図書館から「新潮現代文学80」の最終第80巻目を借りてきた。奥付の余白に押した図書館の印判をみると、昭和56年6月24日にこの本を購入している。約30年前の本である。
当時は、まだコンピューターで貸出管理をしていないので、表紙裏に貸出記録カードが貼ってある。が、そのカードは白紙である。つまり、借り出された形跡がない。コンピューター管理に移行してから借り出された実績もなさそうだ。というのは、しおり紐は本に閉じ込められたままで引き出されていない。さらにその当時の新刊案内のチラシが折り込まれたままだ。
全集ものは借り手が少ないと思うが、借り出しはおろか閲覧もされずに30年も書棚に収まっている本は珍しいだろう。
さて、この第80巻目の作家は古井由吉である。純文学の大家であり、知名度も高いはずだが、大衆受けしないのだろう。だが、流行作家の本は書店で求めればよい。純文学の作家の本こそ図書館で借りるものではないか、と思うのだが。
当時は、まだコンピューターで貸出管理をしていないので、表紙裏に貸出記録カードが貼ってある。が、そのカードは白紙である。つまり、借り出された形跡がない。コンピューター管理に移行してから借り出された実績もなさそうだ。というのは、しおり紐は本に閉じ込められたままで引き出されていない。さらにその当時の新刊案内のチラシが折り込まれたままだ。
全集ものは借り手が少ないと思うが、借り出しはおろか閲覧もされずに30年も書棚に収まっている本は珍しいだろう。
さて、この第80巻目の作家は古井由吉である。純文学の大家であり、知名度も高いはずだが、大衆受けしないのだろう。だが、流行作家の本は書店で求めればよい。純文学の作家の本こそ図書館で借りるものではないか、と思うのだが。