今日5月4日は何の日ということで、特に記念すべきイベントはなかったのですが、お恥ずかしいながらも今日5月4日は私の誕生日ということで54才になりましたが、語呂合わせではありませんが私の好きな103系で南武線に在籍していたクモハ103-54について述べていきたいと思います。
このクモハ103-54ですが、中央線の豊田電車区から南武線の中原電車区へ転入したのは3編成目の車両ということで、一連の103系転入の中でも早く、オレンジ色のまま南武線にやって来たものですから鮮烈な印象でした。(2編成目もオレンジ色でしたが)
しかも川崎方のMc54と立川方のT'c582の先頭車の前照灯は1灯のままであり、この編成は私にとってお気に入りで、昭和57年8月下旬から翌年の10月過ぎまで、編成を崩さず営業についていました。
編成はMc54 M'153 T168 M149 M'280 T'c582
昭和59年3月に中原としては余り気味であったT車を松戸へ転出する代わりに松戸からエメグリのMM'1ユニットが転入するのですが、これが非冷房のユニット窓のM319 M'475が転入し、その年の年末に冷房改造工事と検査を受けるまで、主に台検がある時に車両の差し替えを実施し、1週間程このユニットが通常の編成の中に入り、カナリア+オレンジ+エメグリの3色混色またはカナリア+エメグリの2色混色編成として営業していました。冷房使用時期においてはMGは冷房用ではありませんので、立川方のT'cは冷房は使用できず、車掌が「立川方の車両は冷房車ですが、冷房は使用できませんのでご了承ください」とアナウンスされていました。
また、この混色劇場の詳細については説明しだすと止まらなくなりますのでここでやめておきますが、Mc54が絡んだ3色混色編成は、昭和59年4月2日の1637デから使用開始され、4月9日の43運用で終わり、約1週間営業されていましたが、ほとんど撮影している人はおらず、この私だけが撮影しているだけで、中原の検修の方に常に数日の運用について教えてもらいもらったダイヤグラムを持ちながら撮影しておりました。
編成はMc54 M'153 T759 M319 M'475 T'c582
そして昭和59年5月に検査入場し、6月前にカナリアになって戻ってくるのですが、この当時当然のように実施されていた前照灯はシールドビームになり、側引戸も201系タイプのガラス支持が金属押さえ金方式になってしまいました。
最終的には平成2年8月でT771やT'c582とともに大宮工で廃車になり、特別保全工事でも受けていたらもう少し長生きしていたのかもしれませんが短命に終わってしまいました。
エピソードとしては昭和62年5月28日の川崎〜登戸間に運転されたノンストップの「アゼリア号」に抜擢されました。
編成はMc54 M'153 T771 M142 M'267 T'c582
最後に私の人生は南武線に翻弄されたと言っても過言ではありませんが、このあとの残りの人生も南武線に翻弄され続けるのかもしれません。2027年には南武線開業100周年となりますが、私もあと7年は生き続け、南武線開業100周年は祝いたいところですし、さらにその先の尻手(矢向?)〜武蔵小杉間の連続立体化の完成は2040年頃になるかもしれませんが、私が小学生の頃から夢見ていた南武線の連続立体化は実現されますので、その日までは絶対生き続けなければならないものと思っています。もちろん息子はまだ6才ですから彼が結婚し、孫の顔は見たいところですがね。
このクモハ103-54ですが、中央線の豊田電車区から南武線の中原電車区へ転入したのは3編成目の車両ということで、一連の103系転入の中でも早く、オレンジ色のまま南武線にやって来たものですから鮮烈な印象でした。(2編成目もオレンジ色でしたが)
しかも川崎方のMc54と立川方のT'c582の先頭車の前照灯は1灯のままであり、この編成は私にとってお気に入りで、昭和57年8月下旬から翌年の10月過ぎまで、編成を崩さず営業についていました。
編成はMc54 M'153 T168 M149 M'280 T'c582
昭和59年3月に中原としては余り気味であったT車を松戸へ転出する代わりに松戸からエメグリのMM'1ユニットが転入するのですが、これが非冷房のユニット窓のM319 M'475が転入し、その年の年末に冷房改造工事と検査を受けるまで、主に台検がある時に車両の差し替えを実施し、1週間程このユニットが通常の編成の中に入り、カナリア+オレンジ+エメグリの3色混色またはカナリア+エメグリの2色混色編成として営業していました。冷房使用時期においてはMGは冷房用ではありませんので、立川方のT'cは冷房は使用できず、車掌が「立川方の車両は冷房車ですが、冷房は使用できませんのでご了承ください」とアナウンスされていました。
また、この混色劇場の詳細については説明しだすと止まらなくなりますのでここでやめておきますが、Mc54が絡んだ3色混色編成は、昭和59年4月2日の1637デから使用開始され、4月9日の43運用で終わり、約1週間営業されていましたが、ほとんど撮影している人はおらず、この私だけが撮影しているだけで、中原の検修の方に常に数日の運用について教えてもらいもらったダイヤグラムを持ちながら撮影しておりました。
編成はMc54 M'153 T759 M319 M'475 T'c582
そして昭和59年5月に検査入場し、6月前にカナリアになって戻ってくるのですが、この当時当然のように実施されていた前照灯はシールドビームになり、側引戸も201系タイプのガラス支持が金属押さえ金方式になってしまいました。
最終的には平成2年8月でT771やT'c582とともに大宮工で廃車になり、特別保全工事でも受けていたらもう少し長生きしていたのかもしれませんが短命に終わってしまいました。
エピソードとしては昭和62年5月28日の川崎〜登戸間に運転されたノンストップの「アゼリア号」に抜擢されました。
編成はMc54 M'153 T771 M142 M'267 T'c582
最後に私の人生は南武線に翻弄されたと言っても過言ではありませんが、このあとの残りの人生も南武線に翻弄され続けるのかもしれません。2027年には南武線開業100周年となりますが、私もあと7年は生き続け、南武線開業100周年は祝いたいところですし、さらにその先の尻手(矢向?)〜武蔵小杉間の連続立体化の完成は2040年頃になるかもしれませんが、私が小学生の頃から夢見ていた南武線の連続立体化は実現されますので、その日までは絶対生き続けなければならないものと思っています。もちろん息子はまだ6才ですから彼が結婚し、孫の顔は見たいところですがね。