本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

反日と反韓

2019-03-21 09:21:23 | Weblog
 厚労省の課長がソウルの金浦空港で暴れたテレビ映像にあきれた。酔っぱらって搭乗しようとして止められたことがきっかけのようだ。

 「韓国人は嫌いだ」と暴言(失言と思うが)を吐いたようだが、では「Youは何しに韓国へ」だ。この人、酒癖がわるいのでしょうね。これに「喝」だ。直ちに更迭されたが当然だ。
 厚労省は不正やチョンボなど不祥事の温床みたいなところだ。組織的な欠陥があるのではないか。
 
 このニュースと同日に「日本の戦犯企業製品」というステッカーの記事があった。地方議会のようだが、学校の日本製の備品にそのステッカーを貼りつけることを義務化する条例案を上程するらしい。こちらの暴挙はもっとひどい。
 度し難い反日の行為が横行している。

 6年ぐらい前の韓国で、「日本の植民地支配はよかった」と語った老人を青年が殴り殺した事件があった。この殺人者を愛国者だと擁護した意見もあったようだ。
 伊藤博文を暗殺した安重根の銅像を建てた国ですから「反日無罪」の感がある。

 暴れ課長に「反韓無罪」はないよ。

𠮷と吉

2019-03-20 08:57:11 | Weblog
 昨日、天長節を祝う唱歌を転記した。「今日の吉き日は大君の」で始まる歌詞である。
 昭和11年発行の文部省撰定「祝祭日儀式用唱歌」本から引用したものだ。

 話変わって、新潮社の新書版『漢字は日本語である』という本に「「𠮷田茂」が「吉田茂」になった」の小見出しがある。
 勝手に抄録すると、「昭和21年の内閣告示では「内閣総理大臣𠮷田茂」とあり、昭和24年の内閣告示では「内閣総理大臣吉田茂」とある」

 よく見ないとわかりにくいが、苗字の最初の字の上の部分が「土」か「士」の違いである。どちらも同じ字のようだが、昭和24年以降、当用漢字に入っているのは「吉」になったとある。

 話を元に戻すと、昭和11年発行の天長節の唱歌では、当用漢字の「吉」を用いて「吉き日」と印刷されている。決して「𠮷」ではない。

 先の本では、当用漢字以前の戦前の活字では「𠮷」しかないような印象になっているが、そんなことはないということでした。

天長節

2019-03-19 09:19:45 | Weblog
 卓上のカレンダーをパラパラめくって気がついたが、今年の12月23日は休みの日ではない。平成天皇の誕生日だが、譲位してしまったからだ。宮仕えの身ではないからどうでもよいけれど。
 
 となれば、今後は新天皇の誕生日、昔風にいえば天長節が休みの日になるわけだ。
ところが、新天皇の天長節は2月23日。今年に限れば、その日はまだ皇太子だから天長節にならなかった。つまり、2019年は珍しいことに天長節のないカレンダーになる。

 ついでに、天長節を祝う唱歌の一番を書き留める。私もそうだけど、この唱歌を知っている人はざらにおるまい。たまたま物置で見つけた「祝祭日儀式用唱歌」にあった。かみさんの母親が師範学校で習った本らしい。

 今日の吉き日は大君の
 うまれたまひし吉き日なり
 今日の吉き日は御ひかりの
 さし出たまひし吉き日なり

 よき日の連発で明治天皇はこそばゆい想いをしたでしょうね。

啄木の歌碑再び

2019-03-18 13:06:16 | Weblog
 前に、啄木の歌碑について書いた。九州にあると思えない歌碑があったという話である。

 そのことを新聞に投稿したところ、掲載直後に福岡市に住む女性からの手紙が新聞社の担当から転送されてきた。
その手紙から福岡市の「片江風致公園」という公園に啄木の碑があることを教えていただいた。親切な人がいるのですな。
ネットで調べると、元は日本文学碑公園といわれたようで多くの碑があるようだ。

かみさんのお供で博多に出かける予定がある。かみさんのデパート巡りの間、この公園に行こうと思っている。

クライストチャーチの思い出

2019-03-17 09:41:04 | Weblog
 NZのクライストチャーチの銃乱射事件で多数の犠牲者が出た。テロ事件は平穏な国でも起こりえるのだ。イスラム教の狂信者が報復に走らなければよいのだが。
 
 20年前、NZ旅行でクライストチャーチにも泊まった。夜、ホテルの廊下で日本人の大学生たちが海外旅行でハイになったのか騒ぎまくっていた。「うるさい!ホテルの廊下は遊ぶところか」と叱りつけた。男も女もこそこそと部屋に戻った。
 翌朝、ロビーにそのグループがいた。助教授らしい引率者がいたので注意した。平謝りに謝っていた。どこの大学か聞くことはしなかった。

 あいにく日曜日だったので、ほとんどの店は閉まっていた。別段、買物するつもりはなかったがこの町の宿泊の印象が乏しい。
 ヴィラマリアのワイナリーのワインはおいしかった。これがNZのおみやげだった。
 
 そうそう、イギリス風に船頭つきのボートで川下りした。それを楽しむというより時間つぶしだった。その後、電車でウエリントンに向かった。