生まれる。今回も決してスムーズにいった訳ではないが、実は交代劇は、周りがよく見えている人であれば、うまくいくものである。そこで父の話を持ち出そう。


亡父菊生はその辺の交代劇の演じ方が実に上手だった。
この上手にやる方法、父はどうしたかを私は知っている。それは私が絡んでいるからだ。
父は「下の意見に従う。息子や甥の言うとおりにしていりゃいいんだ。それが結局、損しないんだ」と口癖のように話していた。そこで、従兄弟の能夫と私で父の晩節を汚さぬようにと配慮した。

二人で父の老女物『卒都婆小町』『伯母捨』の舞台を企画し全力でサポートした。
父は我々の言うとおりにしてくれた。自分の能に集中し、全身全霊で菊生の能を創り上げてくれた。そして評判はよかったのである。そりゃ父の人徳や力によるものかもしれないが、私たちも必死に考えたのだ。
「お前たちのおかげだよ」と、いつも父が言ってくれると遣り甲斐が湧いてきて、もう他人様からなにを言われようと平気になった。結局父に操られたのかもしれないが、おかげで父の晩節も豊かなものになり、我々も成長できたのだと思っている。
高齢になったら、若い者を信頼し、どこかで若い者に委ね、どっしりと構えているのがいいのではないだろうか。そうすると、若い者も奮起し成長する。

とにかく、父のような懐のデカイ人と付き合いたい。そこに努力は惜しまない。
そして究極は、私もそんな懐の広い人間になりたいのだ・・・。
最近、父の舞台だけではなく、生き方を思い出しては参考にしているが、なかなか真似出来ない。少々、忸怩たる思いだが、それは仕方が無い、もう少し時間をかけようと思う。

文責 粟谷明生


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 長唄の杵家御... いろいろな扇... »