ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

世界中に平安が訪れます様に。

2022-03-24 06:49:57 | 日記
もう少しいい天気になるのかと思っていましたが、寒さは緩んだものの雲が広がっていて青い空は臨めませんでした。
昨日は、冬の様な日でしたので、残っていた黒豆を一日がかりでコトコト煮ていました。
こんな時は芯式の灯油ストーブが便利です。
火加減を炎の上がり具合で調整できますし、室内は暖房と共に湯気による湿度で呼吸がしっとりとして快適。
一晩水に漬けて置いた黒豆を、差し水をしながらじっくり煮込みます。
黒豆の香ばしい香りが部屋いっぱいに広がります。
黒々、ふっくら、煮崩れも無く煮上がりました。
このまま一晩寝かせれば甘―い黒豆の完成です。
少しだけ小皿にとって味見をしました。
good!!
美味しいお茶も淹れて頂きました。
「日常」というもの、何だか飽き飽きすることも多々存在しますが、こんなささやかな日常を味わうことができるのは、やっぱり幸せというものなのでしょう。

と、またまたウクライナの事が気にかかりだします。
早く治まって・・・と祈ってはいますが、その「時」はいつやって来るのでしょう。
ウクライナの人々の安らかな日常は失われてしまっています。
それにしても、攻撃を仕掛けているプーチン大統領の「安らぎ」などは、どんなことの中に在るのでしょう。
側近といえども、果たしてどこまで信用できるものかどうか。
心許せるものは、何なのか。
わかりません。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』などを思い浮かべています。
そしてまた、対照的に良寛さまの詩などを思い起こします。
   生涯身を立つるに懶く、
   謄謄天真に任す、
   嚢中三升の米、
   炉辺一束の薪。
   誰れか問はん迷悟の跡、
   何ぞ知らん名利の塵、
   夜雨草庵の裡、
   双脚等閑に伸ばす。

当たり前ですが、良寛さまの様にはなれません。
それに、『任す』って、なかなかできないことです。
ちっぽけな自分の知恵や経験に頼ってしまいがちな私です。
だからでしょうか、こんな安らぎの世界に憧れを抱くのは。

世界中に平安が訪れます様に。
コメント
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