本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

長い修飾語は先に

2011-01-26 14:24:28 | Weblog
 ロシアの空港でテロによる自爆があった。一般市民を殺傷することは許されないが、ロシアも散々非戦闘員すなわち市民を殺傷した経緯がある。

 大分前の産経新聞に「人口千人のロシア南部ダゲスタン共和国の寒村は、ロシア軍の砲爆撃で実質的に消滅した」とあった。記事の冒頭部分である。これなどは殺戮というほかない。

 話の主題を変える。なぜ、この記事を切り抜いていたか。「人口千人」の修飾語が「ロシア南部ダゲスタン共和国」に係ると思い込んだのだ。読み順に従えばそうなる。「へぇ、ロシア南部ダゲスタン共和国は人口千人か」と勘違いしたわけ。
「長い修飾文は先に、短い修飾語は後に」という原則がある。それに従い、語順を入れ替えて「ロシア南部ダゲスタン共和国の人口千人の寒村」とすれば、紛れはないはずだ。

高校生のアンケート

2011-01-25 12:14:56 | Weblog
 この市の高校生の意識調査に「将来、この市に住みたいか」という設問があった。これによると「どちらともいえない」が5割強とある。まだ、将来設計が描けないだろうから当然だと思う。

 一方、「ずっと住みたい」の意思表示は4%程度でまことに低い。家業を継ぐなど根を生やす理由ガあるのだろう。それに対し、「他に移りたい」が30%ある。都会志向が強いことと地元に将来性のある産業が少ないことが意思を押し上げたということだ。
 これらの結果は、どこの地方小都市の高校生にも共通するのではないか。

会読

2011-01-24 12:06:45 | Weblog
 今朝の読売新聞の文化欄に「会読」の話があった。これ、自由討論のことだが、江戸後期から藩校や私塾で盛んだったという。日本でも討議文化があって、必然的に「政治」が主題になったとある。
 なるほど、幕末の公武合体やら尊皇攘夷やらの沸騰を思えばそうかもしれないが、いささか納得できない面もある。

 以前に知ったことだが、藩校や私塾のカリキュラムは、素読の基本から始まり、講義の過程を経て、会業(会読)の課程にステップアップするという。誰もがいつでも会読なるディベートに参加できるわけではない。
 それに、当時は儒学なかんずく朱子学を学問としている。つまり、会読は文や語句の解釈を巡る学問上のことで、政治を話題の対象にしたとは思えないのだ。

 どうでもよいことではあるけれど。

ヤクが切れて

2011-01-23 10:32:40 | Weblog
 血圧のクスリをもらっている医院が閉めた。老医師だけの個人医院だったが、さすがに年に勝てないということだ。なんでも、他県の大学病院の勤務医である息子は、すぐには継げないらしい。
 それで、クスリがなくなったなら余所の病院でもらってほしいと言われた。クスリの名を知っていても薬局では医師の処方箋がないと出しませんからね。

 そのヤクが切れた。そこで文学同人会のメンバーだった医師が院長をしている病院に行った。ずいぶん混んでいたが、私の患者ファイルに「院長扱い」とあって、院長自らの診察で、出番が早かった。サークルに入った余得かもしれない。ただ、残念ながら同人会は高齢化により休会になってしまった。

 診察のあと「同人の旧交を温める会をやりませんか」と誘われた。確かに、酒を控えろとは言われなかった。


どちらも優勝

2011-01-22 11:36:08 | Weblog
 先の全国高校ラグビーは二校が優勝した。要するに、勝ちを決める決勝戦といいながら、引き分けでも勝ちというわけだ。知事に優勝報告をしているニュースを観て、選手は本当にうれしいのかいなと思う。単独で頂点に立つよう決着したかったのではないか。

 引き分け優勝は他のスポーツにもあるのだろうか。一着の同着がある競馬ぐらいかと思うが。
 ゴルフはプレーオフ、サッカーはPK戦、相撲は優勝決定戦、柔道は旗判定で無理やり勝負をつける。野球も決勝戦は当然延長戦か再試合だろう。
 なぜ、高校ラグビーはそうしないのか。体力的に延長戦が酷であるならば、日を置いて再試合すればよいではないか。