本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

非自治会員の差別

2019-03-26 09:46:11 | Weblog
 県や市は定期的に広報紙を発行し、市民に配布している。これを町名ごとの自治会に一括配布され、区分けされた地区の当番から各世帯に配付する。
 しかし、我が世帯には自治会を退会してから、その配付がぷつりと途絶えた。

 市は自治会ごとに事務委託を締結している。広報紙の配付も事務委託の一環である。それに伴い、市からその事務委託費として均等割と世帯割の合計額(年額)を自治会に交付されている。

 均等割はともかく、世帯割は一世帯当たりの単価に町に住む世帯数に応じた総額になる。その世帯数に我が世帯も含んでいる。であるから、自治会員か否かにかかわらずウチにも広報紙を配付するべきなのだ。

 それが配付されないので、目くじらを立てれば、我が世帯分の世帯割の額を不正に受領していることになる。非自治会員の世帯に配付したくないのであれば、市に対し世帯数の数を減じるよう申し出なければならにない。
 
 広報紙は市のHPを見ればすむし、次年度のごみ収集日程表や選挙公報は市役所の担当課でもらえばすむ。つまり、実害はないが、住民サービスは公平に享受できないこと、自治会加入が半義務的になっていることが問題ではないかと思っている。

 なお、自治会の退会は旧弊が多く、改革の手を挙げても無視された。他国者は歓迎されないのだ。

名前の届け出

2019-03-25 12:03:39 | Weblog
 テレビニュースで家庭裁判所から「王子様」という名前の改名を認められたという話題があった。よくもまァ、親はそんな名前をつけたものだ。それまで耐えた「王子様」はえらい。

 それにしても、なぜ、役所の戸籍担当は審査権を発動してその名の受理を拒否しなかったのだろうか。世に「キラキラネーム」なるものがはびこっていたから「マヒ」していたか。それに常用漢字や人名用漢字から逸脱した字ではないこともある。

 何年か前、息子に「悪魔」と名付けて、それを届け出た親がある。市役所は常用漢字の字であるため受理したが、念のため法務省に受理の可否を紹介したところ受理すべきでなとされた。社会通念上不適切であり、親権の濫用になるからのようだ。

 その親は裁判に訴えるほどその名に固執したが、結局、訴訟を取り下げて「亜駆」(あく)と名付けたそうだ。
 これは受理されたが、「亜駆」は「亜、区、馬」と分解すると「あくま」になる。これを知って、この親の意地はハンパではないと感心したものだ。

たれか故郷を想わざる

2019-03-24 09:36:14 | Weblog
 カーラジオから懐かしい歌のリクエストがあった。それが「たれか故郷を想わざる」だった。
 
 早速、ネットで歌詞を調べた。作詞:西条八十、作曲:古賀政男、歌唱:霧島昇とある。その歌詞の一番はこうだ。

 花摘む野辺に 日は落ちて
 みんなで肩を くみながら
 唄をうたった 帰り道
 幼馴染の あの友この友
 ああ 誰か故郷を想わざる

 私は18歳で故郷を離れた。大半の年数は学生時代から東京やその近郊にいた。東京時代は現役だから同僚、知人がたくさんいたし、故郷の友もいたものだ。
 ところが、九州に転居してつくづく幼馴染というか竹馬の友というか、それがまったくいない。

 だけど、誰か故郷を想わざる、とはならない。これ、異国にいる兵士の想いではないのかね、

付と附の字義

2019-03-23 09:12:14 | Weblog
 つい最近、『漢字は日本語である』という本にもの申した。その本に次の記述があったので、また、ちょっかいを出す。
 
 「付属品の「付」と附属高校の「附」。違いがよくわからないこの二字がともに当用漢字表に選ばれたのも「附」が憲法に出て来る字だからだ。「付」と「附」がどう違うのかはどの字典を見ても書かれていない。」
 少し引用が長くなったが、ふたつは要するに違いがわからない字ということだ。

 この違いについて、ブログで何度か書いているのだが、また書こう。
 どちらも「フ」という音読みと「つく」という字義はあるが、漢和辞典に使い分けがあると書いているではないか。字典にこだわらず辞典も調べてほしかったものだ。
 
 その漢和辞典に基づけば、もとの「付」の字義には、授ける(例:交付)、渡す(例:配付)、与える(例:給付)などがある。一方、「附」は主体なるものに「つく」ものの意味だ。だから本体である雑誌につくのが「附録」であり、法律の本則につくのが「附則」であり、大学にくっつくのが「附属」である。このように違いがあるということだ。
 仮に「給付」を「給附」と書けば間違いだろう。それなのに「附録」を「付録」と書いても正しいとすれば納得いかない。

 このことに初めて違和感を持ったのは、2001年の小学生の無差別殺傷事件の「大阪教育大学附属池田小学校」の新聞の扱いだった。
 この小学校の「附属」をどの新聞も「付属」としていたからだ。「附」の代わりに「付」を用いるのは新聞用語懇談会の取り決めらしい。

 しかし、全国の「附属」とある学校は正しい学校名である。それを取り決めで勝手に変えるのは乱暴というものだ。

映画のあるシーンのネタ

2019-03-22 09:09:13 | Weblog
 昨日のBSプレミアムは「七人の侍」を放映していた。もう何度も観ているのでパスした。
 この映画のリメーク権利を得て制作されたのがご存知「荒野の七人」だ。主演のユル・ブリンナーがほれ込んで翻案権を獲得したといわれている。
 
 『模倣される日本』という本によると、「七人の侍」のなかにもオリジナルではないものがあるという。
 それは「志村喬扮する勘兵衛が、子どもを人質にした盗人を殺すシーン」のことだが、これはジョン・フォード監督の「荒野の決闘」に似たシーンがある。そこからのヒントではないかとのことだ。

 そのシーンはたしかにオリジナルではないが、「荒野の決闘」からではない。
 中学生時代に読んだ剣豪の本にあった上泉伊勢守信綱の逸話ではなかったか。いや、新陰流のこの達人の話だったかうろ覚えだが、剣豪小説からヒントを得たことは間違いない。

 本の著者はそのことを知らなかったか、「荒野の決闘」に思い込みすぎだろう。